宇宙の法則

2011年6月14日 (火)

あなたは”空”である

最近読んでいる本で、目から鱗のようにとても納得できる話があったので、引用してみたい。

たまたま、何か氣になる本はないかなあとamazonで探していたら目に留まったのが、Manaさんという方が著した『空―舞い降りた神秘の暗号―』という本である。

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「声」

あなたは偽の自己(性格)を自分だと思い込んでいます。つまり感情や態度や行為を自分そのものだと勘違いしているのです。ですから感情のいうことに振り回され、感情のいいなりになったり、それをおさえつけようと躍起になったりしているのです。あなたは複数の人格や性格をもっています。あなたの中には悪魔もいるし、殺人鬼もいるし、聖人君子もいるし、みじめで、情けなくて、不安でいっぱいの部分もあることでしょう。つまりあなたは多重人格な存在です。しかしなぜ多重人格だと理解できるのでしょうか? それは「誰か」が耳を傾けているからです。多重人格の声を聞く「誰か」があなたの中にいるからです。彼らの訴える「声」に耳を傾けているのは誰でしょうか? その不満だらけの「声」を聞いているのは誰でしょうか? 不満を訴えてくる「声」たちを認識しているのは誰でしょうか?

その「誰か」というのが「あなた」なのです! 体の声や、苦情や、悲しみや、恐怖感が訴えてくる「声」をあなたが聞いているということは、あなたはそれらの感情とは別の存在であることが明白です。あなたがほしい現実や物事を100%叶えられなかった一番の理由は、この「声」たちを自分自身だと勘違いしていることにあるのです。この「声」を自分自身の思いだと信じ、自分自身が感じていると勘違いしているため、苦しんでいるのです。しかしこの感情的なトラウマたちの「声」は「あなた」ではありません! これらの「声」はあなたが養ってきた民たちであり、民はあなたという主人に向かって訴えているのです。「どうかわかってほしい! どうか別の現実をつくって変更してほしい!」と訴えているのです。

あなた自身は、不足や欠乏の声ではないのです。「あいつがあんなことをした」「こんなひどい目にあわされた」「自分はダメだ」「私は全然持っていない」「もっといい環境にいたらなあ」といった声は、あなた自身ではないのです。声に気づいたら、その時こそ自分を取り戻して「聞き手」であるあなたを自覚してみて下さい。声の訴えを聞いている「認識者」であり「観察者」であるという自覚をより太く強くしてください。中心に存在する観察者(認識者)が自分自身だと心から納得し、その理解が強く太くなれば、おのずと訴える「声」に対して揺れ動くことはなくなります。動じなくなるのです。「空」という観察者があなたであり、人格(=声)との区別がハッキリしていけばいくほど、あなたはパワフルになっていくのです。訴える「声」を聞いてあげれば、あなたが養っているさまざまな感情である民たちの反乱は終わります。あなたという主人に彼らは聞いてほしいだけなのです。彼らの苦悩に耳を傾け、その気持ちが理解できたとき、彼らは静かになるのです。彼らの訴える「声」は今後も不安感や不満をいってくるかもしれません。そのたびに「声」が知らなかった新しい情報、つまり「現実はいつでも自分の好きなように変更できる」という情報を「声」に与えてあげることで、人格の部分が納得して引き下がっていくことでしょう。

あなたは、性格や人格という偽の自己から「空」という創造元&観察者(認識者)に戻るべきなのです。どこまでも、そして、いついかなるときも、常に「声」を認識する側でいてください。そうでなければ、あなたは「声」を救ってあげることができないからです。きわめて感情的な「声」から切り離された位置にいればいるほど、あなたは創造の主人となり、どんな願望も達成することができるのです。あなたという「空」は「声」の主人であり、願望を発する側であり、その願望達成を観察する者(意識)であるのです。しかしこのような自分の事実を知らなければ、自分の現実状況に一喜一憂することになり、多くのエネルギーを消耗していきます。

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私自身、苦しみや悲しみに打ちのめされている自分を、どこかで俯瞰(全体を上から見ること)して、「この感情をなくすにはこうすればいいのでは?」と遠くから冷静に考えているような自分をなんとなく意識していた。

音楽を志していた時も、実はどこかで、「本当にやりたいことは音楽ではないみたい」と思っていた自分がいた。しかし、その時は、音楽を自分なりに納得するまでやり切らなければ氣が済まない自分がいたので、氣のすむまでやっていたのである。

正直に言えば、大学時代の頃から、見えない世界に対する尽きない興味があった。

だから精神世界系の本はその頃からずっと読んでいたし、オーラの写真を撮ったり、そういう話をする事のできる父とそういう催し物や講演会に行ったりすることもあった。

でも、まさか自分がそういう世界に入り込むことになろうとは、その頃は思いもしなかったのである。

自分にとっては高嶺の花というか、非現実的なものという見方を消すことができなかった。
精神世界で仕事したり、そういう事を極めたりするような人は、ごく一部の限られた人たちだけなんだと思い込んでいたのである。

でも音楽に対する限界を見て、今度は地に足を付けて現実をしっかり生きようと、環境問題に目覚めて自分のできることから始めたり、主婦になって日常生活を自立させるということに意識を向けていった。音楽は趣味で続け、それが却ってポジティブで洗練された音楽を作るきっかけになり、更にその合間に、病気をした事がきっかけで、精神世界に対する興味はより強くなっていった。

そして、今では靈氣を極めることが私にとって本当に必要なことなんだと自覚するに至ったのである。

でも、本当は既に学生の頃から知っていたのである。

自分は生まれつき、霊的成長を極めていく必要がある魂なのであると。

それが、私という「空」の声であったのだと。


元々、人格というものは存在していない。

これは、私も既に気付いていた。

人格というのは、解放し切れていない自分の感情によって作られているものなのだと。

一度、ヒーリングを極めるには「人格者になりなさい」と師匠に言われたが、それはつまり、小我によって作られた感情的な人格は捨て、大我である「空」である自分になれ、ということなのだと思った。

Manaさん的に言えば、自分の中で養ってきた民(=感情)を鎮める観察者、つまり「空」に戻りなさい、ということである。

自分は「空」なのだ、と自覚することができたならば、絶対にブレることはないのである。

それはつまり、「空」とは「愛」であり「神」であり「自然」であるからである。

要するに、言い方が変わっただけのこと。

でも、「空」と表現することには深い意味がある。もしかしたら最も分かり易い表現かも知れない。

「空」とは、その辺にある”氣”であり、つまり、”宇宙エネルギー”そのものなのである。

要するに、私達生きとし生けるものは、全て、”宇宙エネルギー”そのものだということ。

本当は、私達は見えない宇宙エネルギーなのである。

見えない宇宙エネルギーが、自分が何者かを知る為に、わざわざ人間のボディという着ぐるみを着て、地球に降り立ったのである。

人間という着ぐるみを着て物質界に降り立つと、物質文明的な思考を刷り込まれ、また人間の肉眼に入ってくる視界を通して物質的現象を三次元的に見せられて、それに対する感情や思考が沸き起こってくるのである。しかし、それらはあくまで物質文明的な感情や思考なのである。その感情や思考を制御するのが「空」である、本来の自分の役割なのである。それに氣付くことがまず第一歩であり、氣付いた後は、どうやって「空」に戻り切ることができるか、が私達の本当の生きる目的なのである。

本来の私達は、見えない宇宙エネルギーという存在だという事が分かれば、目に見えるものだけで判断するような事は起こらないし、また、周囲の物質や物事から、見えないエネルギーを読み取る力が出てくるのである。

それを極めていくと、霊視や透視まで可能になってくるのである。

それは、限られた人間に起こるものではなく、氣付いた人全員に起こるものである。

だから、精神世界ほど平等な世界はないのである。

物質世界ほど、不平等な世界はないのである。

不平等な世界に身を埋めて、自分のエゴを満たす為に、裕福で何一つ不自由のない存在を目指しますか?

