スピリチュアルな日々

2011年11月19日 (土)

やっと更新しました~

結局、すんごい半端なところでブログが止まったままになってしまった…。

今やっている所属先のサイトでのブログと思い切り内容がかぶるので、とりあえずこっちは書くのをやめてしまった、というのが正直なところである。


もちろん、あれから無事に蛇の倉にあがらせてもらうことができた。当日はもちろん快晴で、仙人様こと神直先生にも、更に出雲から来ている百仙先生にもお会いすることができた。完全に自分の思いは果たされた。

我が子は3歳で蛇の倉山を自らの足で登り切り、奥の院も私の肩につかまりながらも泣きながらもとても怖そうなハシゴをなんとか登り切り、母親の私としては感無量である。

あれから、本来行こうとしていた日に蛇の倉に行けなかった理由を再考したのだが、実はツキノモノはこの山に登ることができないと、蛇の倉山に登る直前に百仙先生がおっしゃっていた。

そう、正に行けなかった台風の日は、私はツキノモノであった…。


うーむ、そう考えると、行けなくて正解だったのである。

それで、翌週に神様がずらして下さった、とも言えるのである。

いやあ、本当にありがたい。感謝感謝である。

さて、前回の記事のつづきの報告はこれくらいで超簡単に済まさせてもらうことにして、近況を少しばかり書いてみようと思う。

最近は、氣に入ってつけていた石のブレスレットは、希望通りに完全ノーマルな中小の球体の水晶の組み合わせに変化した。

やっと私もシンプルな水晶オンリーのブレスが似合うような状態になってきたのだなあ、と感慨深い。

そして、私の心の大変化はこれからも尚続いていくと感じている。

その大変化はまさに、去年の年末に直観し確信した思いに確実に向かっている。

心のベクトルは歪むことなく、より真っ直ぐに、向かうべき方向を直視している。

とりあえず私の中で、一番苦しい峠は乗り越えたと感じている。

これからは、もっともっと楽に、もっともっとフラットに。

今年も嬉しくも悲しくも、また年輪を重ねてしまったのだが、もうここまでくると、いくつになろうが私は私だと思う。

周囲がどう見ようが、私の直観をただ形にしていくのみ、である。


靈氣の勉強はもちろん継続して続けている。

1年前と比べたら、この私も大分肝が据わってきたと思う。少しのことでは動揺しなくなった。

例えばケムトレイル(また最近多いんだな~これが)を見ても、またかと思うくらいで、怒りの感情も大分引いてきた。

無事に311以来大きな地震は免れているが、来年以降もまだまだ油断はできないので注意はしておくべきである。


ところで、以前、○時11分という時計表示を良く目にする、と書いたことがあったが、実はそれは現在も続いている。

そして更に、ぞろ目(5:55とか12:12とか21:21など)の時計表示も○時11分に次いでよく目にする。

なので、この二つをかけ合わせて、私は11月11日という日に何か意味があるのだろう、と直観していた。

すると、10月のある日、師匠に、まず先に私の子供の誕生日を聞かれた後に、「じゃあ11月11日に一体何があるのか子供に聞いてみなさい」と言われたのである。

私は既に、11月11日の意味まで勘付いていた後だったので、やっぱりそうなのか…、と思うしかなかった。

そして、師匠にそう言われてからは、ほぼ毎日のように子供に11月11日には何があるのか聞くようになった。

私が直観している事を尋ねると、「うん、そうだよ」とニヤニヤしていた。

ただ、こちらから「11月11日は何の日なの?」と聞いただけでは、ふざけた答えしか返ってこなかった。

うーむ、子供の答えは合っているのだろうか…。

で、もう11月11日が過ぎてしまったある日、もう一度真剣に、直観している事で正しいか聞くと、今度は何度も、お母さんが感じていることは正解だよ、という風に教えてくれた。

もちろん当日は何事もなく終わった。

つまり、別に特に何かが起きるという類のものではないのだ。

ここでは、現時点ではこれ以上書くのは差し控えておく。

とにかく私と子供に関わる個人的なこと、とだけ申しておく。

とりあえず、ざっと今の思いや氣になる事を書いてみたのだが、今度はいつここに書き込むことができることやら…。

私自身も日々変化し、進化しているのである。

ブログの内容も、どんどん変化し、進化する。

その進化とは、どんどんシンプルになる、ということである。

煩雑で複雑で理屈をこねまわしたような思考の世界から、どんどん枠のない単純明快な感覚の世界へとシフトしているのである。

こちらのブログも、もう少し書くことがあると思うので、このままより緩やかにではあるが、継続させていただく(^^;


今後の私自身の変化にワクワクしながら、今日はもうおやすみなさい…。

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2011年9月 9日 (金)

