高千穂・阿蘇

2011年7月30日 (土)

高千穂・阿蘇ツアー3日目

遂にツアー最終日になってしまった。なんだかあっという間の旅だったが、でもどれももの凄く自分にとって意味があり、充実した時間だった。


3日目は朝から快晴だった。またも師匠が、こんなに行きも帰りも晴れていたのは滅多にないことだと驚いていた。しかし、今日はもう登山にする予定はなく、主に神社巡りを中心に行こうということになった。

3日目の最初に向かったのは、あざみ台展望所というところ。ここから阿蘇山や久住山が一望できる。


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あざみ台展望所から撮影 ↑


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阿蘇山一帯が見渡せる。てっぺんに雲がかかってるのが惜しい ↑


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反対側には久住山系がそびえ立っている ↑


ほんとにここは見渡す限り、山・山・山のオンパレード! こんなに壮大な景色に囲まれて、氣分は最高。身も心もクリアになって、より魂の浄化が進んだと感じた。みんなでここの展望台に設置されているアスレチックを楽しんでから、次なる場所へ移動した。


次に赴いたのは、手野の名水というところ。地元で愛されている癒しの水だそうな。


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手野の名水をペットボトルに持ち帰った。
とても澄んでいて清い味 ↑


阿蘇の自然の湧水を楽しんだ後は、国造神社にてお祈りをさせて頂いた。ご奉神は、健磐龍命の第一子である国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト)様だが「国造(くにつくり)大神」で良いとのこと。ご神霊は龍神様だそうだ。国造神社は阿蘇神社の本宮であるものの、阿蘇神社の北方にあるので、”北宮”とも呼ばれる。


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この階段を昇ると拝殿が見える ↑


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拝殿にてみんなで平和の祈りを奉上させて頂く ↑


こういう由緒ある神社へやってきて、さりげなく祈りの文句を捧げることができるというのは清々しい氣持ちになれて良いと思った。別に決まった文句を覚える必要もないけれども、神社にやって来た時に、自分の欲望を満たすためだけの現世利益を願掛けするのではなく、大我の精神でこの世の安泰を無心で願い、自分の言葉でお祈りができたら、それだけで自分の心は浄化されるだろう。


祈りの後、国造速瓶玉命お手植えの杉を拝見。国の天然記念物に指定されているという。お手植えの高さ48m・胴回り15mk・樹齢2000年だそうな。


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江戸時代までは男女2体の杉があったが、
男杉は落雷に遭い伐採されてしまったとのこと。
写真は女杉 ↑


国造神社を跡にして、お次はそのまま阿蘇神社へ向かう。こちらのページから阿蘇神社について引用すると、

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<健磐龍命神社/阿蘇比咩神社⇒阿蘇社→阿蘇宮→阿蘇神社>
名神大社、888年以後は大神宝使発遣対象社。
第7代孝霊天皇御代 孝霊9年(紀元前281年)6月勅命により、神武天皇の御子である神八井耳命 (カムヤイミミノミコト)のまた御子である健磐龍命(タケイワタツノミコト)=阿蘇大明神-一の宮)を主神とし、御妃神である阿蘇都媛命(アソツヒメノミコト=二の宮)、阿蘇初代国造である国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト=十一の宮)及び近親十神を含めて十二神(12宮)を祀る神社として創建されました。
その昔、阿蘇大明神は満々とたたえた湖水を外輪山の立野付近を蹴破って水を流し阿蘇を開拓しました。第12代景行天皇は国造速瓶玉命の子惟人に命じて神社を創建させたと伝えられます。(肥後国誌等)

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とある。しかし健磐龍命(タケイワタツノミコト)のwikiにも書いてあるように、神武天皇の孫として、天皇家の一族として組み込まれていることになっているが、実はそれは天皇一族が日本を支配した後に書き換えられた情報ではなかったか。私は師匠の仰ることに照らし合わせても、この健磐龍命が元々の阿蘇山の神様であり、日本の古来から、天皇一族の征服に遭う前から阿蘇一帯を統括し、阿蘇を発信地として、日本全国を取りまとめた重要な人物だったと直観してはばからない。また更に調べることには、地元の人からは、健磐龍命は阿蘇都彦と同一人物だとされている。阿蘇都彦は阿蘇の先住民だとされている。つまり、健磐龍命が阿蘇の先住民だったということになる。すると、後から入ってきた天皇一族の孫とするのは理解に苦しむのである。


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阿蘇神社の立派な楼門。日本三大楼門の1つ ↑


また、境内には、阿蘇高砂の松(えんむすびの松)があって、女性は右から2回まわる、男性は左から2回まわることで祈願になるという。女性陣がみなこぞって松の周りを回った。そして私もどさくさにまぎれて回ってみた(笑)
・・・と、師匠にしっかり見つけられ、「なんで回ってるのかい~」と尋ねられ、「全ての縁に、です」と答えた(^-^;