それとも、平等な世界があることに氣付いて、その世界に身を置き、氣付いていない人々を一人でも多く気付かせ、平等な世界に引き入れる役目を負うことに自分の心血を注ぐと決心しますか?

今、正にその選択が問われているのである。

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2011年3月28日 (月)

”主観”で生きよ

さて、まだまだやや強い余震が続いていて不安定な状況が続くが、そんな中、日本国民の意識はどれほど変換したのだろうか。

先日、旦那に子供を預け、久しぶりに大学時代の先輩と再会し、積もる話を交し合ったのだが、やはり東北関東大震災の話から始まり、今後の日本の未来を2人で案じた。

この大震災によってパニックになっても尚、喉元過ぎれば熱さを忘れるかの如く、今までと同じ感覚で何事もなかったかのように生きているように見える人々を見ていると、どうしても、この先の日本を危惧してしまう、といったような話が先輩から出た。

確かにその通りである。東北は今回は甚大な被害をくらい、どれ程被災者の方々が心身ともに疲弊しているのか計り兼ねるほどであるが、関東は、確かに大きな地震ではあったものの、津波の被害もなく、電車がストップして交通パニックになっただけで済んだ。

でも、もし震源地が関東で全く同じレベルの震災が発生したら、こんなのでは済まないだろう。更に人口の集中している関東圏では、東北の数倍の死者・行方不明者が出ることは必至である。更に数々の高層ビルが陥落した場合の被害は更に酷いはずである。

さて今回の震災で、どれだけの想像力を働かせて未来を案じ、意識が変わり、今後に備えることができるか否か。そこが命運の分かれ道であろう。

そうやって大きな出来事を経験して、周りを見渡してみた時に、先輩が抱いたような思いが湧き上がってきたのなら、その時既にその人は意識が今までとはがらりとシフトしているのである。

意識が変わったと知る瞬間。

それは正に、自分の波動が上昇したと知る瞬間なのである。

その時の氣分は決して具合のいいものではない。

何故ならば、そうなった瞬間、それまでの出来事や環境に対する数々の疑問が湧き上がり、数々の周囲の意識とのギャップに大きな戸惑いを覚え、もしかしてそう考える自分こそがおかしいのではないか、と自分を責めてしまうことすらあるからである。

でも神は責めない。

それでいいんだよ、と言って下さっているのが分かる。

むしろ、その意識の変化こそが、神の希望だからである。

どんどん意識を変えて、出る杭になれ。

打たれても打たれても、更に出っぱって出っぱって、自分の思いに真っ直ぐになれ。

自分の心を癒し、慰められるのは、自分自身でしかない。

自分は自分なのだ。

自分を変えるのは自分。

波動を上げるチャンスはそこここにいくらでもある。

何も今回のような大きなアクシデントが起きたことがきっかけの全てではない。

アマゾンの森林がどんどん伐採されている事実を知って意識が変わる人もいる。

単に道路に懸命に咲く一輪の花を見て、意識が大きく変わる人もいる。

きっかけは人それぞれである。

とにかく波動を上げるチャンスを逃さない人が増えれば増える程、この先の人類の未来にも光が差し込んでくる。

未来に光を入れる存在になるのは、目の前のあなただよ。

これからは”主観”を大事にする時代である。

他人の考えに振り回されない、自分自身の意志をしっかり持って行動する、そんな時代である。

今までは自分を”客観”視して、自分と他人を比較して、他人と同等か、世の中の常識の範囲で他人を上回るくらいの自分を保とうとすることが美徳とされてきたのだ。皆で一緒に足並み揃えていくことが協調性があって道徳的だと教えられてきたのだ。また上の者に付き従い、従順に行動することが優等生であると教えられてきたのだ。

しかしこれからは全く違う。

一見自己中心的に見えるようであっても、それが神の希望であるのならば、自分自身の絶対意志であるのならば、その自己の思いに従順になって行動することが宇宙の法則に適った生き方なのである。人の思いや都合に従順になる前にまず、自己の思いに従順にならなければならないのである。

それはただの我が儘とは全く違う。

神の希望とは、愛に生きることである。

自己の思いに従順になるということは、自己に宿る愛に従順になることなのである。

それを一人一人が実行することで、自然にバランスの取れた関係を周囲と育んでいくことができるのである。

だから、何か今、自分の置かれている立場や存在意義に無理があると感じているのならば、それは他人や環境に振り回されている結果なのである。不自然に行動した結果なのである。

ただそれすらも、全くの無駄ではなく、経験の一つとして、自分の細胞に刻まれていくのである。つまり、自分が生まれてくる前にプログラムした学びの計画の一端なのである。その不自然な経験を味わうことによって、自然に生きるということがいかに自己の癒しになるのか、自分らしく生きるということがいかに楽で幸せなことなのか、という事を知るのである。

知った時に、意識が変わり、波動が上がるのである。

自然に自分らしく生きていくことが、神の望みなのである。

まずそれができる事によって、初めて他人への癒しを行うことができるのである。

だから今までの常識では順序が真逆なのである。

まず自己を愛の中心に持っていくこと。そして自分が光になること。自分自身をしっかり愛してあげること。

それによってのみ、他人に真実の愛を与えることができる。

自己を愛せぬままに、他人に奉仕していたら、どんどん自己がなくなってしまう。

また、奉仕される相手も却って不愉快になるだけである。

それはただのありがた迷惑の代物でしかない。やってあげている、とか仕方なくやっている、という気持ちなら、却ってやらない方がいいのである。

だから、まずは自分を愛せるようになること。

その為には、自分の思いにまず従順に行動できるようになること。

それが魂の浄化にそのまま繋がっていくのである。


日本が生まれ変わるには、神々しい文化を取り戻してアジアの中心に相応しい国になるには、そののち、世界の中心に相応しい国になるには、日本人の意識の変化が必至である。

日本人として生まれた意義の大きさを今一度噛み締めて欲しい。

天皇という現人神の存在の偉大さを今一度噛み締めて欲しい。

そして祈って欲しい。

新時代の倭国を作り上げるために。

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2011年1月 7日 (金)

守るものは何もない

さて、今年に入ってまた去年とは一味違った大変化の年になりそうな氣がして、今からドキドキ・ワクワクの毎日を過ごしている。

私にとって去年は、大覚醒&大浄化の年だった。

覚醒し立ての頃は、まだ不安や恐怖心が自分の自信と背中合わせにあったので、その不安や恐怖心を取り除くのに時間が必要だった。そしてブログでの内面の吐露が大変浄化の役に立った。

浄化とは。

浄化とは、まず自分の心の中に押しとどめている思いや感情や意志を外に出すことである。

そしてそれによって、どんな辛いことがあっても、苦しいことがあっても、自分一人で生きてきた訳ではなかったし、周りでも同じような思いをしている人がいたのだと知り、いかに自分がここに奇跡的に生かされてきているのかに気付き、周りのあらゆるものに心の底から感謝の念が湧いてくることである。

そうすると、自然に自然に涙が溢れ出てくる。

そう、涙は心が浄化された証なのである。

悔しい時にも涙が出てくる場合があるが、それは自ら、心をその時その時で浄化しようとする意識の表れなのである。

だから、「なんで怒られて泣くんだよ」とか、「ちょっと苛められたくらいで泣くなよ」という言葉は、本当はタブーである。

泣くだけ泣いたらなんだかよく分からないけど、すっきりしてしまい、もうどうでもいいやって思えるでしょう?