覚悟、そして祈りの旅

さて、先日から申し上げている通り、今日の夜からいよいよ蛇之倉七尾山に出向く。

さすがに今度こそは台風が襲ってくる、ということはないだろう。

快晴のまま上がらせてもらえるかも知れないし、やはり龍神様のお出迎えがあり、大小にかかわらず雨降りになるかも知れない。

しかし、今度は絶対に行ける。

それだけは確信した。

実は、あれから一緒に行く仲間の一人が、突然具合の悪くなった家族の看病をしなければならないという理由で更に行けなくなってしまった。

なので、結果的に、私達親子と救世主の男性と仲間の女性の4人で行くことになった。

私以外は運転はばっちり問題なしの様子なので、本当にありがたい。

但し、よく考えたらレンタカーでなく、男性の車で行くことになったので、まだ3歳の我が子を座らせるチャイルドシートが必要なことに氣付いた。

それで、自分が使っているチャイルドシートを、待ち合わせ先の女性の家まで宅配することにした。

しかし、チャイルドシートはなかなか大型なので、その辺の段ボール箱では入らない。

とりあえずでかいビニール袋に入れて宅配会社に持っていったら、段ボールに入れないと宅配できませんと言われてしまった。

仕方なく、近所の大型DIY系ストアに行き、かなり大きい段ボールを探していると従業員の一人に伝えると、

「そんなに大きい段ボール箱はないかも知れませんが、探したければ駐車場隣りにあるゴミ置き場にご自身で行って見てみてもらえますか」

とのことだった。

この何でも売っている大型ストアでも、チャイルドシートが入るくらいの箱がなかったら、もうどこを探してもないだろうな、と思いながらゴミ置き場に行ってみると。

…なんだ、沢山あるじゃないの。

そこで、適当にこの段ボールなら入るかな?と思い取り出して、実際にチャイルドシートを入れてみると。

ビンゴ!! 見事にジャストフィットだった。

うーん、やっぱり私の直観力は相変わらず冴えているナア。

と、自画自賛(苦笑)。

この直観力を維持しながら、台風被害に遭った奈良の道中を、被害に遭われた方々に深くお見舞いの氣持ちを捧げつつ、粛々と参らせて頂こうと思った。

覚悟、そして祈りの旅。

自分自身を更に浄め、会うべき神様方、そして仙人様に、是非お目にかかりたい。

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2011年9月 3日 (土)

神様のお試しに遭う --蛇之倉延期--

先日、9月3日に仲間と我が子と共に地元からレンタカーを使って蛇之倉七尾山に上がらせて頂き、仙人様にお会いするんだ、という話を書かせて頂いたのだが、その後に状況が一変した。


まあ、この通り、この台風。

この台風12号がいきなり進路変更して、近畿地方に向かっているというニュース。

このニュースを聞いて、一緒に行く一人の仲間が、「丁度蛇之倉に行く時に台風直撃みたいだから、来週に日程をずらしませんか?」と連絡してきた。

確かに台風直撃は免れないかも知れない。

ただ、その時、師匠が言っていた話を思い起こした。


「蛇之倉山という神聖な場所に行く時は、どばーっと雨が降るかも知れないから覚悟しておいた方がいいよ。僕みたいに何度も訪れていれば、行く前後に雨が少し降る程度で済むんだけどねえ」

すさかず私が質問した。

「それは、龍神様に氣を遣ってもらっているということですか?」

師匠は「そうです」と答えた。


もしかしたら、龍神様が既に大歓待しちゃってくれているのかも知れない。

私はとってもポジティブにそう思った(苦笑)。


と、ここで意見が分かれることになる。

私ともう一人は、ぎりぎりまで待ってみて、あとは祈りや心持ち次第で天気を変えられるのではないか、という意見。

もう一方は、台風なんだから無理しないで来週に行けるんだったらそうしようよ、という感じ。

で、ひとまず祈る事で天候が変化した例を私が挙げて、翌日午前中いっぱい様子を見ようという話になった。

そして翌日。やはり台風直撃は避けられそうにない感じ。

一部では高速道路が通行止めになっている箇所もあるとのNHKニュース。

流石に、そんな状況をわざわざ危険を冒してまで突き進んでいいものか……。


すると、仲間の一部からメールが入った。

「本当に申し訳ないのですが、今回は身体の疲れがたまっている関係もあって、来週に延期して、高速バスで行かせて頂きたい。一緒に行けなくてごめんなさい…」

旦那に引き続き、もう一人、車を運転できる人が減ってしまったのだった。

確かに車で台風の中走るのは大変。しかも、2人の運転手が減って、残り3名で夜間の高速を長時間交代で走るという現状。

うーん、これは困った。正直言って、思考停止状態…。


そしたら、再び高速バスを希望した方から連絡が入った。

「先ほど、蛇之倉のお宿から連絡があって、台風が来ていて既に地盤が緩んでいるので、当日来ても登山はとてもできそうにないとのことでした。なので、私達は来週に延期とお宿に伝えましたが、皆さんも各自でお宿に連絡してあげて下さい」

流石にお宿側からそういう話をされたのでは、キャンセルするしかない。

私も早速お宿に連絡し、来週に延期の旨伝えた。


さて、せっかく皆でまとまって3日に蛇之倉山に行けると、とっても楽しみにしていたのに、どうして3日に台風直撃で延期せざるを得なくなってしまったのだろう…。

でも、皆来週でも行ける、という事が一つのメッセージかも知れない、と思った。

ただ、それでも尚、運転手3人で夜間の長距離の高速を走ることへの不安はあった。

でも、私は子連れなので、高速バスを利用しても、子供が丁度動き回る年頃で、周りに迷惑をかけることは必至だった。

そこで、子供を親に預けられないか、思い切って義母に連絡してみた。

すると、案の定、最近職場が変わって立場的に融通が利かないので、面倒を見てあげられないと言われてしまったのだった。

やっぱり、子供は連れて行くべき、と思った。

前回に書いた通り、我が子こそこういう世界に縁があると思っているから。

それで、他2人の仲間へ、私も運転頑張るので、レンタカーで奈良まで一緒に行って欲しいと懇願した。

1人の方は、運転に慣れているということもあり、すぐOKして下さった。

でももう1人の方は、女性3人だけで、しかも夜間に長距離の高速の運転にやや不安がある、との回答。

…そりゃ、もっともだよなあ。


ああ、なんだか、八方ふさがりになってしまった。

もしかしたら、私こそ、蛇之倉にご縁がないのかも知れない…。

そう思いながら、いろいろ考え、運転をOKしてくれた方に思い切って相談した。

「もう1人の方が、長距離の夜間の運転に不安があるとのことだった。私が子連れであるという理由で車でお願いしているが、なんだかんだ私が一番迷惑をかけてしまいそうで、それが嫌なので、もう親子で新幹線で奈良まで行くことにしようと思う。但し、向こうに着くのはどんなに早くでも11時になってしまうので、蛇之倉の前に回れるのは私自身は1カ所になってしまうだろう。でも向こうでは是非ご一緒させて頂きたいので、待ち合わせ場所と時間を早急に決めて知らせて欲しい云々…」