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これが縁むすびの松。なんだか効果ありそう ↑


阿蘇神社で参拝した後は、師匠が阿蘇みんなの森オートキャンプ場へ連れていってくれた。別にみんなでキャンプを楽しむ為に行ったのではない。このキャンプ場には隠された歴史を語るものが存在しているのである。
それは昭和天皇が植えられた3本の杉の木である。


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これが昭和天皇のお手植の杉 ↑


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この説明板に杉が植えられた理由が
書かれているが… ↑


上の写真の説明板によると、既に訪れた国造神社の巨大な杉の木から採穂して養成した杉の苗木を植えた、とある。何故国造神社の巨大な杉の木の苗木を使ったのか。これが深い意味を伴うのである。

師匠が説明してくれたことによれば、実は、この3本のお手植え杉の向こう側にそびえ立っている丘には高塚といって、阿蘇の先住民で、阿蘇一帯を統括した所謂神様のお墓があるのだという。そして、そのお墓を弔い、魂を鎮める為に、この杉の木を植えたというのである。


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3本のお手植杉の向こうにある丘には
阿蘇の神様のお墓が ↑


この高塚は、以前は登ることができたそうだが、近年になって登ることを禁じられてしまったそうだ。しかも、他にも天皇自ら植えた木々は存在するそうだが、中でもここだけ3本も植えたのもとても深い意味があるという。つまり、阿蘇の神様というのは、阿蘇を発信地として、日本全国を取りまとめた神様のことで、それだけ偉大な存在なのである。その偉大な存在を鎮めるののに、特別な意味を込めて3本もの杉の木を植えたというのである。

師匠は天皇は日本の外からやってきたと言った。更に私も調べて知っていることには、おそらく天皇一族は朝鮮系(もっと突き詰めればユダヤ系ともいえる)である。朝鮮からやってきて日本を事実上支配し、日本の先住民である縄文系アイヌ人は追放されてしまったと考えると話が自然である。

ところで江上波夫(2002年没)という学者が、天皇制の遠い起源が北方ユーラシアのステップ地帯にあると考え、ここから満州・朝鮮を南下した扶余族系の騎馬民族が、ひとまず任那に「辰王国」を建てた後、九州に上陸して大和へ東征し、日本国家の基礎をつくったと想定した騎馬民族征服説を唱えたが、小沢一郎はそれを支持しているそうだ。この説が本当なら、師匠の言っている話とも十分噛み合う。私もこの説を、師匠の話を聞く前から支持している。

こちらのサイトには興味深い平成天皇の話した事が書かれている。以下引用。

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④ 平成天皇がコクった「ご先祖様には朝鮮の王族もいる」

 平成天皇のこの発言に触れて,今日の結論の記述としておく。

平成天皇は「2002年の日韓ワールドカップ共同開催を契機に,両国民の理解と信頼感が深まることを願う」と述べた。そのさい,とくに「古代日韓間における交流の事実,韓国との縁を強調していた」。具体的には,いまでは平安神宮の祭神に祭られている「桓武天皇(第50代,在位 781-806年)の生母が百済の武寧王の子孫である」ことや「武寧王の子である聖明王が仏教を日本に伝えた」ことなどに触れていた。

 さらに,『日本書紀』などには,日本と韓国との人々のあいだに昔から深い交流があった事実が詳述されており,要は「韓国から日本へ移住したり招聘されたりした人々がさまざまな文化・技術を伝えた」という日韓関係の歴史を,いまさらのように,しかもあえて話題にしたわけである。

 平成天皇のこうした「歴史的な発言」は,2002年日韓ワールドカップ開催を目前に控えた時期だったけれども,日本のマスコミには不評だったらしく大きくとりあげられなかった。ただ,3か月経ったころ,Newsweek誌(日本語版)2002年3月20日号が「天皇が結ぶ日韓の縁」という見出しを立てて,その話題をとりあげたに過ぎない。
註記)2006年8月17日検索。『ニューズウィーク日本版』2002年3月20日号「天皇が結ぶ日韓の縁」18-23頁。

 その記事の内容は「日本人はみな同質で,人種的にも混じり気がないという『自画像』を真っ向から打ち砕く」かのように,「日本人の3分の1から半分が,朝鮮人と血縁関係にあると指摘する学者もいる」と述べている(前掲『ニューズウィーク日本版』2002年3月20日号「天皇が結ぶ日韓の縁」21頁,22頁)。

 明仁天皇はわざわざ,「万世一系」「単一民族」の神話に浸っていたい日本国民にはとても衝撃的な,そしてまた「家父長的天皇制」を支持するはずの右翼国粋主義集団には不満の大きい話題を,故意にとりあげた〈節〉がある。なにせ,日本の皇室関係者が「韓国・朝鮮との縁」を公に認める発言をしたことは,いままでなかったのである。

