高千穂・阿蘇ツアー3日目
遂にツアー最終日になってしまった。なんだかあっという間の旅だったが、でもどれももの凄く自分にとって意味があり、充実した時間だった。
3日目は朝から快晴だった。またも師匠が、こんなに行きも帰りも晴れていたのは滅多にないことだと驚いていた。しかし、今日はもう登山にする予定はなく、主に神社巡りを中心に行こうということになった。
3日目の最初に向かったのは、あざみ台展望所というところ。ここから阿蘇山や久住山が一望できる。
ほんとにここは見渡す限り、山・山・山のオンパレード! こんなに壮大な景色に囲まれて、氣分は最高。身も心もクリアになって、より魂の浄化が進んだと感じた。みんなでここの展望台に設置されているアスレチックを楽しんでから、次なる場所へ移動した。
次に赴いたのは、手野の名水というところ。地元で愛されている癒しの水だそうな。
とても澄んでいて清い味 ↑
阿蘇の自然の湧水を楽しんだ後は、国造神社にてお祈りをさせて頂いた。ご奉神は、健磐龍命の第一子である国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト)様だが「国造(くにつくり)大神」で良いとのこと。ご神霊は龍神様だそうだ。国造神社は阿蘇神社の本宮であるものの、阿蘇神社の北方にあるので、”北宮”とも呼ばれる。
こういう由緒ある神社へやってきて、さりげなく祈りの文句を捧げることができるというのは清々しい氣持ちになれて良いと思った。別に決まった文句を覚える必要もないけれども、神社にやって来た時に、自分の欲望を満たすためだけの現世利益を願掛けするのではなく、大我の精神でこの世の安泰を無心で願い、自分の言葉でお祈りができたら、それだけで自分の心は浄化されるだろう。
祈りの後、国造速瓶玉命お手植えの杉を拝見。国の天然記念物に指定されているという。お手植えの高さ48m・胴回り15mk・樹齢2000年だそうな。
男杉は落雷に遭い伐採されてしまったとのこと。
写真は女杉 ↑
国造神社を跡にして、お次はそのまま阿蘇神社へ向かう。こちらのページから阿蘇神社について引用すると、
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<健磐龍命神社/阿蘇比咩神社⇒阿蘇社→阿蘇宮→阿蘇神社>
名神大社、888年以後は大神宝使発遣対象社。
第7代孝霊天皇御代 孝霊9年(紀元前281年)6月勅命により、神武天皇の御子である神八井耳命 (カムヤイミミノミコト)のまた御子である健磐龍命(タケイワタツノミコト)=阿蘇大明神-一の宮)を主神とし、御妃神である阿蘇都媛命(アソツヒメノミコト=二の宮)、阿蘇初代国造である国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト=十一の宮)及び近親十神を含めて十二神(12宮)を祀る神社として創建されました。
その昔、阿蘇大明神は満々とたたえた湖水を外輪山の立野付近を蹴破って水を流し阿蘇を開拓しました。第12代景行天皇は国造速瓶玉命の子惟人に命じて神社を創建させたと伝えられます。(肥後国誌等)
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とある。しかし健磐龍命(タケイワタツノミコト)のwikiにも書いてあるように、神武天皇の孫として、天皇家の一族として組み込まれていることになっているが、実はそれは天皇一族が日本を支配した後に書き換えられた情報ではなかったか。私は師匠の仰ることに照らし合わせても、この健磐龍命が元々の阿蘇山の神様であり、日本の古来から、天皇一族の征服に遭う前から阿蘇一帯を統括し、阿蘇を発信地として、日本全国を取りまとめた重要な人物だったと直観してはばからない。また更に調べることには、地元の人からは、健磐龍命は阿蘇都彦と同一人物だとされている。阿蘇都彦は阿蘇の先住民だとされている。つまり、健磐龍命が阿蘇の先住民だったということになる。すると、後から入ってきた天皇一族の孫とするのは理解に苦しむのである。
