前世

2011年1月 4日 (火)

先祖供養は自分供養

皆さん、明けましておめでとうございます。

さて、今年は皆さんにとってどんな年になるでしょうか。

心より世界平和をお祈り致します。


ところで、私は今年に入ってから、少しずつ準備してきた先祖供養を遂に始めた。

といってもまだまだ、師匠に頂いた供養の手順を丸暗記できた訳ではないので、おぼつかないのだが・・・。

お経の最初に唱える開経偶(かいきのきょうげ)。

次に唱える懺悔文(ざんげもん)3辺。

そして般若心経を唱えられるだけ唱える。

次に光明真言を21辺。

更にお念仏・お題目のどちらかを21辺唱える。

最後に密法奉上5辺唱えて終了。

一見大変そうだけど、慣れれば難しいものではない。

この一通りのお祈りを朝・晩行う。

できるだけ子供にもやらせた方がいいとのこと。

師匠も幼い頃から両親と一緒にやっていたのだという。

もちろん、うちの旦那も一緒に・・・。

でも旦那はなかなかお経を唱えるまではいかない。

せいぜいリンを鳴らしてお線香を燈して手を合わせるのがいいところ・・・。

本当にやる気あるの?と言うと、やる気はある、と言うのだけれど。

とりあえず旦那がやるやらないは置いておいても私は朝・晩毎日やるようにしようと決めた。


先祖を供養するということ。

それは正に、自分自身を供養する事に等しい。

私はここで前述した通り、私の直近の前世は実父方の祖母に違いないと思っている。

祖母と祖父は戦時中に強い絆で結ばれたものの、祖母が出産後ほどなくして結核で亡くなってしまい、戦争中に満州で出会って短い時間を過ごした後は悲しい別離を迎えてしまう。

祖父は祖母の分まで頑張ろう、祖母が産み残してくれた子供を無事に育て上げようと、シベリア抑留に遭っても生き抜き、無事帰還を遂げるが、本当に愛する人と再婚した訳ではなく、というよりも再婚後も亡くなった祖母への思いを断ち切れず、完全に満たされた思いで全生涯を送ったとは決して言えなかったと思う。

今回、仏壇は本当に簡単で手作り感覚のもの。

そこに師匠に頂いた木の札にご先祖様の名前を書いたものを御位牌として立てた。

その御位牌だが、師匠がスタッフに持ってこさせた木札は4つあり、1つは旦那側のご先祖様、1つは旦那側の水子霊、1つは私の実父側のご先祖様を書くように言われたのだが、最後の1つの木札には、師匠は唸りながら「うーん、これは何を書いたらいいのだろう。4つ持ってきたことには意味があるのだから・・・」と少し考えた後、「じゃあ祖父と祖母の戒名を仲良く2列に書いて下さい」と言った。

師匠に言われた通り、4つめのお札には、祖父母の戒名を書いて他の木札と共に仏壇に並べた。

祖父母の魂が1つになって浮かばれますように。

旦那方のご先祖様が本当の意味で成仏を遂げて、未来の扉を開いていけますように。

私の実父方のご先祖様も然り。

そして、水子霊に関しては、どこのご先祖にも必ずいるものなので、ご先祖様と共に必ず水子の霊も供養するようにと師匠に言われた。

私の継父方の先祖は供養しなくていいのかと尋ねると、そこまでやるのは大変だから、ひとまず血筋の先祖供養を行うようにとのことだった。

ふーん、そうなんだ。

もちろん、周りの仲間に聞くと、人それぞれ供養の内容が若干違っているようだった。

でも基本は自分の血筋のご先祖様と水子の供養が必須のようだった。

先祖供養をすることで、自分自身も楽に生きられるようになってくるとの師匠の弁。

本当にそうだと思う。

ご先祖様方がカルマとして残してきたいろんな事柄に対して、ご先祖様の存在によって今に命を受けて奇跡的に生かされている私という魂が、代わりにそれらを清算していくことによって、ご先祖様自身の存在も浮かばれるし、自分自身の魂も浮かばれるのだから。

更に言えば、前述した通り、自分に命を吹き込んでくれた無限大のご先祖様の存在の中の幾つか(それこそ個人差はあるが、何十、何百、何千、何万、何億という単位の魂の数)が正に、自分自身そのものであったということは言うまでもない。

そうやって繰り返し繰り返し、自分達はあらゆる存在に姿を変えては地球の歴史を塗り替えてきたのである。

全ては密接に繋がっており、関係のない出来事は1つもないのだ。

今自分の目の前に起きている事は全て必然なのであり、自分が招いて起こしているのである。

先祖供養は、正に自分供養。

自分供養がそのままアセンションになる。

先祖供養の詳しい方法を知りたい方はメールを下さればお答えしたいと思います。

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2010年10月25日 (月)

生まれ変わりが早まっている?!