 明治維新以来,日本帝国は「日鮮同祖論」を盛んに流布させ,日本が朝鮮・韓国を植民地支配・統治する正当な歴史的事由として利用したが,いまとなっては恥ずかしいくらい「やぶへび」であった事実が,明治天皇の曾孫の口を借りてあらためて明らかにされた。これでは,日本帝国の優秀性・卓越性を,わざとらしく,かつくだくだしく高揚させてきた国粋主義者にとっては,まったくもって,けしからぬ妨害的な発言を明仁天皇がしたことになる。まさかこの天皇を「国賊呼ばわりする」わけにもいかず,彼らの国家思想にとって非常に面白くない事実を,現職の天皇が指摘したことになる。

 一般的にいえば,天皇家の人間たちにかぎらず日本人はほとんどが,「朝鮮人の血を引くなどという」「古代の歴史的な真実」を想像すらしたくないのである。韓国の俳優,ペ・ヨンジュンたちなどの韓流スターはとても好きだからさておいても,あのゴールド・ジョンイルとかいう21世紀の独裁者とも遠い昔において親戚同士であったとは,思いたくもない。冗談にもならないけれども,これが,狭窄的で卑小な皇室崇敬意識をもっている,一部の日本の人々の正直な(?)気持かもしれない。

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現職の天皇が、朝鮮の血を引いた天皇がいるという事実を堂々と発言したことの意味を感じずにはいられまい。

少しずつ日本人のルーツを明らかにして、アジアで結束して新しい時代に備えようとしているのだろうか。

とにかく、阿蘇の神様は日本を統一した本当の日本先住民族であり、私は後からこのブログを書きながら思ったことには、つまり阿蘇都彦と同一人物なのではないか、と感じている。阿蘇都彦は、地元の人からは阿蘇神社に祭られる健磐龍命(タケイワタツノミコト)と同一人物であるとされている、とは前にも書いたが、つまりそういう事である。そして健磐龍命の子どもである国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト)がお手植えした国造神社内の巨大な杉を苗木にしたものを昭和天皇がこの高塚のそびえ立っているところに3本植えることにより、親の健磐龍命の魂を鎮めたと考えられるのである。

そう考えることにより、今回このツアーに参加した私達の魂が阿蘇にルーツがあるらしいことも、何となく紐解けてくるのである。ここには敢えて書かないけれど…。

前述したように、今は今で、天皇が日本の中心となるべく存在には間違いないのだから、天皇をしっかり守らなければならないと強く感じる。塗り替えられ続けた虚構の歴史が明らかになったとしても、それは過去の話には違いないのだから。

この阿蘇みんなの森オートキャンプ場に関して更に付け加えるならば、ここは神社庁が管理しているだけあって、その理路整然とした木々の植え方や構成が、人々を寄せ付きにくくしていると師匠が言っていた。このキャンプ場そのものが、阿蘇の神様の魂を鎮める為に存在しているようなものだから、である。だからこのキャンプ場をあまり宣伝もしないし、人々が沢山集まるとエネルギーが歪むので、あまり寄せ付けたくないのである。

更に、天皇お手植え杉の手前に、短歌のような文句が掘られた石碑があった。その文句の中には”高原”という言葉があったのだが、おそらく”高天原”であろうと師匠は言った。要するに高天原とは、ここ阿蘇一帯のことを指すことになる。


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あまりに整然と管理されており、
ほんとにキャンプしちゃっていいのか躊躇したくなる ↑


さて、沢山の知識を入れて頭も心も身体も十分使ったなあという頃に、丁度お昼の時間。
立ち寄ったのは、山賊旅路という食堂。高菜めしやだご汁など阿蘇の家庭的名物料理が楽しめる。


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山賊旅路へ到着! 入るとお客でいっぱい ↑


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私は高菜が苦手なので、
山賊めし(五目めし)とだご汁のセットを頼む。
結構な量で全部食べるのがきつく、
少し男性陣に食べてもらう ↑


他の仲間はみんな高菜めしとだご汁のセットを頼んでいた。私は漬け物全般が不得意なので、高菜めしは断念した。だご汁は、だんご汁がなまった言い方のようである。小麦粉を練った平たい団子の入った汁もので、とても美味しかった。汁は味噌仕立てであった。


腹ごしらえをした後は、阿蘇草千里ヶ浜へ向かった。ここは鳥帽子岳中腹に広がる草原で、阿蘇の代表的な観光地である。
反対側に見えるのは、米塚と外輪山である。


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こちらは米塚。杵島岳の孫火山だそうな ↑


米塚は、阿蘇の神様・健磐龍命(タケイワタツノミコト)が収穫した米を積み上げたものが山になったといわれている。

そして草千里ヶ浜の方面を見てみた。元は火口だった場所で、雨水がたまってできた池に、牛や馬が水を飲みに来るそうだ。草千里の景色を眺めているうちに、他の仲間達で、またもやUFOを発見したとのこと。何でも、シルバーの色と白い光を交互に出しながら横に動いていったとか。もしかして、昨晩見たUFOの1つか?

