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2011年5月

2011年5月30日 (月)

5月11日もやっぱり・・・

最近は新しい生活が始まって忙しくなったことをきっかけに、ネットサーフィンも途端に落ち着いてしまった。私自身、去年で充分にいろんな世界の裏の動きについて勉強してきて納得し、心も浄化され、落ち着いてしまったのが、最大の理由ではある。

という訳で、5月11日に何があったのか、すっかり見落としてしまっていた。

その前日は、私は311地震の被災地へ向かって仲間と共にお祈りをしていた。

従って、5月11日は特別大きなことは起こるまいとは感じていた。

ところが、どうやらそれは日本国内においてはそうなだけであったようだ。

どうも、日本のテレビでも取り沙汰されてはいないらしい。

私は最近まじめにテレビを見なくなってしまったので、もし報道されていたのなら、ご容赦願いたい。

以下の記事を見て欲しい。

ロケットニュース24より

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スペインで大地震が発生! マグニチュード5.2で死亡者多数
日本時間の5月12日午前1時47分ごろ、スペイン南部でマグニチュード5.2クラスの大地震が発生し、多くの人たちが亡くなっているという情報が入ってきた。この情報は『Yahoo! スペイン』も大々的に報じており、ロルカの町ではビルや民家が倒壊して少なくとも10人以上の死亡が確認されたという。

現地にいる日本人たちはインターネットコミュニケーションサービスTwitterやインターネット掲示板を利用し、生の情報をリアルタイムに書き込みしている。それらの書き込みが真実かどうかは不明だが、少なくとも現地で地震が発生したのは事実であり、パニック状態に陥っているようだ。

掲示板には多数の書き込みがあり、「スペインなうだけど、ヤバイ。ビルが倒壊してる。15人の遺体…」、「すごいパニック。パソコンからやってるけど、町の時計台や古い建物もやられている。道路も崩れて救急車がこれないってかこない。あちこちで、ボヤ。商店には若い人が物とか持ってててる」などの情報が書き込みされている。

また、「旅行。スペイン一周中です。バルセロナから時計回りでたまたまこの町にきました…」、「死者は20いってるよ」などの書き込みもあった。アルバセテやベレスルビオでも大きな被害が出ているという。

東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0で、今回のスペイン地震は5.2とされている(報道によって5.1~5.3などバラつきあり)。しかし、5.2だからといって被害が小さいわけではない。スペインをはじめヨーロッパの建築物は石造りのものが多く耐震力がない。地震に関しては「ほぼ無防備」といっても過言ではなく、マグニチュード5.2の地震でも都市がマヒするほど驚異的な天災なのだ。現地の人たちは、これからも余震に注意してほしいものだ。

ちなみに、日本のテレビ局はスペイン地震が発生してから数時間が経ってもテレビで大々的に報じていない。東日本大震災の不安を煽ることになるため、あえて報じていないのだろうか?

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どうやら私の信用しているサイトによれば、これも地震兵器HAARPによるものらしい。

日本の次は、スペインか・・・。

しかも、また11日?

やはり11日という日にちに関連づけて不都合なイベントをふっかけてくるつもりなのだろうか。

4月11日は、日本で大きな余震(?)が3回もきた。

”11”は数靈では、「第一歩を踏み出しなさい」というのが主な意味である。

これはもし、311~511の全てが人工地震だったということであったのならば、まだ地球を支配下に置いておきたい諦めの悪い裏社会の連中が、「これからハルマゲドンに向けて火蓋が切られた。賽は投げられた」というメッセージを象徴しているかのようにも取れる。

しかしその一方で、神様が「だからこそ覚醒の時がきた。覚醒して新しい時代へ踏み込め。本当の平和を築け」という強いメッセージを下さっているともとれる。

しかしこうやって11日に示し合わせたかのように起こる地震。まるでこれが人工地震であることがばれてももう構わないといったような分かり易さ。大分裏組織も投げやりになっているようだ。

さすがに6月11日は何もないことを祈りたい・・・。

ちなみに、まだ時計をふとみると、大体、”ぞろ目”か”○時11分”というのが相変わらず多い。

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2011年5月27日 (金)

”コントロールしない”こと

私にとってこの1年は、以前にも書いたように、大変化の年である。子供を幼稚園に入れたことで、自分自身の生活も一転し、新しい氣持ちで今までの氣付きをベースに、毅然と前進していく年である。

しかし、そうと思っていながらできていない事が一点あることにまた氣付いてしまった。

それは、自分の思い通りにしようとするあまり、そこに思考が入っていた、ということである。それはつまり、思い通りにしようと思って周囲をコントロールしようと躍起になることである。

私が勉強を続けている靈氣の奥義は、正に、”自然に”ということである。

つまり、靈氣で相手を動かしたり転がしたりなどという勉強をしているのだが、そこに思考や念が入っていると、却って相手を思うように動かしたり転がしたりすることが困難になるのだ。