自分で調べた事には、どうやら近年は、生まれ変わるスパンがどんどん早まっているらしい。

私はこのYahoo!知恵袋の回答を見て、生まれ変わりっていうのは、本当に様々なスパンがあるのだなあという事を知った。

このサイトの中で、『転生した子供たち』という本が紹介されているのだが、この本が実に興味深い。ヴァージニア大学が40年にも渡って研究した成果が載っているのだという。その死に方によって、生まれ変わりの早さもいろいろあるようだが、非業の死を遂げた魂は、生まれ変わるのが通常に比べて早まる傾向にあるらしいのである。流産や死産した魂の場合は、一旦魂の家族が魂のふるさとに帰還するのを待つ必要がないので、それこそすぐに生まれ変わる傾向にあるようだ。
時間があったら是非一読してみたい本の一つである。

私の祖母も、結核によって27歳という若さで亡くなった。

私が丁度2度目の卵巣嚢腫の手術をした歳である。
この手術をする前に結婚したのだが、もし結婚を選ばずに、既に混沌としていた音楽の道を今だに諦めずに頑張ってしまっていたら、私もどうなっていたか分からない。なんでこんなに苦しいのだろう、面白くないのだろう、と思いながら音楽をやっていた頃だった。

結婚を選んで、音楽はあくまで趣味で楽しめる程度にやると決めたら、本当に心がすっきりした。

それでも卵巣の病気には再び罹ってしまったものの、2回目は絶対に良性だし、部分的に切除するだけなので卵巣がこれで左右ともなくなってしまうことはないと知り、精神的にはそんなに辛くない手術だった。

今世では、再び無念の死を遂げる人生だけは絶対に選ばないようにと魂が勉強したのだと思う。


ただしかし、そういった死に方の問題だけでなく、近年はことに生まれ変わるスパンが早くなっているのだという。

私もどこかのサイトでそういう話を目にしたのだが、思わずカウンセリングで師匠にもその話を投げかけたら、正にその通りだと言った。

私は殆ど直観的にこう感じた。

本来は、確かに200~300年程度をかけて生まれ変わるケースが今までの地球では一般的だった。

しかし、近年になってこんなに生まれ変わりが早まっているのは、第二次世界大戦などの大きな戦争で、それこそ私の祖母のように無念の死を遂げた魂がもう一度生まれ変わって、今度こそ最後まで納得のいくまで生き尽くしたいという強い意志を以って、今に生まれ変わってきているのだろうと。

そう、それは今この時でなければならない。

フォトン・ベルトが近付いて、1012年暮れを以っていよいよ地球はすっぽりフォトン・ベルトに覆われる。

つまり新しい時代の到来である。

この新しい時代を、地球にとっても人類にとっても本当に愛と調和の取れた輝かしい世界に構築し直す為に、戦争で無念の死を遂げた魂達が強い意志を以って再び地球に舞い降りたのだと。

師匠も、正に戦争で亡くなった人たちがこの時期になってどんどん生まれ変わってきていると話してくれた。


これから何やら不穏な空気をわざと作り出そうと企んでいる輩達(というか、もうずっと前からその仕掛けは始まっていたのだが)の扇動には、絶対に乗らない、そして戦争はしない、そう決めた魂達が今懸命になって活動を始めている。

もう二度と、あの時の過ちは犯してはならない。

また無念の死を遂げる魂をこれ以上増やしてはならない。

そして無事に新しい時代を迎えて、新しく愛に満ち満ちた世界に創り変えるのだ。

周りにも、正にそんな生まれ変わりを果たしている魂が沢山存在している筈。

もしかしたら、目の前のあなたかも知れない。

直観を研ぎ澄ませて、感じてみよう。調べてみよう。

そして、私達のご先祖様が、戦争という大変な苦しい思いをしてまで私達世代を産み落としてくれたという事に心から感謝しよう。

そこまで感じればこそ、物質文明の全盛期に生まれてこれまで生きてきた私達世代が、今度は何をするべきなのかは自ずと分かってくるはずである。

昔から永代に渡って続いてきた幾人ものご先祖様の中に、幾人ものあなたという魂もいるんだよ。* ´З`)σ


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2010年10月22日 (金)