と、思いながらも今度は私は見れなかったと残念に感じつつ、この草千里の景色を何気なく写真に収めた。
そして後から撮った写真をチェックしてみると…。


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なんと、草千里ヶ浜の景色を写したら
UFOが写りこんでいた! ↑


この写真に写っているのは、どう見てもUFOに違いない! 鳥にしては羽が短くて胴体が大きすぎるし、飛行機でこの形はありえない。先に皆が見たというUFOが、私のカメラの前に出現していたのかも知れない。

もちろん、写真を撮ろうとする時は、この飛行物体の存在には全く氣付かず、ごく普通にこの景色を撮ったつもりだったのである。なので余計に驚いた。

写真にUFOらしきものを収めたのはこれが初めてである。やはりこれだけ神聖な空間である阿蘇は、宇宙人も興味津々の場所に違いない。

少々興奮ぎみに草千里を跡にして、次に訪れたのは、両腕を失いながらも絵と言葉を作品にして感動を与え続ける阿蘇のアーティスト大野勝彦氏の「風の丘」という名の美術館。


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「風の丘」の入り口前。作品を見ながら思わず涙 ↑


大野勝彦氏は、農作業中に機械で両腕を失ってしまったが、その出来事をきっかけに、詩や絵で作品を作り始めたという。一つ一つの文句と、添えられる表現豊かな絵が涙を誘う。大野氏の作品中に一番出てくる文句は、「ありがとう」と「笑顔」だった。ほんと、その2つさえ心から表現できれば、世界中のみんなが仲良く暮らしていけるのになあって思った。

この美術館で更に心を浄化し癒されて、最後に火の山温泉どんどこ湯へ入って身体まだ癒された後、阿蘇の空港を20時前に発った。


この3日間、本当に意義深く濃厚で不思議で神聖なツアーをたっぷりと満喫し切ったという感じ。物凄くまた知識が増えただけでなく、今まで自分が直観でこれが真実だ、と思ってきた事が、師匠の話と多く一致するところがあり、更に自信がついてしまった。もちろん師匠とニュアンスの違いや解釈の違いはあるけども、事実の捉え方は殆ど一緒だった。うーん、やっぱ師匠とも深いご縁があるのだな、と改めて思わせて頂いた。


この旅の記録をここに書くことができて良かった。
眠いけど…つД`)

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2011年7月24日 (日)

高千穂・阿蘇ツアー2日目

いよいよ高千穂・阿蘇ツアー2日目。この日はもし晴れたら山に登ろうかと師匠が言っていたのだが、あいにくの曇り空で、時々雨が降りかかる感じだったので、阿蘇のパワースポット巡りと温泉ツアーのような行程になった。

私自身、最初はプチ修行系なのかと少々覚悟したツアーだったが、神の計らいにより、今回のツアーは皆でゆったりのんびり良い氣を浴びて、また沢山の知識を得てきなさい、といったメッセージがあるのかなあと感じた癒しの旅となった。

とはいっても、阿蘇そのものが山のような気候で、いつどこで晴れたり雨になったりするか分からない。とにかく龍神様の氣分次第なのである。


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2日目早朝の久住高原コテージからの景色。
曇り空だが見晴らしが良く涼しくて氣持ちがいい ↑


九州にやってきたというのに、正直な話、朝晩は関東よりも全然涼しく、人によっては寒いと訴える人もいるくらいで、とにかく空氣が澄んで居心地が良かった。関東のようなムンムンとした不快な湿気はあまり感じられなかった。但し、太陽が出ると日差しは強いので、すぐに日焼けしてしまう。

当ホテルでビュッフェスタイルの朝食を摂った後、9時頃にホテルを出発し、まずは阿蘇のカルデラを見に行った。


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世界でも有数のカルデラとされる阿蘇のカルデラ。
阿蘇山のふもとに広がる田園地帯が陥没した所 ↑


実は師匠もここで生まれ育ったそうだ。
師匠の話によれば、この阿蘇一帯の岩盤は水晶で成り立っているそうである。水晶は以前にも書いた通り、エネルギーの増幅装置の役割がある。つまり、岩盤が水晶になっているということは、この辺一帯はエネルギーが増幅されて大変良い氣に満ち溢れているので、植物も生き生きと生い茂り、良い作物が採れ、従ってこの土地に住む人々もとても元氣に暮らせるということであろう。

阿蘇のカルデラができるまでの詳しい話はこちらを参照されたい。

阿蘇山とは、阿蘇のカルデラ内部の山々の総称を指して呼んでいるものであり、実際には、根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・霧島岳で成り立っている。本当はこれらのうちのどれかの山に登ろうとしていたのだが、師匠の経験上、毎回阿蘇に行って登れたためしがないのだという。それだけすぐに天気の崩れやすい場所で、逆に言えば龍神様に立派に守られている聖域とも言えよう。


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噴火の際の火砕流が山麓を急速に流れて、
このような窪みができたという ↑


これらの絶景を堪能しながら、師匠が話してくれたこと。それは、地軸がいつの日か反転して、大きな津波がやってきたら、完全にこのカルデラ一帯は海になるだろうということだった。しかし、それが実は地球が元の地形に戻ることを表しているというのである。つまり、地球の元の形とは、この辺一帯は海だったということである。