そうだよもう潔く新幹線で行けばいいじゃないか。お金が結構かかってしまうけど、電車と新幹線で3歳の我が子を連れての5時間の行程はちょっと大変さはあるけれど、これが一番氣を遣わないでいいんだ。結局皆バラバラになってしまったのは残念だけど、向こうで一緒なんだからそれでも十分助かる。
そうしてでも行かなくちゃいけないと思っているし、これこそ神のお試しなんだ。きっと私がどれだけ本気で蛇之倉に行きたいのか試されているのだと思う。

そう言い聞かせた。

その日はもう連絡がなく、まだ新幹線の指定席がある事を確認して就寝。


翌朝。

早い時間に相談した方からのお返事が来た。


「実は、お友達でプチ修行してみたいと言ってくれた方がいて、しかも車を出して連れて行ってくれることになったよ! その方は男性です。細かい事は抜きにして、この方と一緒に行きませんか? もちろん大神神社も龍穴神社も回ってくれるよ~」


・・・うわあ、救世主が来た!!!


私はそう思わずにはいられなかった。

午前中の仕事を済ませた後、その方にお返事し、何度もお礼を言った。

これで全てが丸く収まってしまった。

しかも車まで出して下さるなんて、ありがたい…。

ガソリン代くらい私が負担しなくちゃ。

本当に涙がちょちょぎれるほど、感動!!!

確かにこの過程は全て必然だったのだろう。

でもそんな事最初から分かっていたら、感動なんてやって来ないのである。

そして、やっぱり試されたのだろう。

それは、何も私に限ったことではなく、仲間全員が試されたのである。

高速バス組は、正直に車はしんどい!と言う勇気を試され、

私は、子連れだろうがどれだけ本氣で行きたいかを試され、

他の仲間は、いかに全員で行くかを考えさせられた。

そして、最後に現れた救世主の男性は、元々蛇之倉にご縁があり、私達とも縁があって、一緒に行くことになる事は既に魂レベルでプログラムされていた、という事である。

これで全部が上手くまとまり、氣分がスカッとした♪

ほんとにほんとに、全ての出来事に感謝したい。

合掌。

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2011年8月31日 (水)

仙人様とのご縁

最近は、自分の所属しているところのHP管理が何気に忙しく、どうしてもこちらにゆっくり書き込みする時間が取れなくなってきている。

とりあえず現在の状況を書くと、やはり神の導きは延々と続いていて、これから先、もっともっと濃厚になっていくのだろうな、という強い予感がある。

私は、阿蘇へ行ってから心身共に洗練されただけでなく、知識も増え、更に自信がついたような氣がしている。

そして、9月2日の晩から出発し、9月3日に今度は蛇之倉七尾山へ上がらせて頂き、宿坊へ泊まらせて頂き、ちょっとした修行の体験をさせてもらいに行く。

実は、本当は家族3人で行く予定だったのが、今となっては大幅に変更になり、結果的に、靈氣の仲間4人と、私と子供の6人で行くことになった。

どうしてそうなったのか。

私の中では正直、予感的中して、なるほど、という氣分である。

この間、師匠とお話させて頂く機会があった時、蛇之倉へ個人的に行ってくる話をしたら、

「蛇之倉の仙人様は、どういう人間が来るのか予め分かっているので、本当に会おうと思うべき人間としかお会いにならないよ。『ある有名な作家は10数年も蛇之倉に登っているらしいが、わしゃ会ったことがないのう』とこの間言っててねえ」

と仰った。

私はその話を聞いた時、正直旦那が心配になった。本当にうちの旦那も仙人様に会えるのだろうか。私は、師匠が、仙人様がもういい御歳で血圧も高めなので早めに会いに行っておいた方がいいと言っていたので、それこそ仙人様にお会いするつもりで今回蛇之倉へ上がらせて頂くつもりなのだった。

仙人様は、祈りが大事といつも説いているのだという。私は祈りを続けているけれど、今だうちの旦那は、祈りをしようとしない。せいぜいたまにお線香を灯して手を合わせるのがいいところ。でも私から”祈りなさい”と言って促すのは違う。本人の意識がそこまで高まって、心から祈りが必要だと思って始めるのでなければ神様仏様にその心持ちは通じないからである。

そして出発5日前。

突然旦那から電話がかかってきた。

「今朝の朝礼で、社長に『この忙しい時に週末休んでいる場合じゃない』というような話があって、その忙しい部門で休んだのって俺だけなんだよ。名指しはしてないけど明らかに自分のこと言われてると思って、今度の週末休むのはかなり氣が引けるんだよ。申し訳ないけど俺だけ抜けさせてもらえないかな」

私は無理に引き止めず、了解した。

電話を切った後、やっぱりな、と思った。

本当に縁ある人しか仙人様とお会いできないようになっているんだな、と感じずにはいられなかった。


元々は家族3人で、ここからレンタカーで約9時間の道程を飛ばして蛇之倉へ向かう予定だった。

しかし正直、9時間も、私と旦那だけで運転し切るのは不安があった。

すると、奇遇なことに、後から靈氣の仲間が同じ日にちに蛇之倉へ行くというから驚いた。

私はすぐに、一緒に行ってもらえないかと頼み、返事1つでOKしてもらい、不安要素もなくなって安心していたのだった。

その後に、旦那がそういう形で抜けることになるとはね。

もし靈氣の仲間と一緒に行く話にならぬまま、旦那がそういう形で抜けていたとしたら、私と子供だけで蛇之倉へ行くのは正直とてもキツイものがあったので、行くことそのものを断念していただろうと思う。