だから、靈氣を使って相手を自分の思う通りに動かしたり転がしたいのであれば、そこに思考や念を入れないということになる。

つまり、全ては直観であり、言い換えれば”タイミング”なのだ、ということである。

この靈氣の奥義に則した在り方は、本当に自分が思った通りの生き方をしていこうと思うのならば、思考や念を捨てる、ということである。

今、自分が靈氣の勉強をしてきて、それがせっかく板についてきたところなのに、それを生活に上手く活かせていないではないか、ということに氣付いて、また反省したところである。


本当に自分の今の思いを現実化したいと思った時に、じゃあ具体的にどうすればよいのか。

まず、こうしたい、ああしたい、こうなりたい、ああなりたい、という自分を強くイメージする。

その後、それを現実化する為に必要だと心が思った事を行う。

行っていくうちに、必ず岐路に立たされる時が来ると思うので、そこで、今度はこっちに行こう、こうしてみよう、と心が感じた事を新たに行う。

その都度その都度、直観が全てである。

軌道修正がやってくる時が来るのも、またタイミングであり、自分にとって必要な試練である。

しかし、以前にも書いた通り、乗り越えられない試練は絶対にやってこない。

乗り越えようと思う前に諦めたら、その時点で至福に辿り着くことは不可能である。

とにかくなるべく立ち往生する時間をかけずに、機会を得た時にえんやとばかりその波に乗っていくことが、一番無理なくスムーズに思いを現実化するポイントである。

仮にもし、どんなに努力しても、必要な事を全てやってみても、思いを現実化することができないのであれば、その思いは、神様の意向に反したものであったと考えればいいだけのこと。

私達は、創造主のてのひらの上で遊ばせてもらっている”光=エネルギー体”なのだ。

創造主である神の思った事を現実化させる為に、今ここに生かされているのである。

神は、この地上が愛でいっぱいになることをお望みである。

それは、神が愛そのものだから。

愛とは、以前にもしつこく書いてきたように、自然そのものである。

だから、目の前にやってきた試練を、或いは自分がこうしたいと強く思った事を、自然に自然にクリアしていけば、どんどん愛に近付いて、最後には完全に”愛=自然”に返ることができるのである。


もしあなたが今、窮地に立たされていたり、大きな悩みを抱えていたりするのであれば、まず考えることをやめることである。考えることをやめて、私はこうなりたいんだ、ああなりたいんだ、と強く思った後に、すっかり心を空っぽにすれば、その中に宇宙からのメッセージが降りてくる。そのメッセージを受け取ることそのものが、直観である。
そして、その直観に従って実践していけば、その試練を乗り越えることができる。

その直観は、直接心にメッセージが降りる場合もあれば、ふと何気なく見た周辺の広告物や、空や、時計や、人や、新聞や、テレビや、或いは睡眠中の夢の中などに降りてくる場合もある。それを見逃さないでしっかり捉えようとする氣持ちを持てるようにすることが、直観力を鍛えることそのものである。そんなの氣のせいだ、と思ったらそれで終わりである。とにかく神様はあらゆる空間にメッセージを散りばめておいて下さっている。それをどれだけ掴まえて、それをどれだけ実行に移したか、が私達のライフワークの全てなのである。


”コントロールする”ということは具体的に言えばどういうことか。
例えば相手をコントロールしようとした場合、そのコントロールが仮に成功したとすると、今度は自分が相手にコントロールされる時が必ずやってきてしまうのである。
それはつまり、念である。お互いに念のキャッチボールをしているに過ぎないのである。
念のキャッチボールをしているとしたら、そのキャッチボールはどんどんお互いを苦しめる。
コントロールしようとする思いには、必ず私利私欲が混じっているからである。

純粋な氣持ちの中には、コントロールしてやろうというようなエゴは微塵も入っていない。

ただただ純粋に、心がそう思っているのである。

その純粋な思いを成就したければ、相手や周囲のあらゆる物を、コントロールしようとすることは絶対にない。

もし、純粋な思いの中にも、焦りや不安が募って、思わずコントロールしてしまうような感覚を持ってしまったら、また、その感覚が自分を苦しめていると感じたならば、一度その感覚を捨てるしかない。素に戻ることである。それは、言い換えれば、執着を捨てるということに同じである。

執着して良い事は一つもない。執着すればする程、相手もしくは対象物に逃げられる。


例えば、純粋に、一人のアーティストを好きだと思って、その人の作品に親しんでいた場合には、ふと何気なく振り向いたところに、そのアーティストの情報が載っている広告を見つけたり、或いは偶然テレビに映っているのを発見したりするものである。もし純粋に、そのアーティストに会いたいと思っていたら、きっと会うことができるだろう。