地軸が反転する現象(ポールシフト)が起こったら、地上に顔を出すのは、この辺一帯では阿蘇山しかないということになろう。できるだけその時期を引き伸ばし、その間に1人でも多くの人間が真実に目覚めて、生き抜く事を選択して欲しいと切望する。

しばらく皆でカルデラの絶景を眺望した後、今度はパワースポットとして有名な、押戸ノ石(オシトノイシ)へ向かった。


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押戸ノ石へ向かう途中で沢山の牛君発見♪
たま~に氣品ありげな馬も見かけた ↑


少々雲の多い天気だったのだが、押戸ノ石へ向かう時に、お日様が顔を出し、どんどん青空が見え始めた。到着した頃には快晴だった。押戸ノ石へ向かう道はとても細く、また玄人でも見過ごしてしまいそうな小さな脇道を車で入って、更にくねくね道をどんどん昇っていくのでかなりアドベンチャーな氣分だった。


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ピラミッドを思わせる不思議な巨石。
磁場の狂う箇所があるそうだが良く分からなかった ↑


上記の写真が押戸ノ石の石群の中で最も大きい石で、注連縄がしてあった。皆でゆっくり石に触れながら1周した。磁場の狂う箇所があるそうだが良く分からなかった。しかし確かに暖かくしっかりとしたエネルギーを放っていることはよく分かった。


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押戸ノ石について説明書きがあった。 
シュメール文字のペトログラフはかなり風化が激しく、
見つけるのは難しかった ↑


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他の石群もあらゆるところに存在していた。
押戸ノ石は阿蘇の外輪山の草原の丘にあり、
360℃の絶景は目を奪われるようだった ↑


上記の写真の通り、とにかく景色がすごい。阿蘇山も久住山もその他の有名な山々も見渡せる。こんな時に快晴にして下さった龍神様にまたもや感謝。


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皆も思い思いに好きな石の上に乗っかって、
石のヒーリングエネルギーに癒されていた ↑


私も居心地の良さそうな、寝てもごつごつしないような石を探して寝そべった。ちゃんと帽子で顔を隠したのにもかかわらず、後から皆に「顔も焼けたね!」と言われてしまった(--; 日焼け止めを塗った両腕も、見事に焼けた。やはり九州の日差しの強さは油断できないと思った。

この場所には結構長くたたずんでいた。賞味約2時間くらいいたかも知れない。2日目のツアーはこの押戸ノ石がメイン中のメインとなった。

正午もとっくに過ぎて、いよいよお昼の腹ごしらえ。師匠が案内してくれたのは、戸無のそば屋というところ。


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今回は看板しか写せずw
カメラをお店に持っていくのを忘れてしまった ↑


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という訳でここから写真を拝借
”無量寿”というお勧めの蕎麦定食を堪能 ↑


ここのお蕎麦は”蕎麦のダイヤモンド”といわれるくらいに輝いており、またコシも強く、かなり奥まった場所にあるにもかかわらず、客足が途絶えないことで有名なお店なのだそうだ。実際に食べると本当に美味しかった。この辺はお水そのものが良いのでどの料理も美味しくなるのだろう。

しかし今回私達がこのお店にやってきた時には、何故か待つことなくすんなりと全員お座敷に通してもらうことができたのは不思議だった。また、押戸ノ石を跡にした時はまだ快晴だったのにもかかわらず、ここのお蕎麦屋さんに到着した瞬間に雨雲がやってきて、お店に入った頃には雷がごろごろ鳴り出し、大雨が降り出した。師匠曰く、「龍神様がここでお蕎麦をゆっくり食べてのんびりしなさいと言ってくれているのですね~」とのこと。

1日目もそうだったが、いつも絶妙なタイミングで雨が降り出す。なんだかんだ私達が雨にずぶ濡れになって大変な思いをすることはないのだった。

という訳で、ここでもゆっくりのんびりまったりさせて頂いた。ともするとかなりいい時間。雨が大分小雨になってきた頃に、ここを跡にして最後に向かったのは、関東ではとんと見かけない100%天然温泉の”コイン風呂”だった。

”コイン風呂”といっても、阿蘇には沢山のそれが存在している。私達が行ったのは守護陣温泉というところ。15棟の景色の一望できる露天家族風呂があり、先に受付でお金を支払った後、蛇口をひねって、岩風呂の浴槽に温泉を貯めてから入る。つまり完全に新鮮なお湯を楽しめるのである。50分で出なくてはならないが、その時にお湯は捨てる。毎回毎回新しい天然温泉に入ることができる温泉は、この辺では当たり前のようにいくつもあるのだそうだ。


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私達は守護陣温泉の西の湯1を選択。
新鮮な天然温泉で心身共にほっこり♪ ↑