また、境内には、阿蘇高砂の松(えんむすびの松)があって、女性は右から2回まわる、男性は左から2回まわることで祈願になるという。女性陣がみなこぞって松の周りを回った。そして私もどさくさにまぎれて回ってみた(笑)
・・・と、師匠にしっかり見つけられ、「なんで回ってるのかい~」と尋ねられ、「全ての縁に、です」と答えた(^-^;
阿蘇神社で参拝した後は、師匠が阿蘇みんなの森オートキャンプ場へ連れていってくれた。別にみんなでキャンプを楽しむ為に行ったのではない。このキャンプ場には隠された歴史を語るものが存在しているのである。
それは昭和天皇が植えられた3本の杉の木である。
書かれているが… ↑
上の写真の説明板によると、既に訪れた国造神社の巨大な杉の木から採穂して養成した杉の苗木を植えた、とある。何故国造神社の巨大な杉の木の苗木を使ったのか。これが深い意味を伴うのである。
師匠が説明してくれたことによれば、実は、この3本のお手植え杉の向こう側にそびえ立っている丘には高塚といって、阿蘇の先住民で、阿蘇一帯を統括した所謂神様のお墓があるのだという。そして、そのお墓を弔い、魂を鎮める為に、この杉の木を植えたというのである。
阿蘇の神様のお墓が ↑
この高塚は、以前は登ることができたそうだが、近年になって登ることを禁じられてしまったそうだ。しかも、他にも天皇自ら植えた木々は存在するそうだが、中でもここだけ3本も植えたのもとても深い意味があるという。つまり、阿蘇の神様というのは、阿蘇を発信地として、日本全国を取りまとめた神様のことで、それだけ偉大な存在なのである。その偉大な存在を鎮めるののに、特別な意味を込めて3本もの杉の木を植えたというのである。
師匠は天皇は日本の外からやってきたと言った。更に私も調べて知っていることには、おそらく天皇一族は朝鮮系(もっと突き詰めればユダヤ系ともいえる)である。朝鮮からやってきて日本を事実上支配し、日本の先住民である縄文系アイヌ人は追放されてしまったと考えると話が自然である。
ところで江上波夫(2002年没)という学者が、天皇制の遠い起源が北方ユーラシアのステップ地帯にあると考え、ここから満州・朝鮮を南下した扶余族系の騎馬民族が、ひとまず任那に「辰王国」を建てた後、九州に上陸して大和へ東征し、日本国家の基礎をつくったと想定した騎馬民族征服説を唱えたが、小沢一郎はそれを支持しているそうだ。この説が本当なら、師匠の言っている話とも十分噛み合う。私もこの説を、師匠の話を聞く前から支持している。
こちらのサイトには興味深い平成天皇の話した事が書かれている。以下引用。
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④ 平成天皇がコクった「ご先祖様には朝鮮の王族もいる」
平成天皇のこの発言に触れて,今日の結論の記述としておく。
平成天皇は「2002年の日韓ワールドカップ共同開催を契機に,両国民の理解と信頼感が深まることを願う」と述べた。そのさい,とくに「古代日韓間における交流の事実,韓国との縁を強調していた」。具体的には,いまでは平安神宮の祭神に祭られている「桓武天皇(第50代,在位 781-806年)の生母が百済の武寧王の子孫である」ことや「武寧王の子である聖明王が仏教を日本に伝えた」ことなどに触れていた。
さらに,『日本書紀』などには,日本と韓国との人々のあいだに昔から深い交流があった事実が詳述されており,要は「韓国から日本へ移住したり招聘されたりした人々がさまざまな文化・技術を伝えた」という日韓関係の歴史を,いまさらのように,しかもあえて話題にしたわけである。
平成天皇のこうした「歴史的な発言」は,2002年日韓ワールドカップ開催を目前に控えた時期だったけれども,日本のマスコミには不評だったらしく大きくとりあげられなかった。ただ,3か月経ったころ,Newsweek誌(日本語版)2002年3月20日号が「天皇が結ぶ日韓の縁」という見出しを立てて,その話題をとりあげたに過ぎない。