少し前に、とある番組で、私の隠れファンである須藤元気が、

「○○(外国の有名俳優)の大ファンで、イギリス行ったら何故か絶対に会えるって思ったんですよ。そして実際にイギリスに行ったら本当に道端でばったりと会うことができたんです。でももっとびっくりしたのは○○の方だったみたいで、○○に『お前が昨晩夢に出てきたんだよ!!』と言われたんです」

と言っているのを介護の職場のテレビで偶然見て、これも私にとって必要なメッセージとして見せられたのだな、と思った。

もし、須藤元気のように、”何故か○○に絶対会えると感じる”と言えるほどの強い思いが現れなければ、きっとあなたは○○に会うことはないだろう。それは、須藤元気と○○の波動が同じだったから強い思いが湧いて会えたのである。もっと言えば、須藤元気が事前に○○に会うという信号をキャッチしていたということである。そして○○も須藤元気を夢で見ることによって相手の波動をキャッチしていたのである。

言い換えれば、”強い思いが湧く”ということは、それだけ相手の強い思いや波動をキャッチしているという事に同じである。

何故だか知らないけど、とにかくあの人と連絡が取りたくなってきた、と思った時は、実際に相手もあなたと連絡が取りたいと思っていることに同じなのである。

これを恋愛に活かすなら、相手の事が何故だかとても氣になる、とか、好きだと思える、とか思った時は、実際に相手もあなたの事を意識しているのである。

でもそれを、自分の一方的な思いに過ぎない、と深く遠慮してしまったら、それ以上の進展はありえず、そこで終わってしまう。

ただ、思いと言葉がうらはらなのは3次元世界に洗脳されている人にはよくある事なので、じゃあ両想いな筈だと思って実際に告白したらふられてしまったという事もよくある話ではある。
Σ(;・∀・)

思わず恋愛のことまで書いてしまったが、これにはまだいろいろ書けることもあるので、氣が向いたら書きたいと思う(*´σー`)

今回は、ちょっと間延びした内容になってしまったが、私の言わんとすることは、分かってもらえただろうか・・・。


”コントロールしない”こと。

執着しないこと。

考えないこと。

不安にならないこと。

焦らないこと。

これが靈氣の奥義であり、至福への鍵である。

自然に返れ。全ての感覚を自然にせよ。

全てが自然なのである。

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2011年5月16日 (月)

被災地へ向かって祈ってきました

この間の5月10日、師匠の主導で、被災地への祈りを行った。

場所は三浦海岸。

うちからはかなり距離があるが、ちょっとした小旅行だと思って楽しみながら出掛けた。

何故三浦海岸なのかというと、日本の海岸の中でも三浦海岸は”陰”のスポットなのだそうだ。

つまり、陰陽の関係でいう、”陰”にあたり、”陰”は女性的なエネルギーとも言われ、要するに、受け皿のような役割を担うところなのだそうだ。

ということは、何でもかんでも、いろんなものを受け止めてしまう場所なので、被災地から来る重苦しいエネルギーをばっちり受け止めてしまっていて、なんとなく暗い印象になってしまっているというのである。