なんだかこんなに楽しんでしまって家族に悪いナアと思いながらも、このツアーに参加させてもらえた事を本当にありがたく思った。


帰宅して、久住高原コテージの夕食を再び満喫。

その時に、どういういきさつからか、師匠と、世界中で起こっているあらゆる出来事の真相や歴史的背景の実像について話を交わすことができた。そして話を交わしながら、ああ私がこのブログで書きためて来た話は、殆ど間違っていなかったんだな、という事も分かった。私は世界の実状について、特に師匠に根ほり葉ほり聞いてきた訳ではなく、自分でどんどん調べて、直観でこれだと思った事を書いてきたのである。もちろん、師匠と解釈やニュアンスの違いはあったりはするが、私の方が、政治にも国民にもまだ一筋の希望を見出したいという穏やかさが含まれている部分で違うだけであり、事実的解釈はほぼ同じだった。

しかし、その一方で、私は江戸時代以前のことはまだ不勉強だったので、そこの部分でいろいろと知ることができたのが良かった。

なかでももっとも重要だと思われる話が、江戸時代を制圧していた徳川幕府に追いやられてしまい、今も尚山奥でひっそりと暮らしている民族(先住民的存在)のことである。昔、神様といわれた崇高な人々は実在していた。しかし幕府によって全国を征服された際に、その神様なる存在がうっとおしいが為に、鬼と称して山奥へ閉じ込めてしまったのだそうだ。現在も尚習わしとして残る”節分”があるが、本当の”節分”は、鬼と称された神様に少しでも食糧を分け与えて差し上げる為に、保存の効く炒った大豆を、退治すると表向きは言いながら、投げ与えて差し上げる儀式のことを指しているのだそうだ。それがいつの間にか、邪気を祓う為の儀式という形でまかり通ってしまったという。

この話を聞いたら、もう悠長に豆まきを楽しむことはできまい。今でも神様なる存在は山奥で子孫を残しながら家族で生活をしているのだそうだ。師匠がある時迷い込んで、阿蘇の山の細い脇道に入ってしまい、車で入ったものだから戻ろうにも戻れず、とりあえず行き着く所まで行ってみたところ、かなり山奥まで進んだ辺りに、一人の男性が電気やガスもない薄暗い場所で家族と住んでいたのを見たことがあるのだという。その男性は鋭い目で師匠を睨みながら、獲ったウサギを手に提げて家に入っていったそうだ。

私達には、まだまだ知らない事が沢山あるのだという事に改めて氣付かせてもらった。後から自分で調べたことには、日本全体に、縄文アイヌ人が生息していたようである。つまりアイヌ人は北海道だけの先住民族ではないということだ!! そのアイヌ人が、まずは天皇一族に征服され、その後幕府に更に追いやられ、完全にアイヌ人は日本には元から存在していなかったものと見なされてしまった。日本人は単一民族なんかではない。しっかりと縄文アイヌという先住民が存在していたということになる。

と、そこまで断言している他のサイトはなかなか見当たらないので、私の直観ということにしておくが、きっとそうに違いない。そう考えると辻褄が合うからである。

天皇一族が元から日本一帯に生息していた先住民的存在ではない、ということは師匠の話でよく分かった。しかし、だからといって今の天皇家を否定するつもりは毛頭ないし、寧ろ、最後の現人神的存在として、日本を一つに取りまとめる力のある唯一の存在として、天皇をしっかり守っていかなければならないのだという事を痛感した。

その辺に関する話は、また3日目のツアーに関する記事を書く時に触れたい。


ところで、この日も結局夜は雲が多くなってしまい、満天の星空を露天風呂から見上げることが叶わなかった。しかし、その後で奇跡が起きた。師匠ら男性陣の部屋に集まって、引き続き世界の実状について話を交わし、もう夜中0時を回ってしまった。話を切り上げて窓から空を見上げると、なんと、星が出ているではないか!

皆で外に出て、無数の星という訳にはいかないものの、主要な星座が見られる程度の星空を眺めて、「夕食の後に星空が見られるように祈ったのが届いたんだね!」と部屋仲間の女性と喜んでいた。

・・・と、思ったら・・・。

なんと、地平線のすぐ上を、一つの光が定期的に点滅し続けているではないか。そしてたまに横に動いたり、戻ったりするではないか。

「あれはUFOだね」と師匠は言った。

しばらく見ていると、点滅しているUFOらしき物体の横に突然強い光が現れたり消えたりした。また更に逆側にも強い光が現れたり消えたり…。師匠曰く、点滅している物体の先に自衛隊があるので、何か交信でもしているのかも、とのこと。

また点滅している物体の斜め下の地上に近いところにも光る物体があったし、空の割と高い箇所にも、星にしてはちょっと光が強いしふらふら動いているように見えるなあと思う物体があった。

流石に時間も遅かったので、しばらく見たら皆が引き上げていったので、私も部屋に戻った。しかし窓から点滅している物体がまだ見えたので、思わずまた見続けていたら、空高くにあった光と、地上近くにあった光がいつの間にか消えてしまった。そしてまた点滅している物体の両脇に強い光が現れては消えたりを繰り返した。