だから泣きたい人を止めてはいけない。

笑うのはいいけど、泣くのは駄目だということは1つもない。

どんどん泣きましょう。


心に押し止めてしまった思いを外に出す方法としては、芸術として表現したり、日記に思いを吐き出したり、私のようにネットで公開したり、親しい友人や家族や心の師に話したり、やり方は人それぞれである。

しかし、何を浄化したらいいか分からない人がいる。

それは、心の中に押しとどめているものが何なのかを、探そうとしていないからである。

心の中に押しとどめたまま、外に吐き出すことなく、ずっと溜め込んだままでいると、それは”氣の塊”そのものであるので、氣を滞らせた状態が続く。それをずっとそのままにしていると、身体を蝕んで、実際に病気となる。
あるいは死後、その”氣の塊”を魂のふるさとへ冥土のありがた迷惑な土産として持っていくことになる。

まずは、自分の心の状態を知ろうとすることである。

それには内観する必要がある。

何に対して不満な思い、不安な思いをしているのか。

何に対して怯えているのか。

何に対して自信が持てないのか。

表面的には、何にも悩みがなさそうに見えても、人は何かしら必ず悩みや不安を持っているものである。

本当に悟りの境地に入れば、自分を表面的に取り繕うことがなくなるからである。

少しでも取り繕う自分があるのであれば、どこかに”氣の塊”を抱えている証拠である。

それはつまり、自分の”氣の塊”が流れてしまわないように守ってしまっているという証拠なのである。

どうして、病気の原因になってしまうような、ありがた迷惑な冥土の土産になってしまうような”氣の塊”を守ろうとするのか?

それはお金を貯め込んで使わないのと同じである。

幸か不幸か、お金は冥土の土産にすらならないので、生きているうちにいかに賢く使うかが大事になる。

しかし、”氣の塊”は、完全に自分の心の浄化が済むまで自分の魂の中に抱え込み続ける。

そして幾度幾度も氣が遠くなりそうなくらいに輪廻転生を繰り返しながら、実は抱え込むものは何もなかったんだという事実を知るのである。

そう、守るものは何もない。

初めから、何もなかったのだ。

それが、「色即是空、空即是色」の心なのである。

だからもう、無駄に”氣の塊”を守るのはやめませんか?

だって、神様が既に私達を守って下さっているのだから。

創造主が創って下さったこの世界で自由に遊べばよいのである。

そう、いかに心を遊ばせ、心のままに飛び、心のままに踊り、心のままに駆けることができるか。

ただそれだけが、創造主である神様の喜びであり、私達神の子の喜びなのである。

沢山泣いて、心が透明に輝き出すと、そこに光が差し込み、今までにない至福の思いが込み上げてくることだろう。

それが、愛である。

自分が本当の愛に氣付き、本当の愛で生きられるようになると、自分の周りにも本当の愛で輝いている人達が集まってくる。

良い循環がやってくる。

全ての歯車が合って、自分の波動も周りの波動も美しい螺旋を描いて上昇する。

自分の人生が美しい螺旋を描き出したら、自分の生まれてから死にゆくまでの螺旋の描き方が球体に近付くように強くイメージして日々を過ごそう。

1本の不動の直線に均等にまとわりつく美しい螺旋をね。

1本の不動の直線とは、自分の生きる姿勢そのもの。

少しでも歪むと綺麗な球体にはならないからね。

本当に5次元の世界がすごいなって思うのは、過去の出来事も、今より先の行いによって修正できるということである。

過去では本当に感謝の氣持ちを持つことができず、不平不満だらけで過ごしてきたのに、本当の愛に氣付いてその愛に沿った行いをするようになると、過去の出来事がそのまま”本当の愛に氣付き、行動していく為の素晴らしい経験”に摩り替わっていくのである。

そして、過去の体験で得たスキルや感覚的なものが今に活かされるのである。

だから、本当の愛に氣付いた時から、それまでの経験が全て無駄なものではなかったと知るのである。

だから無駄に”氣の塊”を抱えるのはやめましょう♪

意味分かったかな?( ̄ー+ ̄)ニヤリ

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2010年10月15日 (金)

本当のアセンションは自ら起こすもの

精神世界に少しでも興味のある方は、アセンションという言葉をネットで目にする事も出てきたと思うけど、じゃあアセンションって一体何なのかということになると、まだイマイチ分かっていない方も多いのではないだろうか。

地球が次元上昇するという話は、フォトン・ベルト関連の記事でも説明した。

しかし人間も次元上昇をするのか、と言えばそうではない。

もっと言えば、次元上昇する必要性を理解した者だけが、ようやっとギリギリで地球の次元上昇についていくことができるかも知れない、といったところかも知れない。

それだけ急ピッチで地球の波動が上がっている。

波動を上げるということは、意識を上げるということに等しい。

意識が上がれば、必然的に意志が上がる。

つまり今までにない高い意志を持って今を生きることができるようになる。

ということはどういうことか?

簡単に言えば、私が前から執拗に書いているように、愛に近付いた生き方ができるようになる、という意味である。

愛とはおなじみ、”自然”であり”宇宙”であり、それはつまり”神の意志そのもの”である。


私達は今まで愛から離れた生活をしていた。

愛から離れた生活に慣れ切ってしまっていた。

自然を崇拝せず、周りに感謝できず、自分が生きていることの意味を見出せず、混沌とした世の中に浸かって、そこから這い上がろうとする気力すら失って、現実逃避、自己否定をまるで格好いいとさえ感じる風潮ができあがり、シオニストユダヤ人が仕掛けた愚民化計画に見事にはまってしまった。

この愚民化計画は、本当に存在する。

シオンの議定書というものだ。

これは長くなるので後に書こう。

地球は2012年12月23日、フォトン・ベルトへの完全な突入に伴って、自らの波動を上げ、次元上昇へ向けて急ピッチで準備を進めているのである。

我々人間は、この事に気付き、今すぐにでもアセンションを自ら起こしていかなければならない。

もう、正直時間がない。

愛に近付いた行いとは何か?