私は祖母の生まれ変わり・・・②

続き。

私が妊娠中に見た夢はこういうものだった。

場所はおそらく戦争当時の満州。

厳かな太い鉄柵の向こうには朝鮮軍、こちら側は日本軍というような設定だった(実際に地図で調べると、確かに旧満州は中国の東北部に位置し、満州の真南に隣接している国が朝鮮になっているのでリアリティがある)。

朝鮮軍はこちら側に向かってヘリのような乗り物に乗って、「こっちへ来るな!」と言いながら銃を撃ってきた。

こちら側には、なんと軍服を着たおじいちゃんらしき男性と、おばあちゃんらしき女性がいた。その女性のお腹はとても大きかった。おばあちゃんはおじいちゃんを銃撃から守るかのようにおじいちゃんに近付いて寄り添った。

そこで夢は終わってしまった。

しかし明らかに戦争時代を思わせるリアリティの高い夢を見たのは初めてだったので、起きた後はしばらく放心状態だった。

そして私は、その後女性は銃で打たれてしまったのではないか?!と思った。

しかし当時の私はそれ以上を探ろうとはしなかった。というよりできなかった。

私は夢まで見てしまうくらいだから、きっと祖母の気持ちを受け継いでいるのかも知れないが、まさか本当に生まれ変わりだとまでは考えられなかった。

師匠に聞いても、生まれ変わりには大体200年~300年くらいはかかるのが普通だという事だったから。

それでしばらくは、私は祖母の気持ちを受け継いでいて、今回無事に子供を産み育てるという事が祖母にとっての喜びになるのだろうな、という事まで考えるに留めていた。


しかし最近、自分自身の魂を見つめる作業を始めてから、やはりどうしても妊娠中に見た夢が引っかかって仕方がなくなってしまった。

祖母の死因は実はどっちなのか?
結核なのか銃撃なのか?

私が本当に祖母の生まれ変わりなら、祖父も私を追いかけてまた現在生まれ変わってどこかにいる筈ではないか?

それに生まれ変わりがそんなに早くなる事ってあるのだろうか?

そもそもなんで私がそんな夢を見る必要があったのだろうか?
もしや、私のお腹にいる我が子が見せてくれた夢かも知れない・・・?!
と、いうことは・・・。


などなど。

これらの事が分かれば、私が今ここに生まれてきた理由がはっきりするし、より一層生きて果たすべき使命に対しても意図が明確になるだろう。


今回、師匠にその事を全部素直にぶつけてみることにしたのだった。

師匠はこのように言った。

「う~む確かに、あなたとダブって見える女性がいるなあ。ナースの帽子をかぶっていて、丸顔で背は小さくて。血を吐いて亡くなったのが見えるので、結核で亡くなったというのは本当だろう。あなたが見た夢の意味は、本当におばあちゃんは純潔で、おじいちゃんを愛していたから、銃で撃たれても前に出ておじいちゃんを守るというくらいの気持ちで、おじいちゃんを守ろうとした、という思いを表しているんだろう。おばあちゃんは無理をして頑張り過ぎてしまった。おじいちゃんがシベリアに連れて行かれると聞いた時、あそこに行ったらもう二度と生きては帰って来られないという噂を耳にして、本当に苦しんだ。そして結核に罹って無念の死を遂げてしまった。そんなおばあちゃんの死を目の前にして、おじいちゃんは絶対に自分は死んではならないと思った。だからシベリアに抑留されて周りが亡くなっても耐え抜いて、生き抜いたんだね」

話を聞きながら、ぼろぼろと涙が出て仕方がなかった。
祖父は再婚した後も、お酒を飲んで酔っ払った時に、祖母の名前を呼んでは泣いていたという。
また私は祖母なんて会ったことはもちろん、写真も見たことがないのに、確かに夢で見た祖母の顔は丸くて、小さい感じで、黒く長い髪を後ろで一つに三つ編みにしていた。そしてお腹だけは大きく目立っていた。ちなみに私が見た夢では、おばあちゃんは従軍看護婦用の制服を着ているように見えた(従軍看護婦について書いてあるサイトを見たら、夢で見たようなグリーンのワンピースのような制服を発見)。