でも、仲間と一緒に行くことが決まった後に、旦那が抜ける形になったので、断念せずに済んだのである。

私は、うちの子供については、自分が大変になると分かっていても、絶対に蛇之倉へ連れて行きたかったのだ。

というのは、きっとうちの子はそういう世界に縁のある魂だという絶対的な自信を持っているからである。

仲間の中には保育士さんもおり、大変ありがたい。本当に神の強い御導きを感じずにはいられない。

という訳で、仲間達とうちの子とでの蛇之倉七尾山へのプチ修行、心して行かせて頂こうと思う。

合掌。


(追記)

私にメールを下さった方がいらっしゃったのに、お返事返せずごめんなさい。
カタカムナについて詳しい武知さんの講演会のことは私は詳しくないので分かりません。
寧ろ、カタカムナの文献について私も読んでみたいと思いました。情報ありがとうございます。

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2011年7月11日 (月)

変化の意識が変化を呼ぶ

最近は自分自身の変化が目まぐるしい。つい最近までは、大きな変化が起きている、という自覚はまだ薄かったが、ここに来て、遂に物事が動き出したとでもいうような、自分の中からも外からも、変化が私を取り巻き始めたのを確実に実感した。

というのも、遂にこの私にも、神の御意志を伝道すべく、御役目を与えられたからである。

自分が勉強している靈氣道は、今までは初伝(或いはそれ以上の伝位)を取得した仲間うちだけでその勉強内容を共有し、一般には勉強内容を公開せずにいた。しかしここに来て、遂に神様が師匠に、「一般にも公開し、どんどん靈氣道の素晴らしさと必要性を広めなさい」という啓示を与えたとのことで、これからの時代を生き抜く為の本当に必要なツールとして宣伝・啓蒙するという目的も兼ねて、私が靈氣道のHPの管理者を任されることになったのだった。

といっても、私自身はそんな大げさには捉えている訳ではないのだが、今はあまり機能していない当会のサイトも、大きく刷新され、更新も活発になってくれば、いよいよ自分の御役目は重要な位置づけになってくるのかなあ、と思うと、丹田に強く意識を下さずにはいられなかった。

ハンドルネームのみの書きっぱなしの、この言いたい放題ブログも大分落ち着いてきてしまったところで、今度は自分の名前を出して、当会のサイト管理者として靈氣道を背負って立つ身になったら、きっと書くことももっと言葉を選んで書かないといけないなあ、とやや緊張。しかし、今まで自分が書いてきた記事は、どれも私の直観で書いた一つの真実であり、きっと今までの記事の中からもネタを引っ張って応用していくだろう。

という訳で、こちらのプライベートブログが更に止まり気味になってしまう事をお許し願いたい。


実際的な変化はこれが一番大きいのだが、もう一つ挙げれば、つい最近の幼稚園のクラス会で、ママさん達が、放射能について不安を隠せないというような話になった時のこと。だったら今の放射能の量はどれくらいになっているのか園でも測定してもらおうよ、なんて話まで出て、正直私はイライラした。

そして私が意見を言う番になった時、ブログにも書いたように、放射能について不安になり過ぎたり、氣にし過ぎると却って放射能を呼んで病気になること、麻やひまわりの花が放射能を吸収してくれること、原爆が起きた場所も、数年後に雑草が自生していた事実などを例として話し、自然の力をもっと信じようといった話を説いたら、これに賛同してくれたママさんが結構いて、とても嬉しかった。ここの幼稚園も自然派にこだわるスタイルの幼稚園なので、私のような考え方を持ったママさんも少なからずいるだろうとは思っていた。しかし、一体どこまで自然の力を理解しているママさんがいるのか、ということまでは分からない。今回は自分は精神世界について勉強している身である事まで打ち明けて自分の考えを述べたのだが、本当に言えて良かったと思った。

そう思ったら、その翌日、最後の訪問介護先で、なんとパワーストーンのブレスレットを無くしてしまったのだった。
しかも、2個づけしていたうちの1個だけなくなっていた。どこでどう落としたのか皆目見当つかず、気付いたらもうなかったので、本当に不思議だった。一応、そこの家族の方に、見付かったら教えてくれるようには伝えておいたのだが・・・。

もしかしたら、今この時期については、そのブレスレットは必要ない、という神からのメッセージかも知れない、とも思った。実は、最近なくした方のブレスレットの必要性をあまり感じなくなっていたからである。実際に、無くさなかった方の水晶のブレスレットだけの方が、その水晶が生き生きとして見えた。買ったところの石屋のスタッフにも相談したら、今後見つかる可能性もあるし、今は水晶のブレスだけで過ごしてみていいんじゃない?とのこと。

それまで散々変化に変化を重ねて、石ビンボーになっちゃいそうというくらい、ブレスレットの石の入れ替えが激しかったのが、ここに来て、無くす、という事実に直面し、遂に一つのステージに辿り着いたのだと自覚した。


おまけに、明後日から阿蘇へ3日間行ってくる。

正直、阿蘇に行くのも、殆ど師匠に呼ばれたという自覚で行くので、きっと何か必要な出来事や場所に遭遇するだろうし、また自分自身も、必ず何かを掴み取って帰ってくるんだ、という氣持ちでいっぱいである。