以前にも書いたように、自分を生かしてくれている全ての存在に感謝するということ。

地球の平和を祈り続けるということ。

そして自分に自信を持つということ。

これは気持ちの問題である。

しかしこの気持ちがまず固まっていなければ、それ以上の行いをする事は不可能である。

まずここは意識として絶対必要なレベルである。

しかし、その一方で、その意識さえ確実に固まっていれば、他の愛に近付いた行いをする事はたやすくなる。

それが意志表示であり、意志に伴った行いである。

私は意志表示をする為に、ブログを書き始めた。

私の考えはこうであり、これが絶対であり、曲げることはない、という絶対意志の表明である。

もちろんこの意志の表明に辿り着くまでに、30何年という膨大な時間を費やした。

それまではいささか迷いがあった。

どれが真実なのかがまだ分からなかったからである。

911事件が起きてから2~3年経った頃、なんとなく自作自演の匂いがすると思っていたとはいえ、確実な証拠を出した情報はまだ殆どなかった。確実に、”YES”と信じられるまでは、テロリストは絶対にいないとブログで書くことはできない。

しかし、年月が経つにつれ、ふと気付いたら、信憑性の高い情報がネットから溢れ出ているではないか!

自分の目で現場を見た訳ではない。

しかし、直観的に、もうこれしかない、と言える情報がどんどん舞い込んできた。

直観とは、”自然な思考”のことである。

何も特別な能力ではない。

人間に当たり前に備わっている、自然の一部という存在としての遺伝子的智慧である。

ただただ私はこの直観だけを使って、この意志表明にこぎつけた。

ただそれだけである。

意志を表明するまでには、いろんな経験が必要である。

いろんな失敗も必要である。

私はいろんないい思いもしたかも知れないが、同時にいろんな悔しい思い、悲しい思い、沢山の失敗もしてきた。

何ら誰とも変わりのないごくごく一般庶民である。

しかし、愛に近付きたいという思いは人一倍強いと思う。

だから、今回、今の立場の自分でできることとして、ブログを書くことにした。

分かってくれる人は少ないかも知れないが、こういう話を書くのは実に勇気がいった。

ある意味において、”反社会的”な内容だからである。

でも、本当に地球の平和を取り戻したいと思ったら、何もしない訳にはいかなかった。

靈氣の勉強もまたその一つである。

自らを次元上昇させるのに、最も優れた手段が靈氣である、と思ったからである。

何故ならば、靈氣は自らに入り込んでくる宇宙エネルギーを操れるようになる手段だからである。

無限に存在する宇宙エネルギーをおおいに利用して、自らに足りないモノは何かに気付き、それを克服し、また自らを媒介して宇宙エネルギーを人様や動物や植物に送って生きる物全てを癒し、もっとすれば病気までをも治し、自然の力に守られている事を深く知り、感謝する。それを繰り返すことで理想的なエネルギーの循環をしていく事が可能になる。

だから、たやすく靈氣の術を手に入れて満足していてはいけない。

靈氣の術も磨きをかけなければ確実に衰えてゆく。

1秒たりとも今の状況に甘んじている猶予はないのである。

こんな私でさえも、間に合わないかも知れない。

それくらい、地球の次元上昇は確実に進んでいるのである。

危機感を煽りたくはないのだが、正直本当に時間はないと思った方がいい。

それくらいに思うので丁度いい。

それくらい、今は地球自身の大転換期なのである。

だからその辺のサイトにある、アセンションはまるで自動的に起こるかのような都合のいい情報は信じない方がいい。

また、アメリカの爺さんとその取り巻きが計画している、自己の利益の為だけに実行しようとしている”偽アセンション計画”にも振り回されてはならない。

この”偽アセンション計画”とは、人類を他国との確執(全て戦争屋によって仕組まれたもの)によって恐怖に陥れて、戦争しなくちゃいけないかのような状況を作り出し、またその一方で、地震兵器での威嚇や、気象操作・ウイルスのばらまきをして、本当に地球は滅亡するかも知れないかのような状況を作り出すことにある。

ただしかし、実際に気象操作やアマゾンなどの森林伐採などの人工的な行いが自然を壊滅状態にさせている事は事実である。これは本当はただちに止めさせなければならないのだが、大企業や大財閥の手によって進んでいるのだから、これらの利己主義的な人間達が改心しなければ解決しない問題なのである。だからこそ、こういった人間達にこそ、自らのアセンションの必要性について知ってもらうべきなのである。下手なやり方で啓蒙すれば自分の命が狙われるのだからどうしようもない。
最も手堅い方法は、戦争反対を皆で唱えることと、自然を壊す事を良しとする大企業の製造する商品は買わないという不買運動を起こすことであろう。

これらのような、恐怖心を煽る出来事や情報に振り回されて、ネガティブな思考に陥って立ちすくんでいてはならない。

悪魔は”ネガティブな思考”を最も好むのである。


ネガティブで卑屈で絶望感に満ちた思考を捨て、自ら率先して平和の為に一歩踏み出そう。

全員が一歩踏み出せば、それだけでがらりと状況は変わる。

自分自身、自分の家族、自分の友達、そして日本列島、アジア、世界、地球丸ごとを救うのは、”愛”だけである。


アセンションに関する長文すぎず分かり易いサイトがあったので転載させて頂く。

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「人類と地球のアセンション だからこれからこう生きよう」 船井幸雄 徳間書店2006 より


○アセンション(ascension)

・次元上昇を意味;3次元(地上界)、4次元(幽界)、5次元(霊界)、6次元(神界)、7次元(菩薩界)、8次元(如来界)、9次元(宇宙界)
・これまで何度もアセンションに失敗;レムリア、ムー、アトランティス
・1987年ごろから始まっていた →2012年12月21日~23日にピークを迎え、2020年ごろまでには終息;マヤ暦にも登場
・2010年前後から大きな位相のシフト →2000年~2005年は混乱、2006年~2010年は浄化(禊;みそぎ)
・意識が集合の波動として到来;生きとし生けるもの・生命体としての地球に共感と尊敬の念
・本来は惑星全体で何年も前から大々的に準備しそのときが来るのを待ち焦がれる性質のもの
・地球のアセンションにより太陽系全体がアセンション完了;地球は一つの意識体
・アセンションの中心地は日本となる(人種差別がない、宗教対立がない、勤勉で和を重んじる)
・健康な心と身体・明るい環境・安定した経済などすべてを調和させていくことはアセンションを成功に導く

○生き方

・一人ひとりが自らの役割に気づくことが第一 →創造の中心意識をあがめ奉る必要はない・感謝の気持ち
・まずは足ることを知り日々感謝の思いとともに常に謙虚に生きる
・創造主は永遠の大進化・大調和を目的として人間はその目的のもとに転生輪廻を繰り返して成長
・愛とは創造主の心 →調和は助け合い・支え合い・相互扶助・感謝によって実現
・生きるコツはシンプルであること、ものごとをプラス発想すること、与え好きであること

○プレアデス意識

・すべての存在は広大なエネルギーの網状、天空は生命に満ちている
・人類が宇宙のパワーについて新しい理解の領域に踏み込もうとしている
・音もなく惑星を目覚めさせようとしている塊状のエネルギーの扱い方をアドバイス

○人間

・人間の役割は宇宙と地球のエネルギーの架け橋となること
・99%は肉体を取り巻くエネルギー磁場;カー、気、プラナ
・全身を流れる自分のエネルギーと地球の核と宇宙の中心をつなぎエネルギーレベルを上昇させることがアセンションにつながる