結局全部で5機のUFOがあったことになる。

こんなに一氣に5機のUFOを見たのは初めてである。

でも師匠は夕食時、「地球がどうしようもない状態になる頃には、数えきれないほどのUFOがやってくるから、それを見ても驚いて怖がったりしないようにね~」なんて言っていた。UFOに乗っているような存在は、私達地球人よりも遥かにレベルの高い魂であり、いつでも地球を観察して見守り続けてくれている存在である。だから殆どの宇宙人は悪さをする為に地球にやってくるのではないだろう。

今回は本当に神秘的な体験をいろいろさせて頂いた。おまけにUFOまで見ちゃって…。私も精神世界を勉強する者として、スピリチュアルな感覚がかなり研ぎ澄まされてきてしまったかも知れない、とわれながら思う。

そして最後の3日目のツアーも、なかなか密度の濃い旅となるのであった。

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2011年7月20日 (水)

高千穂・阿蘇ツアー1日目

7月12日~14日まで、念願の高千穂・阿蘇へ行ってきた。師匠の現在のふるさとであり、同時に私達の魂がはるか昔に暮らしていたふるさとでもあるらしい。

この旅は、私達の魂のルーツを辿る旅だったと思えるような、非情に濃厚な意味のある旅だった。と同時に、自然と自分の魂が浄化され、細胞が活性化され、みなぎるパワーを頂くことができた。更に師匠や仲間とこの時代までの裏の流れについていろいろお話を伺い、自分自身、更に知識が増えてしまった。

更に更に、最後の夜にはUFOを一氣に5機見てしまった。しかもみんなで。だから嘘なんかじゃない。

今回の旅の記録を私のブログに綴っておきたい。


高千穂・阿蘇ツアー1日目。

かなりの早朝に羽田空港を飛び、阿蘇へ向かう。

天気は晴れていた。師匠曰く、初っ端からこんなに天気がいいのは珍しいとのこと。阿蘇は何度行っても、雨降りや曇りになることが殆どなのだという。阿蘇を満喫するのにもすぐに天候に左右されるので、それだけ日本の中でも奥深い場所だそうだ。

天気が良く、景色がよく見えるので、レンタカーを降りて景色を一望。


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阿蘇の絶景を堪能。遠くに見える山は雲仙普賢岳 ↑


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これは車中から撮影。阿蘇山がそびえたっている ↑


いきなり天候に恵まれ、絶景を拝めるのは、やはり神に呼ばれたのだなあと思わずにはいられなかった。

阿蘇では畑や田んぼに農薬や化学肥料を使わないのが当たり前なのだという。当然、途中寄った萌の里でお弁当を買った時も、農家のおばちゃん達が片手間に作ってくれているものばかりで、当然添加物など一切入っていないものばかりだった。


お弁当を持って、最初に訪れたのは、高千穂にある天岩戸神社だった。すると、突然雨が降り出す。あんなに晴れていたのに、急に雨雲が出て雨が降るとは。師匠曰く、「龍神様がやってきて下さり、私達がこれから天岩戸神社を案内してもらうのに、邪魔なものを祓い、神聖な空間にして下さったのだ」とのこと。雨が降っている間に、お弁当を食べ、腹ごしらえをした。すると、みんなが食べ終わった頃に丁度良く雨が止んでくれたのだった。本当に不思議な天気の変化だった。


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これは天岩戸神社の鳥居。
天岩戸そのものは撮影禁止だった ↑


天照大神(アマテラスオオミカミ)の岩戸隠れの伝説があまりに有名で、パワースポットとしても知られるこの神社。詳細はこちらを読んで欲しい。
(天照大神が御隠れになったとされる天岩戸は、現在は洞窟のような形をとどめておらず、殆ど崖に草がぼうぼう生えているような状態だった。しかしそこは御神体として崇められ、誰もそこに立ち入ることは許されていない。)


最初に高千穂を訪れたのは、やはり天孫降臨の伝説の土地であり、日本の八百万の神様が集って日本国を良くしようと立ち上がった場所であるからであろう。

あろう、というのは、このツアーは、殆どミステリーツアーで(苦笑)、阿蘇の空港に到着してから、全て師匠が神の御意志に従って組まれるツアーだから、私達はどこに連れていかれるか分からないのであるΣ(;・∀・)

こちらに天孫降臨について記載があるので引用しておく。

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~天孫降臨~ 高千穂
天上界を治めていた天照大御神(アマテラスオオミカミ)は地上の国治が乱れている事を知り、孫にあたる迩迩芸命(ニニギノミコト)を地上にお降ろしになる。(天孫降臨)
迩迩芸命(ニニギノミコト)は多くの神を従え地上、日向、くしふるの峰へ降り立ちますが、そこは深く雲がたちこめ、昼とも、夜ともわかないほど暗く、道も見えないありさまでした。
そこへ2人の里人が現れ、「御手で千の稲穂を抜いてモミにし、四方に投げ散らせば、きっと闇が晴れるでしょう。」と申し上げた。
迩迩芸命(ニニギノミコト)がそのようにモミを撒き散らすと たちまち辺りの闇は解け、晴れ渡ったという。
やがてこの地は、迩迩芸命(ニニギノミコト)の言い伝えにより「智穂(千穂)」となずけられ、そして高千穂と呼ばれるようになったという。
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その後、この神社より徒歩でしか行けない天安河原へ向かった。

