先祖供養は自分供養
皆さん、明けましておめでとうございます。
さて、今年は皆さんにとってどんな年になるでしょうか。
心より世界平和をお祈り致します。
ところで、私は今年に入ってから、少しずつ準備してきた先祖供養を遂に始めた。
といってもまだまだ、師匠に頂いた供養の手順を丸暗記できた訳ではないので、おぼつかないのだが・・・。
お経の最初に唱える開経偶(かいきのきょうげ)。
次に唱える懺悔文(ざんげもん)3辺。
そして般若心経を唱えられるだけ唱える。
次に光明真言を21辺。
更にお念仏・お題目のどちらかを21辺唱える。
最後に密法奉上5辺唱えて終了。
一見大変そうだけど、慣れれば難しいものではない。
この一通りのお祈りを朝・晩行う。
できるだけ子供にもやらせた方がいいとのこと。
師匠も幼い頃から両親と一緒にやっていたのだという。
もちろん、うちの旦那も一緒に・・・。
でも旦那はなかなかお経を唱えるまではいかない。
せいぜいリンを鳴らしてお線香を燈して手を合わせるのがいいところ・・・。
本当にやる気あるの?と言うと、やる気はある、と言うのだけれど。
とりあえず旦那がやるやらないは置いておいても私は朝・晩毎日やるようにしようと決めた。
先祖を供養するということ。
それは正に、自分自身を供養する事に等しい。
私はここで前述した通り、私の直近の前世は実父方の祖母に違いないと思っている。
祖母と祖父は戦時中に強い絆で結ばれたものの、祖母が出産後ほどなくして結核で亡くなってしまい、戦争中に満州で出会って短い時間を過ごした後は悲しい別離を迎えてしまう。
祖父は祖母の分まで頑張ろう、祖母が産み残してくれた子供を無事に育て上げようと、シベリア抑留に遭っても生き抜き、無事帰還を遂げるが、本当に愛する人と再婚した訳ではなく、というよりも再婚後も亡くなった祖母への思いを断ち切れず、完全に満たされた思いで全生涯を送ったとは決して言えなかったと思う。
今回、仏壇は本当に簡単で手作り感覚のもの。
そこに師匠に頂いた木の札にご先祖様の名前を書いたものを御位牌として立てた。
その御位牌だが、師匠がスタッフに持ってこさせた木札は4つあり、1つは旦那側のご先祖様、1つは旦那側の水子霊、1つは私の実父側のご先祖様を書くように言われたのだが、最後の1つの木札には、師匠は唸りながら「うーん、これは何を書いたらいいのだろう。4つ持ってきたことには意味があるのだから・・・」と少し考えた後、「じゃあ祖父と祖母の戒名を仲良く2列に書いて下さい」と言った。
師匠に言われた通り、4つめのお札には、祖父母の戒名を書いて他の木札と共に仏壇に並べた。
祖父母の魂が1つになって浮かばれますように。
旦那方のご先祖様が本当の意味で成仏を遂げて、未来の扉を開いていけますように。
私の実父方のご先祖様も然り。
そして、水子霊に関しては、どこのご先祖にも必ずいるものなので、ご先祖様と共に必ず水子の霊も供養するようにと師匠に言われた。
私の継父方の先祖は供養しなくていいのかと尋ねると、そこまでやるのは大変だから、ひとまず血筋の先祖供養を行うようにとのことだった。
ふーん、そうなんだ。
もちろん、周りの仲間に聞くと、人それぞれ供養の内容が若干違っているようだった。
でも基本は自分の血筋のご先祖様と水子の供養が必須のようだった。
先祖供養をすることで、自分自身も楽に生きられるようになってくるとの師匠の弁。
本当にそうだと思う。
ご先祖様方がカルマとして残してきたいろんな事柄に対して、ご先祖様の存在によって今に命を受けて奇跡的に生かされている私という魂が、代わりにそれらを清算していくことによって、ご先祖様自身の存在も浮かばれるし、自分自身の魂も浮かばれるのだから。
更に言えば、前述した通り、自分に命を吹き込んでくれた無限大のご先祖様の存在の中の幾つか(それこそ個人差はあるが、何十、何百、何千、何万、何億という単位の魂の数)が正に、自分自身そのものであったということは言うまでもない。
そうやって繰り返し繰り返し、自分達はあらゆる存在に姿を変えては地球の歴史を塗り替えてきたのである。
全ては密接に繋がっており、関係のない出来事は1つもないのだ。
今自分の目の前に起きている事は全て必然なのであり、自分が招いて起こしているのである。
先祖供養は、正に自分供養。
自分供養がそのままアセンションになる。
先祖供養の詳しい方法を知りたい方はメールを下さればお答えしたいと思います。
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