更なる自分の御霊磨き、靈氣道の修行を通して、自分を輝かせ、至福の境地に辿り着くまで一層の努力をしていきたい。


放射能は一つの試練である。

試練は、逃げたら負け。

逃げることを選択する人は、自分さえよければいい、という氣持ちの人。

それは正にエゴイストである。

しかし実際には、逃げても逃げても逃げられないのである。

日本全国に原発はある。

今後どこで大きな地震や津波が起きて、原発事故が発生するか分からない。

だから、逃げれば逃げる程、放射能の驚異はあなたを脅かすだけである。

それに気付きさえすれば、逃げても同じだという事が分かる。

そう思えば、今度は寧ろ立ち向かっていかなければならないんだ、ということまで分かるのである。

試練はチャンス。

つまり、放射能も一つのチャンスなのだ。

放射能に立ち向かい、今の場所から逃げずに、生き抜くことを決意し、その決意を無にしないような努力をする人こそ、病気にもならず、飄々と生き抜けるのである。

福島の原発周辺に住んでいる人まで、逃げるな、とは言わないけどね。

それより離れた地域に住んで、とりあえず何ともなく無事に生きれている私達が、必要以上に怯えて、生きた心地がしないような生活に浸ってしまったら、そういう人こそ病気になって無念の死を迎えるだろう。

発想の転換が今こそ必要である。

今ここに生かされ、普通に呼吸させてもらえる奇跡をもっと味わい、神に深く感謝していこう。

そんなあなたを、神は愛すだろう。

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2011年7月 4日 (月)

2日間断食やってみた(*´σー`)

先週の日曜は、1週間断食をやってのけた仲間に触発されて、とりあえず唐突に1日断食を敢行したが、やはり3日間断食にも挑戦したいという氣持ちが沸々と沸いてきた。

しかし、仕事をしており、デスクワークならまだしも、介護という、身体を使う仕事であり、また老人を補助する仕事なので、しんどそうな顔して介護されても利用者さんにご迷惑がかかるのではないかと思った。ましてや、そんな状態で介護してたら、職場の人に「帰りなさい」と言われかねない。

なので、今回は週末の土日で2日間断食をすることにした。

実際には、月曜日から仕事がある事を考えて、金曜日の夜から断食し、日曜の昼には終われるようにした。

3日間の断食をするには、断食前後3日間、お粥・塩・水のみの生活をした方が、胃に負担がかからないという、実際に3日間断食した仲間の話を聞いた。今回私の場合、2日間なので、前後2日間をお粥生活にすることにした。

お粥が苦手な方も多いと思うが、私はお粥は全く問題なく、お粥生活をしている時は、全然平気だった。お粥に塩を振って食べ、後は水をたまに飲んだ。これから断食するんだ~と思ったら、どうしてもお粥を多めに食べてしまうのだった(゚ー゚;

そして断食1日目。

正直、1日断食を先週やっているので、苦痛は殆どなかった。

しかも、靈氣の勉強に出席したので、そこの場所は良い氣が満ちており、勉強中でも空腹感を忘れられた。

そしてお初の断食2日目。

土曜日の夜から2日目に入ったのだが、土曜日の夜はまだ大丈夫だったものの、翌朝になると、流石に空腹感に襲われ、自分の好きな食べ物を想像して、ちょっとしんどかった(;;;´Д`)

しかも、盛りになってきた我が子が横たわっている私を、足蹴りしたり、お腹をぱんぱん叩いてきたりするので、正直辛かった。

それでも立って家事などやっているよりは、横になっている方が全然楽ではあった。

断食が続くと、段々動作が鈍くなってくるのだ。

激しい動きをすると、ちょっとした酸欠っぽい症状が出て、意識が朦朧としたり、呼吸が息苦しくなったりする。

それは一番最初に唐突にやってみた1日断食の時で確認済みだった。介護の仕事をしながらだったので、夜にはもうそういう酸欠ぎみの状態になっていた。

だからこそ、今回は仕事が休みの日をわざわざ選んだのだ。

それでも断食2日目は日曜ということもあり、買い物などすることがあり、旦那に車を運転してもらって、何とか用事を済ますことができた。

車で移動中、所々にある、レストランやパン屋さんを見ては、食べたい氣分にかられた。外に出ると、誘惑が多すぎて困る(;´д`)トホホ…

それも何とか通り越して、無事に断食終了!!!

それにしても、納得いかないのは、2日間の断食でも体重が殆ど変わっていなかったこと(´;ω;`)ウウ・・・

と、思って、断食後初のお粥を夜食べた後、もう一度体重計に乗ってみたら・・・。


1.5㎏減!!!w(゚o゚)w


なんと、お粥を食べ始めてから減っているとは・・・。

断食中は、身体が危機意識を持っていて、なるべく身体を燃焼させないように頑張ってくれていたのかも知れない。

じゃあここは頑張って、氣を緩めることなく断食後2日間のお粥生活を続ければ、その体重を維持できるかも知れない。

でもきっと、お粥生活が終わった後は、大好きな食べ物をほおばっていることだろう(;´▽`A``

でも、2日間断食が無事終わったことで、いつか3日間断食もいけるゾ!と更なる自信に繋がったことは間違いがない。また、食べなくても生きていられるという、未知の体験をしたということそのものが私自身の自信になった。

そして何よりも、断食することにより、普段何氣なく食べている食事のありがたみを改めて噛み締めるきっかけになった。ご飯が当たり前に食べられる私達は、なんて幸せなのだろう、という氣持ちが新たに沸いてきた。

お粥を食べてからは、胃に力が出てきて、断食中よりは確実に動けるようになった。食べ物の力って、すごいんだなあと思った。


こんな感じで、私自身も成長中。

でも、無理なく、自然に、がモットー。

挑戦すべき事は、やれる!と思った時が吉の時。

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2011年6月27日 (月)

久々に断食♪

昨日は本当に久しぶりに、1日断食をした。

最初に1日断食をした時に、定期的にやるといいのかな~なんてブログでも書いた癖に、流石に冬は食べ物がとても美味しくてできなかった(笑)

何故1日断食をまたやったのか。

なんと、同じ靈氣の勉強をしている仲間の女性が、1週間断食を達成してしまったのを知ったから。

ひゃ~~~~~!!(゚ロ゚屮)屮

これは私にとって物凄い衝撃であった。断食して最終日の日に勉強会でお会いしたのだが、正直とてもしんどそうに見えた。話を聞くと、特に食べ物が食べたくてしょうがないという衝動に襲われることは全くなく、ただただ動作が鈍くなってしんどい状態が続いたという。でも不思議と、勉強会の場所に来ると、ここは氣が満ちていて断食している事を忘れられたのだという。でも電車に乗る時などは、這うようにして歩いて辛かったそうだ。