註記)2006年8月17日検索。『ニューズウィーク日本版』2002年3月20日号「天皇が結ぶ日韓の縁」18-23頁。
その記事の内容は「日本人はみな同質で,人種的にも混じり気がないという『自画像』を真っ向から打ち砕く」かのように,「日本人の3分の1から半分が,朝鮮人と血縁関係にあると指摘する学者もいる」と述べている(前掲『ニューズウィーク日本版』2002年3月20日号「天皇が結ぶ日韓の縁」21頁,22頁)。
明仁天皇はわざわざ,「万世一系」「単一民族」の神話に浸っていたい日本国民にはとても衝撃的な,そしてまた「家父長的天皇制」を支持するはずの右翼国粋主義集団には不満の大きい話題を,故意にとりあげた〈節〉がある。なにせ,日本の皇室関係者が「韓国・朝鮮との縁」を公に認める発言をしたことは,いままでなかったのである。
明治維新以来,日本帝国は「日鮮同祖論」を盛んに流布させ,日本が朝鮮・韓国を植民地支配・統治する正当な歴史的事由として利用したが,いまとなっては恥ずかしいくらい「やぶへび」であった事実が,明治天皇の曾孫の口を借りてあらためて明らかにされた。これでは,日本帝国の優秀性・卓越性を,わざとらしく,かつくだくだしく高揚させてきた国粋主義者にとっては,まったくもって,けしからぬ妨害的な発言を明仁天皇がしたことになる。まさかこの天皇を「国賊呼ばわりする」わけにもいかず,彼らの国家思想にとって非常に面白くない事実を,現職の天皇が指摘したことになる。
一般的にいえば,天皇家の人間たちにかぎらず日本人はほとんどが,「朝鮮人の血を引くなどという」「古代の歴史的な真実」を想像すらしたくないのである。韓国の俳優,ペ・ヨンジュンたちなどの韓流スターはとても好きだからさておいても,あのゴールド・ジョンイルとかいう21世紀の独裁者とも遠い昔において親戚同士であったとは,思いたくもない。冗談にもならないけれども,これが,狭窄的で卑小な皇室崇敬意識をもっている,一部の日本の人々の正直な(?)気持かもしれない。
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現職の天皇が、朝鮮の血を引いた天皇がいるという事実を堂々と発言したことの意味を感じずにはいられまい。
少しずつ日本人のルーツを明らかにして、アジアで結束して新しい時代に備えようとしているのだろうか。
とにかく、阿蘇の神様は日本を統一した本当の日本先住民族であり、私は後からこのブログを書きながら思ったことには、つまり阿蘇都彦と同一人物なのではないか、と感じている。阿蘇都彦は、地元の人からは阿蘇神社に祭られる健磐龍命(タケイワタツノミコト)と同一人物であるとされている、とは前にも書いたが、つまりそういう事である。そして健磐龍命の子どもである国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト)がお手植えした国造神社内の巨大な杉を苗木にしたものを昭和天皇がこの高塚のそびえ立っているところに3本植えることにより、親の健磐龍命の魂を鎮めたと考えられるのである。
そう考えることにより、今回このツアーに参加した私達の魂が阿蘇にルーツがあるらしいことも、何となく紐解けてくるのである。ここには敢えて書かないけれど…。
前述したように、今は今で、天皇が日本の中心となるべく存在には間違いないのだから、天皇をしっかり守らなければならないと強く感じる。塗り替えられ続けた虚構の歴史が明らかになったとしても、それは過去の話には違いないのだから。
この阿蘇みんなの森オートキャンプ場に関して更に付け加えるならば、ここは神社庁が管理しているだけあって、その理路整然とした木々の植え方や構成が、人々を寄せ付きにくくしていると師匠が言っていた。このキャンプ場そのものが、阿蘇の神様の魂を鎮める為に存在しているようなものだから、である。だからこのキャンプ場をあまり宣伝もしないし、人々が沢山集まるとエネルギーが歪むので、あまり寄せ付けたくないのである。