天安河原についてもこちらから引用しておこう。

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日向神話より 天岩戸のお話し

 世界の陽性と正義と平和を象徴する太陽の神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、弟の荒ぶる神、須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴ぶりに耐えかねて、怒って岩屋の奥に隠れてしまい、世は闇に閉ざされてしまった。

 困った八百万(ヤオヨロズ)の神々が今後の対策を練ったのが高千穂の天岩戸神社より少し歩いたところにあるここ天安河原(アマノヤスガワラ)です。
八百万(やおろず)の神々は天安河原に集まって相談した末、岩屋の前で宴会を開くことになる。
芸達者の天鈿女命(アメノウズメノミコト)が賑やかに舞い踊り、それを肴にみなでその周りで宴会を始めた。
その騒ぎに興味をしめした天照大御神が岩戸を少し開いたところを手力雄命(タヂカラオノミコト)が岩戸を開け投げ飛ばし、世に再び光が戻った。

・・・という古事記にかかれた日向神話の舞台が、ここ天安河原といわれているのです。
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天安河原の風景。涼やかで厳かな空氣を感じた ↑


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超でかいミミズを発見! 思わず撮影w ↑


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河原の水はとても澄んでいる。仰慕窟へ向かう ↑


仰慕窟(ぎょうぼがいわや)という洞窟の前にあるのが天安河原宮であるが、私達がここまで来た時、先頭にいた師匠が、おもむろに邪気切りの呪文を唱えた。それから天安河原宮まで進んでいこうとしたのだが、師匠が突然踵を返して、戻ってしまい、私達もそれに従った。
後から聞くことには、沢山の人の念が集まり過ぎて、とても危険すぎて近付くべきでないと判断したとのこと。確かに、ここは石を積み上げて願い事を成就させるという習わしがあり、その積み上がった石が無数にあり、その念が溜まりこんでいるようだった。
私達のように靈氣を取り込みやすい身体の状態になっている場合、そうした念のたまった場所に行くとどうしても受けてしまい易いのである。だからこそ、受けにくくなるように今勉強している最中なのだが。

なので当然写真を撮るのもまずい感じで遠慮して、天安河原を跡にしたのだった。


次に訪れたのは、高千穂神社。

垂仁天皇の時代に創建されたといわれる神社。
高千穂八十八社の総社で、樹齢800年以上といわれる2本の秩父杉がパワースポットだそうだ。
人々を苦しめていた鬼八三千王を三毛野命が退治したことで、「十社大明神」として三毛野命と妻子神が祀られたのがはじまり。


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秩父杉の手前に良く氣の流れる場所があった。
師匠が教えてくれた場所の上に立つと、
自分が一瞬持っていかれそうになった ↑


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これが有名な鎮石。良い氣が溢れているとのことで、
皆で鎮石の前でお祈りをした ↑


私達仲間はお祈りが習慣化しているので、いつでもどこでも必要な時にはお祈りをする。ここではもちろん、世界平和を願って般若心経などを唱えさせて頂いた。


高千穂宮「鎮石」(しずめいし)の由来は現地案内版より以下の通り。

第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石と伝えられます。尚住吉、関東鹿島神宮御社殿御造営の際高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています。またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。


それから、高千穂神社からほどなくしてある高千穂峡にも立ち寄る。

日本の滝百選に選ばれている、とても有名な真名井の滝を見に行った。

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真名井の滝の絶景を満喫 ↑


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これはおのころ池。雨が降り出した所でここを跡にした ↑


私達が泊まったホテルは、かねてから師匠が希望していたという久住高原コテージというところ。このホテルも大人気な場所で、なかなか予約を取るのが難しいそうだが、今回は団体様なのにすんなり予約が取れたというのがまた不思議だった。

そこへ向かう途中にも、エネルギーの良い滝を発見。


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名前は不明。この滝で滝修行してもよさそう♪ ↑


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ホテルに向かう直前で車窓から久住山が見えた ↑


天気は、到着直後から天岩戸神社に着くまではほぼ快晴。その後龍神様が現れて、必要な時に必要な分だけ雨を降らせて下さり、邪気を祓ったり、過ごし易い天候にして下さった。

ホテルへ到着する頃はほどよく一面に雲があり、残念ながら、当ホテルの満展望の露天風呂で満天の星空を見ることは叶わなかった。しかし、師匠ら男性群が夜、星を見せて下さいとお祈りしたところ、2~3の星とお月様が雲から顔を出したそうだ。やはりお祈りは神に通じるのだと思った。


まずは宮崎は高千穂を神様の御意志により充分に堪能させて頂き、そのご厚意に感謝し、それから阿蘇を堪能する2日目の旅が始まることになる。

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