確かに、私も最初の1日断食をした時は、介護の仕事をしながらだったというのもあり、夜は結構動作が鈍ってしんどい氣分だった。

昨日の1日断食は頭痛もあったので、途中で横になったりして、ずっと家にいることができたものだから、正直殆ど苦痛じゃなかった。予定さえ問題なければ、またゆったりした日々を送れるのなら、このまま3日断食もいけそうだった。

そうか、やはり活発に動いている中での断食になると、結構しんどくなるけど、ゆったりした状態で臨む断食なら、そのしんどさを減らすことができるのだと思った。

もちろん、断食といっても、水分だけは摂らないと脱水症状を起こしてしまうので、水分補給だけは随時行う。

興味深いことに、1週間断食した女性が、ミネラル豊富な海洋深層水を飲んだら、却って胃が荒れてしまった、と言っていた。すると、栄養補給になるから、という”思考”で海洋深層水を選んでしまったことがいけない、と師匠に言われたという。もっぱらごく普通の綺麗なお水を口に含むことが一番良いとのこと。

この女性の話を聞いて、いろいろ参考になった。

そしてまた、自分もまた断食したい、と触発されてしまった。

私は触発されて、そのタイミングでやるのが一番できると思ったから。

その女性が何故1週間断食に挑戦したのか、といえば、意識を変えたかったからだという。

師匠も、意識を変えたいのなら1週間やるのが良い、と言っていたという。

そして実際に、その女性は、最終日を迎えて、本当に身体に良いものや環境に対して敏感になったと思うし、断食後もそういう意識で毎日を過ごせるようになると思う、と話してくれた。

私は、ただただ少しでも自分にもっと自信をつけたい、という氣持ちで、今回1日断食をさせてもらった。

私の中での目標は、今のところ3日断食を達成すること、かな。

はっきり言って、介護の仕事をしながらの1週間断食は、私の中で”無理”の二文字しかまだ浮かんでこないのである。

3日断食が達成できれば、益々自分に自信がつくことだけは間違いがないだろう。

これも、やろう!と思った時がタイミング。

その時期は、そんなに遠くないかも知れない(* ̄ー ̄*)

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2011年5月 2日 (月)

新しい生活

先月より、子供が幼稚園生活を始めたことにより、私の生活も一転した。

今までは保育所へ預けて仕事をしに行っていたのが、先月より、仕事を続けるために、幼稚園降園後、そのまま幼稚園バスにて別の託児所へ送迎してもらうことになったのだが、職場と幼稚園と託児所の3か所の管理はなかなかハードである。
ヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ

特に幼稚園側から毎日のようにある提出物や手紙で、最初の頃は手一杯だった。思い切り提出期限を過ぎてしまったものもあった。

と思ったら、もう時は5月へ突入。あっというまの4月だった。

そんな中、子供は子供で、違うお友達の靴を履いて帰ってきたり、ハンドタオルが入ってなかったり、他のお友達の洋服がリュックサックに入っていたりで、これまたてんてこまい(ノд・。)

でも、自分が作ったお弁当(なるべく肉の入っていない菜食中心で、更に玄米のお弁当)をほぼ毎日空っぽにしてきてくれるのは何ともありがたかった。チビの癖に本当によく食べる。特にお弁当にしてあげると、いつもと違う美味しそうな食べ物だと思って見事に食べてくれるようだ。

もちろんまだまだ育児に関しては私も未熟なところがあり、自然派のこの幼稚園でこれからおおいに学んでいきたい。

本当は、カラフルなおもちゃは控えた方がよいことや、今のうちから、文字や数字や英語などといった記号類を見せすぎないこと、テレビももちろん見せない方がいいことなどを改めて痛感した。

というのは、カラフルなおもちゃは、その色に魅せられてしまい、自然界の自然の色を楽しむことをしなくなってしまうからだそうだ。自然界の中にある景色の色のよさに触れることで、自然と共存共栄していくことを学ぶことに繋がっていくのだという。

また、記号類を見せ過ぎるのも全く同じで、自然界にあるいろいろなものを捉えることをしなくなってしまう。一番分かり易い例で言えば、動物園に行っても、目の前の看板ばかりに着目して、遠くの動物に目がいかなくなり、興味が薄れてしまうという。

テレビがいけないのは、受け身の人間になってしまうから。テレビに関しては納得して見せないようにしているお母さんも多いことだろう。

昔のように、おもちゃもなく、早期教育的発想もなかった頃は、自然界の中からいろんな事を学び、自然に豊かな心身が形成されていったのだと思う。

私は仕事しながらの幼稚園生活で、幼稚園の方針全てに従える環境ではないのが歯がゆいところだが、できるところから、なるべく自然に触れさせ、また創作能力を引き出すような遊び(お絵かき、文字など入っていない積木遊び、粘土遊びなど)をどんどんやらせるようにもっと工夫していきたいと思った。

正直うちの子供は、こちらが全く意識していないのに、自ら数字に興味を持って、子供の好奇心のままに覚えていってしまったという感じであり、周りからも、いいことじゃないと寧ろ褒められてきてしまった。それで今となっては電卓や電子辞書までいじるようになってしまい、これは本当にいいことなの?と思っていたところだったので、先生から話を聞いて、ひとまず電卓や電子辞書をもう弄らせるのはやめようと強く思った。