更に、天皇お手植え杉の手前に、短歌のような文句が掘られた石碑があった。その文句の中には”高原”という言葉があったのだが、おそらく”高天原”であろうと師匠は言った。要するに高天原とは、ここ阿蘇一帯のことを指すことになる。
ほんとにキャンプしちゃっていいのか躊躇したくなる ↑
さて、沢山の知識を入れて頭も心も身体も十分使ったなあという頃に、丁度お昼の時間。
立ち寄ったのは、山賊旅路という食堂。高菜めしやだご汁など阿蘇の家庭的名物料理が楽しめる。
山賊めし(五目めし)とだご汁のセットを頼む。
結構な量で全部食べるのがきつく、
少し男性陣に食べてもらう ↑
他の仲間はみんな高菜めしとだご汁のセットを頼んでいた。私は漬け物全般が不得意なので、高菜めしは断念した。だご汁は、だんご汁がなまった言い方のようである。小麦粉を練った平たい団子の入った汁もので、とても美味しかった。汁は味噌仕立てであった。
腹ごしらえをした後は、阿蘇草千里ヶ浜へ向かった。ここは鳥帽子岳中腹に広がる草原で、阿蘇の代表的な観光地である。
反対側に見えるのは、米塚と外輪山である。
米塚は、阿蘇の神様・健磐龍命(タケイワタツノミコト)が収穫した米を積み上げたものが山になったといわれている。
そして草千里ヶ浜の方面を見てみた。元は火口だった場所で、雨水がたまってできた池に、牛や馬が水を飲みに来るそうだ。草千里の景色を眺めているうちに、他の仲間達で、またもやUFOを発見したとのこと。何でも、シルバーの色と白い光を交互に出しながら横に動いていったとか。もしかして、昨晩見たUFOの1つか?
と、思いながらも今度は私は見れなかったと残念に感じつつ、この草千里の景色を何気なく写真に収めた。
そして後から撮った写真をチェックしてみると…。
UFOが写りこんでいた! ↑
この写真に写っているのは、どう見てもUFOに違いない! 鳥にしては羽が短くて胴体が大きすぎるし、飛行機でこの形はありえない。先に皆が見たというUFOが、私のカメラの前に出現していたのかも知れない。
もちろん、写真を撮ろうとする時は、この飛行物体の存在には全く氣付かず、ごく普通にこの景色を撮ったつもりだったのである。なので余計に驚いた。
写真にUFOらしきものを収めたのはこれが初めてである。やはりこれだけ神聖な空間である阿蘇は、宇宙人も興味津々の場所に違いない。
少々興奮ぎみに草千里を跡にして、次に訪れたのは、両腕を失いながらも絵と言葉を作品にして感動を与え続ける阿蘇のアーティスト大野勝彦氏の「風の丘」という名の美術館。
大野勝彦氏は、農作業中に機械で両腕を失ってしまったが、その出来事をきっかけに、詩や絵で作品を作り始めたという。一つ一つの文句と、添えられる表現豊かな絵が涙を誘う。大野氏の作品中に一番出てくる文句は、「ありがとう」と「笑顔」だった。ほんと、その2つさえ心から表現できれば、世界中のみんなが仲良く暮らしていけるのになあって思った。
この美術館で更に心を浄化し癒されて、最後に火の山温泉どんどこ湯へ入って身体まだ癒された後、阿蘇の空港を20時前に発った。
この3日間、本当に意義深く濃厚で不思議で神聖なツアーをたっぷりと満喫し切ったという感じ。物凄くまた知識が増えただけでなく、今まで自分が直観でこれが真実だ、と思ってきた事が、師匠の話と多く一致するところがあり、更に自信がついてしまった。もちろん師匠とニュアンスの違いや解釈の違いはあるけども、事実の捉え方は殆ど一緒だった。うーん、やっぱ師匠とも深いご縁があるのだな、と改めて思わせて頂いた。
この旅の記録をここに書くことができて良かった。
眠いけど…つД`)
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