・1)肉体との関係を育成・強化、2)自己の真実との関係や他者との率直な関係を意識、3)仕事の関係と奉仕との関係強化、4)聖なる元素(土、火、水、気)との関係強化
・大事なことは、素直に生きること、徳を積むこと、感謝の気持ちを忘れないこと
・本質は魂(光子体)、肉体は魂の入れ物、魂を成長させることが人生の目的
・人間の生活は一つ一つの小さな出来事の連続;何事に対しても行って見る・触れてみる・自分の感覚で学ぶ →自力
・人間には無限の能力がある、誰でも発露できる、悪に使わず善に活用

○チャクラ

1.基底チャクラ;尾骨 →生命エネルギー、肉体活動、性的能力、生殖能力に関係
2.丹田チャクラ;臍下 →忍耐力、創造性
3.太陽神経叢チャクラ;みぞおち →創造性、知性、陽気さ
4.ハートのチャクラ;胸の真ん中 →コミュニケーション、社会性、愛情表現、感性
5.咽のチャクラ;咽 →コミュニケーション、自己表現
6.第三の目;眉間 →芸術、創造、直観力
7.王冠チャクラ;頭のてっぺん →直感、精神性、宇宙的意識
 7つのチャクラが開いて真我に目覚めると肉体の制約を受けない高次元の意識に

 心の眼が開かれれば閃きが頻繁に起こる

○四次元の世界

・直感に満ちた洞察力を信じ、動機を信じ、内在する神性を信じて行動
・透明になったように感じる →想念の妨害やイデオロギーの束縛から解き放たれ摩擦がなくなる
・アセンションすると4次元以上=非物質領域へも自由に行き来できる
・目に見えない世界を「原因の世界」、目に見える世界を「結果の世界」

○オーパーツ(Out of Place Artifacts)

 イースター島モアイ像、ナスカ地上絵、イギリスのストーンヘンジ、ベリーズの水晶ドクロ、コロンビアの黄金ジェット、エジプトのピラミッド

○宇宙の力

・重力、電磁力、強い力、弱い力の4つの力 →4つの力は作用する物質の間をゲージ素粒子が行き交うことによって発生
・ゲージ素粒子にはグラビトン(重力媒介)、フォトン(電磁力媒介)、グルーオン(強い力媒介)、ウィークボソン(弱い力媒介)+セイマトロン(思念子;生命力や精神力等)、クテオン(天子;万物創生の力や直観力)

○信用できないチャネラー

 →脅す、いじめる、心配させる、差別する、責める、強制する、こだわる、威張る、自慢する、他者を批判する、悪口や欠点を指摘する、マイナス発想、形式や儀式・高額なお金を要求する、グッズや機器・偶像などを売りつける

○波動の法則

 →同じものは引き合う、違うものは反発しあう、自分が出した波動は自分に返ってくる、優位の波動は劣位の波動をコントロールできる

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他の参照項目は以下の通り。

心&身魂のアセンション

アセンション--宇宙からのメッセージ--

さあ、一緒にアセンションしましょう!!

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2010年10月 1日 (金)

人は見かけじゃない

なんて、こんな当たり前の事をなんで改めて書かなくちゃいけないのだろうと思いながらも、やはり今だからこそこういった基本的な事もしっかり書かなくちゃいけないのだろうと思い、書いておく。

ある靈氣の勉強に参加した日に、とある名の知れた振り付け師さんもそこで勉強しているのだが、その振り付け師さんがこんな話をしてくれた。(ちょっと難しい表現の話だったので、実際の話とは少々違っていると思うけど悪しからず)

―― 私は良く自分がふと思った事に対する夢みたいなものをしょっちゅう感じたり寝ている間に見たりするんだけど、こんな事言ったら大変申し訳ないんだけど、正直な話すると、最初にここに来て皆さんと靈氣の勉強をすることになった日、ここに来ているあまりセンスのよくない人達と一緒に勉強するのは嫌だなあって思ってしまったんですよ。そしたらその日こんな夢を見ました。自分の部屋の中でいろんな物が落ちてくるんですけど、それがあまりに真っ直ぐなんですね。要するに垂直なんです。垂直に物が落ちるのは次元が真っ二つに分かれるとか、そういう意味に私は取っているんですが、そういう夢を見て、その後自分の事務所に行くと、どんどん皆の顔が変わっていくように感じたんですね。そしてまたとある時に目を瞑っていたらまた夢が出てきて、自分の事務所がビルの中にあって、そこに行くと皆の顔が全然変わってて、そうかと思ったら急に洪水みたいなのが起こって事務所の中まで水が入ってきてしまったんですね。そこでふと、地球の終わりが来た時に、そういう考え方をしていたら、きっと水に呑まれて生き残っていくことはできないのだなあと思ったんです。


これが別次元に行くか同じ次元に取り残されるかの瀬戸際なのだろう。それで垂直に物が落ちていく夢も見たのだろう。と付け加えておく。

地球の終わりが来た時、と本人は話していたが、実際は地球の終わりではなくて人類の終わりであろう。

地球は別に終わらない。地球の浄化力に耐えられない人々が一掃されるだけだから。

ただもちろん人間がそんなになってしまった事に対して、地球も残念無念と傷付くことは間違いないけれど。

人間よりも地球の方が立場がはるかに上なのは言うまでもないこと。


まだまだこの振り付け師さんが言っていたような考え方を捨てきれない人々があまりにも沢山いる。

人は見かけじゃない。センスの良し悪しではない。

見かけとは、他人から作られたものに過ぎないからである。

こういうのが格好いいとか、こういうのがお洒落なんだとか、そういう外部からの情報の通りに振舞ったり着飾ったりすれば、誰だってそれなりにお洒落にも格好良くもなれるのである。

要するに、”この時代に合ったスタイルはこういうものなんだよ”という都会から発信されて固定化された観念に縛られているだけなのである。

昔、例えば平安時代は、髪をやたら伸ばして眉を小さくしてぽっちゃりした顔立ちを美人とされたが、今は絶対にそういう人を美人とは呼ばないように。

しかも最近は益々日本人が西洋化していき、まるでそれが美徳だといわんばかりの現象が起きた。

これこそが洗脳である。

日本人は日本人らしくあるべきなのに、食べ物が欧米化した事によって、徐々に若者の体系も西洋人に近付いていった。

特にアメリカ・ニューヨーク発信のスタイルやファッションが持て囃され、純粋な子供達を中心に生活様式の殆ど全てがアメリカナイズされてきてしまった。

今こそ、日本人が日本人のルーツを振り返り、そして立ち戻り、日本人らしい生活様式と日本人らしい精神を取り戻すことが必要不可欠なのである。

そして、それによってのみ、日本人が日本列島を救うことができるのである。


見かけや雰囲気、周りの噂話だけで、人を判断してはならない。

人の中身をしっかり見た上で判断しなければならない。

本当の悪人は、見た目がとっても善人に見えるものだから氣を付けなければならない。

それは普段の生活でいろんな人とコミュニケーションしていれば分かる。

人の事を悪く言ったり批判してばかりいて、自分は悪くないよ、あなたにとって最高のパートナーだよ、という振る舞いをしている人こそが悪人である。

菅総理は小沢一郎を、総理にふさわしくないだの、少し静かにしていてもらいたいだの、そういう自分の都合や周りの吹聴によるものに従うことでしか人を批判できない。見た目はクリーンな善人のように見えるけど、そういう人こそ疑わなければならない。実際にはネットニュースでは不倫問題が持ち上がっている。でも見事に従米の大マスコミに封じ込められてしまったが。

