変化の意識が変化を呼ぶ
最近は自分自身の変化が目まぐるしい。つい最近までは、大きな変化が起きている、という自覚はまだ薄かったが、ここに来て、遂に物事が動き出したとでもいうような、自分の中からも外からも、変化が私を取り巻き始めたのを確実に実感した。
というのも、遂にこの私にも、神の御意志を伝道すべく、御役目を与えられたからである。
自分が勉強している靈氣道は、今までは初伝(或いはそれ以上の伝位)を取得した仲間うちだけでその勉強内容を共有し、一般には勉強内容を公開せずにいた。しかしここに来て、遂に神様が師匠に、「一般にも公開し、どんどん靈氣道の素晴らしさと必要性を広めなさい」という啓示を与えたとのことで、これからの時代を生き抜く為の本当に必要なツールとして宣伝・啓蒙するという目的も兼ねて、私が靈氣道のHPの管理者を任されることになったのだった。
といっても、私自身はそんな大げさには捉えている訳ではないのだが、今はあまり機能していない当会のサイトも、大きく刷新され、更新も活発になってくれば、いよいよ自分の御役目は重要な位置づけになってくるのかなあ、と思うと、丹田に強く意識を下さずにはいられなかった。
ハンドルネームのみの書きっぱなしの、この言いたい放題ブログも大分落ち着いてきてしまったところで、今度は自分の名前を出して、当会のサイト管理者として靈氣道を背負って立つ身になったら、きっと書くことももっと言葉を選んで書かないといけないなあ、とやや緊張。しかし、今まで自分が書いてきた記事は、どれも私の直観で書いた一つの真実であり、きっと今までの記事の中からもネタを引っ張って応用していくだろう。
という訳で、こちらのプライベートブログが更に止まり気味になってしまう事をお許し願いたい。
実際的な変化はこれが一番大きいのだが、もう一つ挙げれば、つい最近の幼稚園のクラス会で、ママさん達が、放射能について不安を隠せないというような話になった時のこと。だったら今の放射能の量はどれくらいになっているのか園でも測定してもらおうよ、なんて話まで出て、正直私はイライラした。
そして私が意見を言う番になった時、ブログにも書いたように、放射能について不安になり過ぎたり、氣にし過ぎると却って放射能を呼んで病気になること、麻やひまわりの花が放射能を吸収してくれること、原爆が起きた場所も、数年後に雑草が自生していた事実などを例として話し、自然の力をもっと信じようといった話を説いたら、これに賛同してくれたママさんが結構いて、とても嬉しかった。ここの幼稚園も自然派にこだわるスタイルの幼稚園なので、私のような考え方を持ったママさんも少なからずいるだろうとは思っていた。しかし、一体どこまで自然の力を理解しているママさんがいるのか、ということまでは分からない。今回は自分は精神世界について勉強している身である事まで打ち明けて自分の考えを述べたのだが、本当に言えて良かったと思った。
そう思ったら、その翌日、最後の訪問介護先で、なんとパワーストーンのブレスレットを無くしてしまったのだった。
しかも、2個づけしていたうちの1個だけなくなっていた。どこでどう落としたのか皆目見当つかず、気付いたらもうなかったので、本当に不思議だった。一応、そこの家族の方に、見付かったら教えてくれるようには伝えておいたのだが・・・。
もしかしたら、今この時期については、そのブレスレットは必要ない、という神からのメッセージかも知れない、とも思った。実は、最近なくした方のブレスレットの必要性をあまり感じなくなっていたからである。実際に、無くさなかった方の水晶のブレスレットだけの方が、その水晶が生き生きとして見えた。買ったところの石屋のスタッフにも相談したら、今後見つかる可能性もあるし、今は水晶のブレスだけで過ごしてみていいんじゃない?とのこと。
それまで散々変化に変化を重ねて、石ビンボーになっちゃいそうというくらい、ブレスレットの石の入れ替えが激しかったのが、ここに来て、無くす、という事実に直面し、遂に一つのステージに辿り着いたのだと自覚した。
おまけに、明後日から阿蘇へ3日間行ってくる。
正直、阿蘇に行くのも、殆ど師匠に呼ばれたという自覚で行くので、きっと何か必要な出来事や場所に遭遇するだろうし、また自分自身も、必ず何かを掴み取って帰ってくるんだ、という氣持ちでいっぱいである。
更なる自分の御霊磨き、靈氣道の修行を通して、自分を輝かせ、至福の境地に辿り着くまで一層の努力をしていきたい。
放射能は一つの試練である。
試練は、逃げたら負け。
逃げることを選択する人は、自分さえよければいい、という氣持ちの人。
それは正にエゴイストである。
しかし実際には、逃げても逃げても逃げられないのである。
日本全国に原発はある。
今後どこで大きな地震や津波が起きて、原発事故が発生するか分からない。
だから、逃げれば逃げる程、放射能の驚異はあなたを脅かすだけである。
それに気付きさえすれば、逃げても同じだという事が分かる。
そう思えば、今度は寧ろ立ち向かっていかなければならないんだ、ということまで分かるのである。
試練はチャンス。
つまり、放射能も一つのチャンスなのだ。
放射能に立ち向かい、今の場所から逃げずに、生き抜くことを決意し、その決意を無にしないような努力をする人こそ、病気にもならず、飄々と生き抜けるのである。
福島の原発周辺に住んでいる人まで、逃げるな、とは言わないけどね。
それより離れた地域に住んで、とりあえず何ともなく無事に生きれている私達が、必要以上に怯えて、生きた心地がしないような生活に浸ってしまったら、そういう人こそ病気になって無念の死を迎えるだろう。
発想の転換が今こそ必要である。
今ここに生かされ、普通に呼吸させてもらえる奇跡をもっと味わい、神に深く感謝していこう。
そんなあなたを、神は愛すだろう。
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