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2012年8月 4日 (土)

透明とは何か

透明とは何か。

透明とは、全ての色を統合した色。

透明とは、全てを許した後の色。

透明とは、あらゆる喜怒哀楽を味わい尽くした後に現れる色。

心を透明にするには、いろんな氣持ちを味わい尽くして、その全ての感情を許し、そして統合することである。

私にはまだ許せない感情が残っていたのだろう。

しかし、その許せない感情も、今徐々に許せるようになっていると感じている。

謙虚であることは必要だ。

しかし、謙虚さは、度を越すと下心になる。

怒りを持つことさえ必要だ。

ただ、怒りも度を越せば憎しみになる。

悲しみも苦しみも味わうことが必要だ。

要は、バランスをどう取るかということだ。

全ての感情・感覚・色彩がバランスよく統合された時、初めて無心になれる。

統合するとは、ポジティブになるということである。

ポジティブに全てをバランスよく体験し切った時に、初めて無我の境地に入れるのだ。

度を越した感覚を持ってしまった、これ以上いくと戻れなくなると感じた時に、別の感情が湧いてくるのを止めないことだ。

別の感情が湧いてくるのは、それは心のバランスを取ろうとしているのである。

だから止めてはいけないのだ。

あまりに謙虚になり過ぎて、相手が自分を見下すような態度を取ると感じた時に、私はいつも自然に怒りの感情が湧いてくる。

その感情はバランスを取る為なのだ。

そしてその感情に任せておくと、いつの間にか相手がそれを察知して、見下すことを止めるのである。

だから、感情の自然な流れを、どうか止めないで欲しい。

そして、止めない状態で、今の自分をよく内観して欲しい。

どうして自分は今この感情を抱いているのだろうかと。

心が取ろうとしているバランスを、どうかどうか止めないで下さい。

そして全ての感情を抑えつけず、また一つの感情に固執せず、感情の変化を静かに見守れる自分を常に心の中心に置いて過ごして下さい。

泣いてもいい、苦しんでもいい。

ただその行為がどこから来るのか、どうしてそうなったのか、いつも心の中心で見守って下さい。

それをやり切ったと感じた時に、自分の心が清々しく透明になっていくのである。

心の中心と心の外側が同化されて”真心”になるのである。

それまでの全ての出来事が、作り事でない、心の底から生まれた”ありがとう”の出来事に生まれ変わるのである。


正直、今の自分はまだまだ苦しい状況にあると言わざるを得ない。

しかし、これも聖なる山を登っている途中の一場面に過ぎないのだと感じている。

山は登れば登るほど、疲れが出る。苦しくなってくる。

でもその一方で、一歩ずつ山頂に向かっているのだと確信すれば、頑張ろうという氣持ちも湧いてくる。

ただただ目の前にある山道をひたすら歩き続けるだけ。

聖なる山という名の神様は、ちゃんとスタートとゴールを用意して下さっているのだ。

信じて歩き続ければ、必ずやゴールに辿り着けるのである。

私は今、聖なる山という神様を登っているという確信がある。

選択は間違っていないという確信がある。

だから後は、信じて歩き続けるだけ。

バランスを取りながら、全ての感情・感覚・色彩を味わって許しながら…。

心が透明になる頃には、感謝の氣持ちで景色が滲んで見えなくなる程の涙で、山頂を濡らすだろう。

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