ただ、以前トロイカ体制の一人として小鳩政権下で君臨してきた筈の人間であるので、現在においては悪人ぶってるだけなのか、本当に悪人なのか、それはこれから分かることであろう。

私はまだ裏ミッションは続いていると見ている。

小沢一郎が代表戦の前に、「負けると分かっている戦いでもやらなきゃいけない時がある」と言っていたという。

いかにアメリカ政府を操り、世界を操り、今尚もそれを続けようとする人間達の目をくらまし、本当にここぞという時に小沢一郎がトップに立って国民主導の政治に切り替えていくか、そのタイミングをずっと見届けている状態だと感じている。


完全に悪人になりきるのにもまた大変な勇気がいる。

それは、人間がそもそも愛から離れて生きていくことが絶対に不可能だからである。

愛とは自然である。

愛とは地球である。

愛とは神である。

菅総理は悪人にもなりきれなければ善人にもなりきれない、悪く言ってしまえば中途半端な総理だから、目くらましに丁度いいのだろう。その時の流れに従って、一番無難な方向に行くのだ。どこかで小沢さんとの繋がりも絶対に確保しているはずだ。そうでなければ、小沢派の細野前幹事長代理が中国との取次ぎ役に出向くことはあるまい。将棋が趣味の一つで、政界に40年も君臨している小沢一郎が、それくらい先の事まで読んでない訳がない。
おそらくともここ数年の出来事は、小沢氏から見て全て想定内の出来事が起こるのだろう。

そう思えた時、近いうちきっと健全な日本社会を甦らせることができる!という確信が湧いてきた。

今回のテーマからどんどん広がってしまってまた政治の話をしてしまったが、人は絶対に愛から離れられない。この事に気付いたらすぐにでも愛に戻りたくなるだろう。

愛から離れることは不必要欲である。

愛に戻る事は必要欲である。

愛から離れ切ってしまって今更戻るのも恥ずかしいなど考えている一部の悪人に振り回されないように、常に自分の愛の場所を見失わないようにしておきましょう。

そうすれば人を見た目で判断することは絶対になくなります。

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2010年6月 2日 (水)

自然の力を使う事は依存ではない

私達はこの地球上に近年憚らずに居座ってきた物質文明に依存し、結果的にとても不自然な社会を形成し、不自然な環境に生きている。その状況は今最も過酷である。

しかし私達の魂は、潜在意識では、物凄く自然に戻りたい、自然のままになりたい、あるがままに生きたいという意識を常に持っている。

私達はこの物質文明の中で、常にコントロールされてきたし、また無理矢理にこの社会の”常識”に自分を当てはめようとして、自らを抑圧してきた。

最近はパワーストーンや、癒しを施す為のあらゆるヒーリングテクニック、波動を使った代替療法(フラワーエッセンスやホメオパシーなど)が水面下でじわじわと流行りだしてきた。

それは、抑圧してきた自分を解放したい、本当の自分を取り戻したい、つまり自然に回帰したいという自己の強い表れによるものだと思う。

本来人間は、地球の自然なままの環境の中に自然に順応して、自然に密着した”人間らしい”生活をしてきたのだ。

しかし、いつしか時の権力者によって、自然を崇拝して自然の中で暮らす神々しい文化は古臭いものとして片付けられ、欧米から資本主義などの新しい思想がやってきて、それを基に、欲を満たすことが最優先である物質文明が急速に謳われ始めたのである。

どんどん不自然になっていくなかで、人はその不自然さに振り回され、本来の自分を見失ってしまったのである。

パワーストーンやら、自然療法などを使う行為は依存もしくは他力本願なのでは、と私も考えたことはあった。
しかし、不自然な環境に長らく暮してきた私達世代は、どんなに頑張ってもその不自然さに汚染されてしまっている。その結果、人間の霊的能力は失われ、本来の人間だったら見えていたはずの自然のエネルギーを見ることができなくなり、結果、自然のエネルギー(プラーナなど)を取り込む為の主要なチャクラ(脊髄と頭部に7箇所ある氣の出入り口)が通常よりも小さくなっていたり、氣の取り込み方を歪めてしまっていたり、酷い人では完全に塞がってしまっているのである。
そういう身体を調整し、バランスを取る為には、自然に戻る行為をしなくてはならない。
でもそう簡単に今すぐ住まいや環境を変えることはできない。
家族と喧嘩して勘当されてまで山ごもりするというのも疑問である。
そこでパワーストーンを身に付けたり、靈氣などの自然療法を勉強することは、寧ろ必要な行為であると感じるようになった。

現在よくあるような、現世利益を追求したような新興宗教や霊感商法や占いとは全く違う。
自分の叶えたい事が私利私欲に絡んだものであったならば、パワーストーンや自然療法はそれを叶える為には存在していないからである。

私の場合、パワーストーンは自分のチャクラバランスを整え、オーラを強化する目的も含めて着けている。
自分自身は肉体だけの存在ではなく霊体の存在でもある。ならば霊体も調整する必要がある。その霊体がバランス良く調整された時、初めて自分は本来の自分に戻れるのである。

本来の自分に戻ってできること。
それは、あるがままに生きるということである。
その結果、自分のしたいことが周りのしがらみに囚われずにできるようになり、魂の成長を促してくれるのである。

そう、自然の力を利用するということは、自分の魂を成長させるのが目的である。

従って、決して現世利益が目的ではないのである。

だから、自然の力を利用するということは、魂の成長に必要な試練も当然やってくるということになる。

しかし、その試練も、本来の自分のままに行動できれば、自然に解決できるのである。

自然の力は宇宙の創造主からの贈り物である。

また、私達は一人で生きているのではない。

現実世界では家族に、そして見えない世界では、宇宙の創造主はもちろん、先祖や守護霊にも守ってもらって生かされているのである。

一人だけで生きていると考えていたらそれはエゴである。

依存ではなく、自然と調和するのである。その為に自然の力を感謝して使わせて頂くのである。

寧ろ今まで当然のように不自然に作られた物質に依存してきたではないか。

欲望を満たす為に、自然から離れて、人間が人間にとってのみ都合のよい合理性、効率性を求めた物質を作ってそれを使ってきたこと。依存とはこの物質文明のことを指すのだ。

その依存の結果、人間は自ら自分の首を絞めにかかっている。それが今のこの時代である。

自分が自然のままに振舞えるように、それが自立への階段となるように、自然の力を大いに使おうと思う。

ブランドでもない、誰のものでもない、宇宙の創造主が私達に平等に分け与えた贈り物、それが自然の力である。

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2010年3月 1日 (月)

あるがままに生きる

皆さん、あるがままに生きていますか?