また、祖父は師匠が指摘した通り、当時の日本人の中では体格がしっかりしていて背も高めだったかも知れない。お墓参りの折に実父の従兄弟に祖父や私の幼い頃の写真が載っているアルバムを貸して頂いたが、同じく体格のしっかりしていた実父と並んで写っている写真を見てもひけを取らない。
実父側の家族と写っている自分の写真を全く持っていない私は、本当にそれらの写真を見て嬉しくて懐かしくて、その写真を殆ど複製して自分でも持っていることにしたのだった。


しかし、師匠はこうも付け加えた。

「確かにこうしておばあちゃんの顔があなたとダブって見えるのだから、きっと生まれ変わりの可能性が高いだろう。でも今あなたの意識がそういうモードになっているから僕がそう見えてしまっている可能性も全くないとは言えない。もしあなたが完全に無心の状態の時でも僕がそのように見えたなら、本当に生まれ変わりで間違いないだろうけど、今は断言はしないでおこう。あとはちょこちょこ子供に聞いてみなさい。子供がそのうち教えてくれるから」

私は自分は本当に祖母の生まれ変わりかも知れないと強く思った時、もしかしたら我が子が祖父の生まれ変わりなのではないかと思った。
もう子供なんてできないと殆ど諦めていた時に、靈氣初伝の伝授を受けた直後に奇跡的に授かった私の子供。
本当に、今その時を待っていたかのように現れた私の子供。
そう思ったらとても涙が出てきて仕方がなかった。
どうしてこんなに涙が出るのだろう。
やはり祖父と祖母の意識がそのまま今世の私と我が子という意識体として再び降りてきたからではないのか?

子供が祖父の生まれ変わりである可能性についても十分ありえると師匠にも言ってもらえた。

私は本当に子供が生まれた事が嬉しいが故に、怒る時も容赦しないが、可愛がる時も容赦しない(笑)


他にも、私が祖母の生まれ変わりではないかと感じる魂の癖みたいなものがある。

例えば、ハンガーやティッシュなどの言葉を、たまに一昔前の言葉で言ったりしてしまう事。
えもんかけとかちり紙とか(;´▽`A``
周囲に指摘されてからは氣を付けるようになったけどw
でも一昔前の言葉を敢えて使うのが好きだったりもする。

例えば、万が一我が子が(我が子でなくても小さな子供などが)走行中の車の前に出てしまったら、絶対に自分が走って出て行って子供を守らなくちゃ!と何故か感じてしまう事。本当は絶対にそんな場面に出くわしたくはないし、実際にそんな状況がやってきたら腰が抜けてしまうのではというくらい嫌な筈なのに、何故かそんな正義感だけは強く持ってしまっている。

例えば、自分は以前のブログでも書いたように風邪を引くとこじらせ易い。前世で結核に罹った影響なのだろうか?

と、細かい事を挙げれば、より祖母の生まれ変わりの可能性が出てくる。

あと一つ言うとしたら、私は以前、都内の霊能師さんに前世を見てもらったことがあるのだが、その時は、「1760年代に長野で生まれた女性で、農業をやりながら旅館を経営していた。お金にも困らずに往生した」と言われた。

もちろん人の前世というのは幾らでもあるので、そのうちの一つが見えたのだろう。

その時に言われた、長野という生まれが、正に祖母の生まれた地と同じなのである。

長野で旅館の女将だった時代の次に祖母の時代が来るのなら、血筋の流れで再び長野の地を踏んだ可能性は十分ありえる。

と、思い付くことは結構ある。

後はもう、我が子が前世の事や魂のふるさとの事やお腹の中にいた頃の事をまだ覚えている幼少のうちに、我が子に本当はどうだったのかを言ってもらうしかないだろう。

もし本当にそうだったら、親子なのだからずーっと一緒にいられて離れることがなくてとても強い魂の絆だね、と師匠に言われた。つまり私の魂の片割れである。

本当にそうだったらいいなあ。

本当にそうだったら、後はもうひたすら前進して使命を果たすことにだけ時間を割くのみ。

我が子が近いうち、ちゃんと私に本当の事を教えてくれますように。

・・・ここまで書いて、全然違かったら、どうしましょ。

(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ


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2010年10月21日 (木)