とはいっても、数字が好きになったのは、子供自らの意志によるものであり、一つの個性でもあると感じているのも事実。数字は、以前ブログでも書いたように、数靈(かずたま)といって、数字にも靈が宿っている(つまり、氣が流れている、乃至は波動を持っている)。数字に魅力を覚えたことにもなんらかの意味があるのでは、と感じている。だからお風呂場にある数字の形をしたスポンジタイプのおもちゃは残しておいている。

そういえば、私の場合、つい最近までは、デジタル時計をふと見ると、3:33とか、5:55とか、ゾロ目になっていたことが多かったのが、311の地震が起きた後は、何故か、5:11とか、8:11など、”11分”を見ることが多くなってしまった。それで、4月11日も大き目の地震がきっとあるのではないかと思っていたら、案の定、4月11日は大き目の地震が3回ほどやってきた。もちろん他の日でも大き目の地震がある場合があるが、4月11日は、大きめの地震が何回も続いたので、このことなのかなあと思った。

しかし、いまだに”○時11分”をよく目にするので、今後も11日の日には氣を配る必要がありそうだ。

しかも面白いことに、今月の11日を迎える前日には、311の被災地へ向けた祈りのボランティアに参加してくる予定である。主催者の話によれば、5月10日に祈りをするのは、日にちが良いからなのだという。

これもまたリンクしているのかも知れない。

幼稚園生活も落ち着き、自分に余裕が出てきたら、またブログもいろいろ書いていきたい。

今日はひとまずこの辺で。

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2011年4月 8日 (金)

ネガティブな話に同調しないために

また大きな地震が来たね。とはいえ、3月11日の大震災ほどではなく、津波も問題なく推移し、大きい余震の1つという形に終わり、事なきを得た。でも被災地で今なお避難所暮らしを余儀なくされている人々にとったら、311地震の恐怖がフラッシュバックしてきて、さぞ恐ろしく感じられた事だろうことは想像に難くない。


今回は私自身の反省も込めて、ネガティブな話に同調しないようにすることがいかに大切なのかを書いてみたい。

先日の東日本大震災で甚大な被害を被った東北沿岸部の方々の苦しみ、被災で失った沢山の命を考えると、本当に心が痛み、悔しいやら悲しいやら虚しいやら、本当にありとあらゆるやるせない気持ちでいっぱいになる。これは同じ日本に生まれ、同じ日本を生きる国民にとっては当然の思いであろう。

私自身は、正直地震の直後からだんだん風邪の症状が重たくなり、2~3日高熱にうなされていたので、 当時は自分自身の風邪を早く治すことばかりに頭が行き、地震の被害の酷さをまだ受け止めきれていなかった。

しかし風邪が大分落ち着いて、意識がはっきりすると、どんどん地震の被害の悲惨さが心の中に入ってきた。

しかしそれでもまだ、芯はしっかりしておかなくちゃいけないという意識を持っていたので、同調するまでには至らなかった。

ところが。

私の介護の職場の利用者さんで、親族が津波被害に遭った場所に住んでいて、未だに連絡が取れないと涙ぐんだのを見て、私も思わず涙が滲んできて、ほんとに不意に同調した形になってしまった。

また、友人と大震災の話になった時にも、地震直後の津波被害の状況について聞いた話をリアルに話してくれながら涙ぐんだ友人を見て、思わず同調してしまい、その光景を想像しながらちょっと苦しくなってしまった。

そういう事が重なると、もうひとたまりもない。

私のように氣について敏感になっている人間は、ネガティブな意識に捕われると、今度はどんどんどんどんネガティブな氣をもらい易い方向にいってしまうらしい。

風邪が完治したというのに、今度は左の肋骨の辺りの筋肉だか神経だかが、日が経つにつれてだんだん痛くなり、酷い時はおじぎをしたり、背中を反らせたりするだけでも痛みを感じてしまうようになった。

靈氣の勉強に出かけた時がピークで、仲間には、「今は本当に人々の混乱したエネルギーが充満しているから、そういうのを無意識に受けてしまっている可能性があるかもね」と言われてしまった。

仲間の殆どは、大震災の後の、将来を心配したり、この先どうしようともがいたり、やっぱり地球は崩壊するかもと考えるというような、ネガティブで混沌としたエネルギーが街に溢れているのを感じているという。だから絶対に同調しないように、丹田に意識を下すように心掛けていると言っていた仲間もいた。

ピークの後、とにかく一生懸命空いている時間に自己ヒーリングをしていくと、大分痛みが落ち着いてきた。

しかし、その後ちょっといろいろ個人的に考え事をしてしまったのが祟ったのか、今度は咳が出始めて、痰がまた絡むようになってしまい、肋骨の痛みのある部分に響くようになってしまってまた困ってしまった。

こんなに混乱したエネルギーが溢れている時に、単に地震とは関係ない個人的なことでさえも、悩んだり考え込んだりしてしまうと、たちまち同じような波長のエネルギーが近付いてきて、無意識的にでも同調してしまうようだ。

こんな時は、やたらめったら悩んだり考え込んだりすることさえも、控えなければならないと真面目に思った。

そして氣を楽にして、なるべく楽しいことだけを考えるようにしていったら、少しずつ咳も減っていった。

まだ完全ではないが、このままネガティブな思考に陥らないようにすれば、今の状態から解放されるだろう。


大震災で家族を失ったり、行方不明者を出したりしたような方々と話をする場合には、本当に氣を付けなければならないと思う。

確かに人の辛い話を聞いたら同情したくなるだろう。また、同情してあげた方が本人からも、同情してくれてありがとうと思ってもらえる、なんて考えることだろう。

しかし、それは間違いなのである。

私は以前、友人の一人に自分の過去の辛い話をした時に、思わず友人が涙ぐんだのを見て、「自分の話で泣かせてしまった。悪いことをしてしまった」と思ったものである。確かにその時は、同情して欲しいという氣持ちで話してしまったのだが、いざ泣かせてしまったら、なんだか急に申し訳ない氣分になった。そしてもう人前で自分の辛かった過去の話(特に涙を誘うような話)をするのはよほどでない限りしないようにしよう、と誓ったのだった。