あるがままに生きるとは、わがままに生きるのとは違う。

自分の心の思い描くに任せて生きることである。

わがままに生きる人は、周囲の人の心を傷付けることに疑問を持たない人。

でも潜在意識では、人の心を傷付けている自分を知っていて、いけない事をしていると認知している。

しかし、自分の私利私欲や建前を守ることが優先になってしまっているので、その潜在意識に気付かないフリをしているのである。

でもあるがままに生きる人は違う。

私利私欲でも建前でもなく、純粋に心が感じた事を実行している。

心が感じたままを実行する時は、人の心を傷付ける事はない。

もっと厳密に言えば、相手が同様に心が感じたままを受け止める事のできる人であれば、あるがままに生きる人から愛と希望と勇気をもらうことができる。

たとえ俄かにあるがままに生きる人の思いを受け止めることができない場合でも、少なくとも心が傷付いたとは思わないはずだ。

しかしながら、宇宙の法則に逆行しているこの世界では、あるがままに生きている人こそ、周りから見ればとてもわがままな人間に見えるかも知れない。

それは、周りの人間が私利私欲と建前を優先に生きているからである。

そういう人から見れば、あるがままに生きる人は、羨ましい以上に、その自由さに振り回されて自分を卑下してみたり、逆にその自由さを妬んだりする。

でも、本当はあるがままに生きる人こそ、周りに愛と調和をもたらす人なのだ。

だからこそ、この欲望高き抑圧された世界であるがままに生きる事はとても難しいと感じてしまうのである。

でも自分の心を満たす為には、あるがままに生きる事が必要なのだ。

周りからどんな目で見られても、心の思うがままに生きることができる人は、心が自立できた人である。

心が自立できているから、周りの様々な考えに振り回される事はなくなるのである。

小我に振り回されることなく、大我で生きていくことができるのである。

そして小我に振り回されず大我で生きるには、心の感じたままに生きる経験を沢山積まないとならない。

あらゆる経験を通じてこそ、人は心に”芯”(漢字では心に草かんむり。心に植物でいう茎が伸びていく)を作ることができるのである。

心に”芯”があれば、絶対にブレることはなくなる。

”芯”を中心に物を考えることができるようになるからである。

この”芯”こそ、神の意識である。

人は皆神の子である。

神の意識と”芯”で繋がるのである。

この”芯”を作る為に、いろんな経験をしていくのである。

経験する事を恐れない。

経験して失敗する事、恥をかくかも知れない事、周りから非常識だと思われるかも知れない事を恐れない。

そしてあるがままに経験すればする程、やっぱりこれで良かったんだ、という確信がどんどん得られて、その”芯”はどんどん太くなっていくのである。

その”芯”が太くなればなる程、神の意識のままに行動できるようになるのである。

神の意識のままに行動できる人が増えれば増える程、希望に満ちた地球の新しい時代を迎える事が簡単になっていくのである。

つまりあるがままに生きる人とは、神の意識のままに生きる人を指す。

皆さん、神の意識のままに生きていますか?

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2010年2月 6日 (土)

いい悪いはない

我々人類は、元々は一つの創造主の下でこの地上に降りてきた魂なので、意志は皆同じはず。

という事は、それに善悪をつけることが間違っているということになる。

意志はみな一つ。ただ手段や方法が違うだけ。

それらがみな宇宙の法則に適ったものならば、そこにいい悪いは生まれない。

じゃあ今の地球社会にある善悪をつける考え方ってなんだろう?

分かり易い例をいくつか挙げてみよう。


例えば、万引きって悪いこと。

でも、お店に陳列されている商品は、元を辿れば、自然に存在する材料でできた物。

宇宙の法則では、自然の万物は、みんな一様に差別なく平等に分け与えられるべき物。

それを、所有欲によって、お金という地球社会が産んだツールによって、不平等に分け与えられてしまった。

お金の沢山ある人は、自由に物が買える。ぜいたくもできる。

しかしお金が少ししかない人は、自由に物が買えない。

今の日本のように、大不況下にあると、生活必需品すら満足に手に入らない人達まで出てくる。

結果、万引きをしてしまう人達が出てくる。

もちろん、お金がそこそこある人でも万引きをする人達がいるのは、不安だからである。

いつどこでお金が断たれるのか怖い、貯金もしなくちゃいけないのになど考えて、なるべくお金は残しておきたいという思いがそうさせるのだろう。

でも、本当は、お金がなくたって、畑を耕して、田植えをして、もしくは山に暮らすなどしていけば、生きてはいける。

自然の恵みとは無縁の都会に暮らし、全てがお金で管理され、お金がないと生きて行けないようなシステムに完全に呑み込まれると、いざお金がなくなった時に太刀打ちできなくなってしまう。

もし”悪い”のだとすれば、万引きする人達ではなく、寧ろそういう仕組みそのものなのではないだろうか。

このシステムを放棄し、みんなが同じように自然の中で自然にある恵みに囲まれて暮らせば、生きて行けないかも知れないという不安は払拭され、万引きなんか起きず、泥棒も起きず、こういういい悪いは生まれない。


別に例えを挙げると、非行に走る少年少女はどうだろう。

どうしてわざわざ反社会的な行動をして目立とうなど考えるのだろうか。

それは、本当の自分自身を認めてもらえない寂しさからくる。

親が自分の希望ばかりを押し付けて、子供の思いに耳を傾けないでいると、子供はいつしか悲鳴をあげてしまう。

それまでは例え一生懸命親の言う事を聞いて、親に認められようと頑張っていたとしても、子供に意志が出てきて、それが親の希望と食い違うと、それまで一生懸命親に認められるように努力したのに、どうして親は分かってくれないんだと自暴自棄になり、結果的に非行に走ってしまう。

非行に走って悪いことをして目立って、親に心配をかける事で、自分の気持ちに気付いて欲しいと考える。

でも気付いてもらおうとそうするならまだいい。

最近は、親に隠れて非行をする少年少女が多く、そっちの方が問題だ。

それは親が子供の心に無関心だから起こる。

表面上は普通な善良な行いをしているので、問題ないのだろうと、子供の本心に目がいかないでいると、知らないうちに隠れて悪いことに手を出す。
親に自分の意見を言っても関心を持ってくれない。
だからもう自分の意見を聞いてもらおうとは思わない。
でも親にいい顔していれば怒られない。
親に従っている振りをすれば、隠れて自分の好きな事をしてもいいんだと思うようになる。
好奇心の旺盛な子供は、そこでハメをはずして危ない道に手を出してしまう。

でもそれこそ”悪い”としたら、子供ではなくて親の方である。

世間体や周囲の評価、近所との関係などを氣にするあまり、子供を親の希望を叶えるロボットのように育てようとする。
そこに問題がある。

もし宇宙の法則に適った生き方をしていたら、まずそのようにはならない。

子供は親から生まれてくるが、それはあくまで親の身体を媒介にしてこの世に生を受けるだけであり、親とは全く別の意志を持ってこの世に生まれる。
もちろん、親の意志と子供の意志が同じだったら申し分ないが、特に宇宙の法則とは真逆の地球社会に身を置いてきて、それに慣らされた人間が親だった場合は、どうしても同じにはならないだろう。
後世に地球に降りてくる魂ほど、波動が高いという。
それは、これからの新しい地球の時代に適応する為である。