私は祖母の生まれ変わり・・・

先日また師匠のカウンセリングを受けてきた。

自分の実の父側の先祖の事が、最近になって更に氣になってきたのが一番の理由である。

離婚・再婚して母側についてきた私は、実父とは当然疎遠になり、御墓参りも幼少の頃に一度連れて行ってもらったっきりだった。

実は旦那の父親側のお墓と同じく私の実父側のお墓も広島にあり、先日私達家族で両方の御墓参り行きを実現させたのだった。旦那側のお墓参りは結婚直後に法事で一度行ったことがあったが、広島まで行くのになかなかお金がかかるというのや、今時点では毎年両親が行くようにしてくれているので、それに甘えさせてもらっていた。

しかし今年は、旦那の母親が癌にかかった状態にある事が理由で御墓参りを見合わせるとのことで、これもまた私達が行く一つのきっかけになった。


さて、私が今になってどうしてこんなに実父側の先祖が氣になったのか。

3年ほど前、私が妊娠した頃、丁度靈氣初伝を頂いて自分の身体の氣の流れも良くなっていたせいなのか、その辺から急激に実父側の先祖の事を考えるようになっていった。

またそんな時に丁度タイミング良く、うちの母親が実父の祖母や祖父の話をしてくれるのだった。

「あなたの実父方のおじいちゃんは、戦争時代に徴兵されて、満州へ渡り、またおばあちゃんは従軍看護婦をやっていて同じく満州に渡り、そこで出会って大恋愛したのよ。そしておじいちゃんは親に勘当されてもおばあちゃんと結婚して子供(実父)ができたんだけど、おばあちゃんは子供を産んだ後、当時流行っていた結核に罹って亡くなってしまったの。おじいちゃんはその後シベリアに抑留されて、酷い時は草しか食べられないような過酷な生活を強いられた。そして周りが沢山死んでいく中、奇跡的に助かって日本へ帰国したの。子供はその間朝鮮人に託されたんだけど、おじいちゃんがおばあちゃんの姉妹に連絡して子供を取りに来てくれるように頼み、まだ二十歳の妹さんが一人で子供を引き取りに行ってくれたの。もう終戦直前で日本人が皆日本に引き返してきているような危険な時にだよ」

それから実父はしばらく祖母の姉に育てられたという。
祖父が無事に帰国した時、自分の子供の事をも思って、姉に再婚を願い出たものの、姉は、

「妹(祖母)に対する気持ちが強いと分かっててあなたと結婚しても、後々私が苦しくなるだけなので、結婚できません」

と、断られてしまう。
祖父は仕方なく自分の出身地広島でお見合いして再婚。
その後大阪へ家を買って住み、更に3人の子供をもうけるのだった。
実父は成人して上京した先で私の母親と出会って結婚し、私が生まれたのだが、その時に、

「顔がおばあちゃんにそっくりだ」

と言われ、おばあちゃんの生まれ変わりではないかとよく言われたのだという。
そして私が小学校に上がる直前に、祖父が逝去した。
丁度実父との別居直前の頃で、お葬式にも参列し、初めて死んだ人の姿を目にしたのが正に祖父だった。
なんとなく自分の目から涙が流れたことも覚えている。

祖父が亡くなったその4年後には、後妻の祖母が事故死し、その同じ年に次男が結婚直前に事故死するという不遇が続く。大阪でお墓を立てるのはとても費用がかかるのでなかなか買えずに遺骨をそのままにしておいたのだが、それがいけないんだ、という事で、結局祖父の出身地である広島に三男がお墓を立てた。
しかし、それにもかかわらず、6年後には三男が過労死で亡くなってしまったのだった。
現在は、広島に住む従兄弟と、三男の奥さんが主にお墓を管理してくれている。
今生きているのは、再婚していないが同居人のいる長男である実父と、大阪の実家に独身で暮らす四男だけである。

こういうあまり家族運のない、幸の薄い感じのする実父側の先祖の御墓参りに、いよいよ行かなくてはならないと最近になって急遽思い立ったのだった。

更に、少しでも祖母への手がかりみたいなものが掴めたら、という思いもあったと思う。
だから当然、戒名は書き写させてもらった。
これから先祖供養もしていきたいと思った。


私は本当に祖母の生まれ変わりなのだろうか・・・。

それを本気で考えさせるきっかけになったのは、妊娠中に見た印象的な夢だった。


-- to be continued --

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