自分の経験上で言えることは、人の辛い話を聞いた場合でも、絶対に同調してはいけない、ということである。

仮に相手が同情して欲しそうな様子を見せていたとしても、表面上で同情するフリをするだけにとどめなければならない。これは一見非情な人間に見えるかも知れない。しかし、自分自身がそこに同調して、共倒れになってしまうのはお互いにとってもっと良くないのである。

表向きでは、「そうだね、そうだね」と頷きながら聞くとしよう。しかし自分自身の軸は絶対にブレないようにしなければならない。あくまでも、ネガティブモードに陥らせるような話は、右から左へと聞き流さなければならないのである。同情して、同調して同じ辛い氣持ちを共有するのが美徳だと誰からともなく洗脳されてきた節があるけれど、それは実は大きな間違いなのである。

ただし人の辛い話を聞いた時に、自分自身も同じような過去を持っていた場合、これは同調し、一緒に泣くということで心の浄化ができる場合がある。だから話の内容次第なのであるが、単純に、自分自身をネガティブモードに陥らせ、何の解決策も生み出さないような話だとしたら、それには心の底からは乗ってはいけない、ということである。

もちろんポジティブな話ならどんどん同調すべきである。楽しい話、嬉しくなるような、なんとなく心がほっとするような、癒されるような、幸せになれるような話は、どんどん聞き入れ、受け入れ、味わうべきである。

どんな話を聞くか、という事さえも、自分の選択の1つなのである。

いろんな情報が溢れている今こそ、どの情報を取り入れ、どの情報をそぎ落とし、真実に近付いていくか、ということさえも、私達の魂の浄化への過程の重要な要素なのである。

だから、情報を取捨選択していく、という作業をないがしろには絶対にできない。

人の話は、聞きたいことも聞きたくないこともいろいろ入ってくるだろう。しかしそれをどう受け止め、またどう受け流すか、ということ1つとっても、自分の波動の上昇に大きく影響するのである。

その作業をする時が、どれだけ自分の魂が磨かれているかを知る1つのスケールとなる。だからどんな情報でも、どんな話でも、耳に入ってきた以上は、まずは受け止め、そしてその内容のどの部分を取り入れ、どの部分をシャットアウトするかを常に瞬時に能動的に判断していく必要があり、それが結果的に心の自立への大きなステップとなるのだ。

今回、私も東日本大震災という未曾有の混乱を招くような体験をして、思わず隙ができてしまい反省しきりである。これを機に、私自身も益々軸がブレることのないように、いつも丹田を意識して、自分を見失わないようにして一歩一歩前進していきたい。

人の辛い話を聞く時は、相手と同じ目線で受け止めつつも、一歩離れた視点で冷静に聞きましょう。

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2011年3月21日 (月)

東北関東大震災による影響

3月11日に起きた東北関東大震災の影響は、今も尚続いている。

私は関東圏の人間だが、やはり深刻なのがガソリン。

もう少しで供給は通常に戻るのではないかと思っているのだが、今はまだどこのガソリンスタンドを回っても、大概品切れでロープが張られて全く従業員がいない空の状態か、或いは超長蛇の列を作って供給を待っている車に対応しているか、そのどちらかしかない。

私のように幼い子供がいると、仮に開いているガソリンスタンドに巡り合ったとしても、数時間も待つのは子供が先に待ちくたびれてギブアップしてしまいそうである。

私は自家用車を使って訪問介護の仕事をしている為、ガソリンがなくなったら仕事ができなくなってしまう。

なので、ガソリンが約4分の1になってきたところでいよいよ焦りだした。

しかし、仕事の合間にガソリンの供給なんて不可能だし、夜走り回るのは子供がいて無理だし、でも旦那はこんな地震の最中でも仕事が忙しい為に帰りが遅いし、八方ふさがりじゃん!と嘆いていた。

と、思ったら、旦那がその日に限って随分早く帰宅しているではないか。

その日はまた大規模停電が起こるかも知れないからと、早く帰されたという。

じゃあ早速ガソリンスタンド回ってきてとお願いした。

でもやっぱりどこを走ってもなかなか見つからないらしい。

そこで旦那がとあるスタンドに車を停めて、そこの従業員に実状はどうなっているのかと問い質したという。

そしたら、ガソリンそのものは既に全然あるのだけれど、警察の許可が下りないと売ることができないのだという。

警察は、どこのスタンドも売り出し始めたら、道路が大渋滞になってパニックになってしまうのを警戒しているのだという。

なるほどね~。

と、旦那がそういう話を聞き出している間、ずーっと車のキーを掛けっぱなしにしていたという。

そしたら、なんとバッテリーが上がってしまい、従業員に他の車を出してきてもらってバッテリーを復活させようとしても全然ダメで、結局バッテリーを交換する羽目になってしまったのだという。

そしたら、その状況を不憫に思ったその従業員が同情して、今回は特別だよ、と秘密裏にガソリンを入れてくれたのだという(苦笑)。

ケガの功名とはこのことか( ̄Д ̄;;

まあなんと高いガソリン代だろう(笑)

ただでさえリッター158円になってたというからほんとに高い(ρ_;)

でもお蔭様で、しばらくは仕事にも影響せずにやっていけそうである┐(´д`)┌ヤレヤレ


あとは計画停電。

これはいつまで続いていくのだろうか。

1日2~3時間の話だから全然我慢するのは構わないが、やはりいつまでこれを続ける必要があるのだろうか、というのは氣になるところではある。


そして、福島第一原発の事故による放射能の影響。

現在様々なところがで波紋が広がっているが、これに関しては前述した通り、とにかく冷静に受け止める必要がある。

これについては別記事でまた書きたいと思う。

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