そう、子供の言っている事にこそ、親は耳を傾けて、子供のやりたいようにさせるのが望ましいのだ。

親は特別偉くもないし凄くもない。
後から生まれた子供の方が神の意志を受け継いでいるので凄いエネルギーを持っているのだ。

子供の方が十分宇宙の法則に適った生き方をする事ができるのだ。

最初から親も宇宙の法則に適った生き方をしていれば、子供と意志が食い違うことはないはずなので、子供の非行が起こることはない。

つまり、しっかり心と心で親子のコミュニケーションを取っていれば、良い子とか悪い子という概念が消えるのである。

地球社会で植えつけられる、良い人・悪い人という概念は、あくまで宇宙の法則(神の意志であり、愛そのもの)に逆らった考え方である。

本来、人間はみな神の子である。

つまり人間はみな愛そのものである。

どんなに形相の悪いオヤジにも、犯罪者にも、ニートにも、その人の中心には”愛”がある。

愛を持っていない人はいない。

愛に逆らったルールの中で生きていくから、愛から離れてしまったような人間が増えるのだ。

でも、自分が実は愛そのものだった事に気付けば、いつでも愛と一体になることができる。

愛と一体になる悦びを知った時、一瞬でその人の罪は消える。

つまり、皆が愛と一体になれば、警察も病院も学校もいらなくなるのだ。

そして、いい悪いという概念が本当はないのだという事を知るのだ。


いい悪いで全てを判断してはいけない。

犯罪をしたから悪い人と断定したら、自分がいざ犯罪をしてしまって悪い人のレッテルを貼られた時、たった一つの犯罪だけでそう言われる事に物凄く違和感を覚えるだろう。
それまで生きてきた人生の全てを否定されたような気分になるだろう。
そして、犯罪をした理由を聞いて欲しいと願うだろう。
そうやって人を絶望の淵に追い詰める行為が、良い事だと言えるだろうか?
いくら地球社会のルールとはいえ、軽い罪なら更正の機会を与えてもらえるが、物凄い罪深い犯罪の場合は、今の日本だったら死刑もありえる。
本当は人が人を裁くことはできない。
同じようにこの地球に降りて魂の修行に来ているだけなのに。
何故死刑と言って殺されなければならないだろうか。
そしてまた、裁く人、処刑する人の魂の質がいかほどのものなのだろうか?
更に、長年に渡って繰り返されてきたであろう冤罪についてはどう説明されるのか?
何の罪もない人間を犯人に仕立て上げ、独房に入れてしまうのは、絶対に許されない。
テレビで報道されている沢山の犯罪が全て本当の犯人を捕まえ、正しい裁判がなされているとは到底言えまい。
そういう過ちが起きるのは警察の怠慢ではないか。
警察の怠慢ほど悪いことはないのではないか??


逆に言えば、いい悪いで判断する人は、相手からもいい悪いで判断されてしまうのだ。

それは、波長が合うから。

いい悪いで判断されたくないのなら、いい悪いで判断するのを止めることだ。

それが宇宙の法則である。

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2010年2月 1日 (月)

宇宙の法則には逆らえない

私達は、絶対に自然から離れて生きていくことはできない。

それはつまり、”絶対に愛から離れて生きていくことはできない”、と同義である。

これが一番ストレートで簡潔な”宇宙の法則”である。

でもこれで終わるのも何なので、私なりにもっと説明してみよう。


宇宙は、必ずそれを創った創造主がいらっしゃる。

そして、私達は必ずその創造主と繋がっている。

その創造主の意志そのものが、”愛”と訳されるものである。

この愛に従って、創造主と繋がっている事をはっきりと自覚し、創造主に与えられた使命を実行すること。
これが各々の魂の真の目的である。

人間は、必ずなんらかの使命を与えられている。
しかし、魂が肉体を身にまとって地上に生まれた時、その記憶は消されてしまう。
それは、魂がその使命に気付くまでに、様々な経験をさせる為である。

その様々な経験から、魂の叫びを自分自身で掘り起こす。

本当は、私は何がしたいのだろう。

何をするために、今ここにいるのだろう。

そうして自分の魂の真髄にアクセスしたいと思い始めるのである。
これが”直観”である。

魂の真髄にアクセスするという行為は、魂と繋がっている創造主とアクセスするという事に等しい。

直観を研ぎ澄ますという行為は、正に、創造主と交信するという行為なのだ。

そもそも子供の頃は、直観を無意識に自然に使うことができる。

それは、まだ魂が宇宙の法則を覚えているから。

しかし、現在のこの地球上の文明文化は、悲しくも、宇宙の法則とは真逆の方向に行ってしまっている。

子供もいつしか、宇宙の法則とは真逆の地球社会に身を置くことによって、段々素直さや純粋さを保つことが難しくなり、酷くなると、登校拒否したり、いじめが始まったり、挙句の果ては自殺する子供まで現れる。

宇宙の法則にしたがった社会の中で生きていくことができるならば、子供は全員、一人残らず素直で純粋なまま、一つの夢に向かって真っ直ぐに生きていくことができるはずなのだ。

もし、こんな地球社会に上手く順応して生きていくことができたとしても、それは表面上で、本来の魂の目的を見えなくした結果による。

自分の心を見なくしていった結果、一時的な安定・安心を得て、それに自己満足する。
しかし、また次に自分に襲い掛かる様々な競争やしがらみに上手く適応しなくちゃと頭で考えて、それをなんとか乗り越え、安心・安定・自尊心を満たそうともがく。
しかしその繰り返しをしても、本当に心が満たされることはないのである。

魂の本来の目的を果たさなければ、創造主は何度でも、使命を果たすまで同じ世界に私達を送り込むことになる。

この宇宙の法則とは真逆に動いている世界に身を置くのは、自分の魂が選択している。
魂の意志は創造主の意志でもあるからだ。
魂はこの世界に身を置いて、いろんな経験を積む過程を経て、本当の目的は魂の”意志=愛”を表明して愛を実践することなのだと気付く。気付ければあとは自然に身体が動いていく。魂の真髄にアクセスしながら目的に向かって進むだけである。
それこそが、魂の学びなのである。
魂は学ばなければ成長できない。
魂は成長したいから、わざわざ苦しい地球社会に身を置こうと選択しているのである。

つまり、地球社会を選んで生まれてきた私達は、とっても勇気のある魂なのである。

この地球上に生まれてきたというだけで、私達は本当は物凄いエネルギーを保有している事になるのだ。

そう、愛を実践して、地球社会を宇宙の法則に従った世界に変えていくこと。

これが私達の魂の真の目的なのだ。

それが、愛なのだ。

つまり、私達は正に、愛そのものなのだ。

私達は愛であったと真に気付いた時、私達の心は一つになる。

心が一つになれば、どんな困難が襲い掛かってこようとも、絶対に乗り越えることができる。

それは創造主が私達を確実にサポートして下さるからである。

この創造主の事を、私達は”神”と呼ぶ。

なにげなく、神という言葉を使ってきているけれど、この神こそ、宇宙体系の創造主である。

人間一人だけでは動かすことのできない事柄でも、皆の力が合わさって結束していくことができたならば、必ず地球は愛に満たされたエデンの世界に生まれ変わるのである。

もう個性を尊重していくオンリーワンの時代も終わりだ。

オンリーワンからオールワンの世界へ移行していかなければならない。

その時が迫ってきている。

この宇宙の法則には絶対に逆らうことはできない。

この波に私達は乗っかっていかなければならないのである。

正に時空のサーファーになるのだ。

私達は愛であり光である。

”愛=光=意志”である。

意志をしっかり持とう。私達はどこに向かっていきたいのか明確に意志を掲げよう。

この”愛=光”の力の前に、闇はひれふすだけである。

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