今回は、その受け皿になってしまっている三浦海岸に赴き、その重苦しいエネルギーを払拭し、三浦海岸から被災地へ向けて光を送るべく、祈りを敢行することになった。

海岸に着くと、師匠が、この海岸の中でも祈るのにふさわしい、なるべく明るいエネルギーが充満している場所を探して下さった。

みんながその場所に集まると、今度は被災地のある方向を探し始めた。

すると、師匠が言った。

「皆さん見て下さい。今空の雲が気流になって一つの方向に流れていってます。その方向が被災地を示してくれています」

確かに雲が細かい氣の流れのようになって一つの場所へ集まっている。こんな雲もまた初めて見たと思った。

「祈りをしようと集まってくれた私達の為に、神様が教えて下さったんですね。神は良い事をしようとする人々には必ず指し示して下さるのです」

と師匠は続けた。

神様はちゃんと私達を見届けて下さっているんだな、と思って心が洗われるようだった。

その後、神事をしてから、一般の方でも簡単に祈れるように、分かり易い現代の日本語で祈りを始めた。

「被災者の方が、1日でも早く平穏な生活に戻れますように」を100回。

「被災地が、1日でも早く復興しますように」を100回。

「原発に替わる新しいエネルギーが現れますように」を100回。

これをみんなで一斉に唱えた。

唱え始めて少し経つと、雨がぱらぱらと降り出した。

少し降った後、ほどなくして止んだ。

気候は曇り空で、暑すぎず寒すぎず、雨もそれ以上降ることはなく、とてもいい環境で唱えられた。

後から師匠が言うには、あらかじめ祈り易い環境になるように神にお願いしておいて下さったとのこと。

また、祈り始めに雨が降ったのは、周辺の浜辺や海岸にいる人間を外に出す為だったという。

確かに雨が降った後は、見事に私達以外は殆どの人が去って行ったらしく、辺りはしーんとしていた。

中には邪気のある人もいるので、祈りの邪魔になってしまうのだという。

それを払拭するために、神が雨を降らせてくれたのだという。


一通りのお祈りが終わった後、みんなで手を繋いで大きな輪になり、一人一人が思い思いに声を出して、心を一つにする”音靈行”を行った。

みんながいろんな声を響かせ合い、低い声から高い声、いろんな発声によって不思議と調和の取れたハーモニーのようになり、どんどんみんなの思いが一つになっていくのを感じた。

傍から見れば、何か怪しいことをやっている人達に見えるのかも知れなかったが、真剣な氣持ちで、且つ心を清めようとする氣持ちでやっている私達にとっては、そんなことはまるで関係のないことだった。

やり終えた後は、実に清々しい氣持ちになり、達成感でいっぱいになった。

本当に、時間をかけてここに来てよかった、と思った。

師匠が言った。

「皆さんの真剣な祈りが被災地にもきっと伝わったと思います。今日はありがとうございました」

その後、昼食を摂って解散。

実は、GWに寒い中外に長時間いた日があったのがいけなかったのか、喉がいがいがしていたのだが、なんとかこじらせることなく無事に祈り切ることができた。

その後一生懸命自己ヒーリングに努めたら、それ以上酷くならずに完治できた。

良い行いをした事による神様の計らいでもあるのかも知れない、と思った。

また、案の定、懸念していた翌日の5月11日は、大きな地震が起きることもなく、穏やかな1日だった。

本当に良かった。

祈りは本当に届く。

思いは絶対に現実化する。

その意識と意志のエネルギーの凄さを敏感に感じ取って欲しい。

また、既にもうそういう時代に入っている。

どんどん思いがストレートに現実化する時代に移行している。

だからこそ、ネガティブな発想、マイナスな思考を捨てよ。

絶対に生き抜けるし、絶対に幸せになるし、絶対に愛するべき人が見つかるのだと、自分自身を信じよ。

これからは、自分自身を信じた者だけが、自分自身を至福へと導くことができるのである。

”たとえ世界中の全ての人を敵に回しても、自分自身を信じろ”

とは、私の仲間の一人に言った師匠の御言葉だそうだ。

私もこの御言葉を聞いて、目頭が熱くなった。

師匠が自分に襲ってくる大変なエネルギーを一つ一つ振り払いながら、今こうして無事に生き抜いて、私達を導いて下さっているからこそ、私達があるのだという事に、また感謝の念が湧いた。

全て繋がっているんだよ。

人と人との愛。

それがまた周囲の人に伝わって、そして愛が大きくなって、それから愛で地球が満たされて、5次元の世界が構築されていく。

私はそれだけを今見つめて生きている。

これでいいんだと思える。

だから、私はこれからも真っ直ぐに生きていこう。

合掌。

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2011年5月 7日 (土)

自然界の動きについていく為に

うちの師匠は、大概会う度に「時間がない」という。

「時間がない」とは一体どういうことか。

これが、私が最初の方に話した、自然界の動きのことである。

最初の記事で書いた、師匠が見た予知夢の話。

あれは、本当に起こることである。

しかし、師匠やその他本物のライトワーカー達が今懸命にお祈りして下さっている。

その懸命なお祈りによって、その時期が少しずつ先送りになっているのだという。

だからといって、起こらないと言っているのではない。

起こらなければ、地球自身のアセンションが完遂されないからである。

地球自身は今まで何度も失敗してきたアセンションを、今回は必ず成功させなければならないのである。

というのは、今回がもう、ラストチャンスだからである。

もし今度、地球自身のアセンションが達成されなければ、もう私達地球人としての未来もなければ、地球自身も火星のようなほぼ砂漠化したような眠りの星になってしまうそうだ。

だから、今回はもう、本気中の本気で、地球自身はアセンションを達成させる予定なのである。

じゃあ、何故ライトワーカー達は懸命なお祈りをして、その時期を先送りにしようとしているのか。

それは、私達地球人のアセンション能力を、できうる限り高めておく必要があるからである。

地球のアセンションが達成される時には、当然私達地球人も一緒に地球についていく程のレベルに達していなければならない。

しかし、なかなか予定通りに地球人のレベルが上がっていないのが実状なのだそうだ。

いまだにテレビなど大マスコミの洗脳報道で心が歪んでいたり、恐怖心に満ちていたり、悩みを持ち続けて解決できないままでいたり、トラウマを抱え込んでいたり、私利私欲にばかり目が向いていたり、”人並み”であることや常識的であろうとすることに囚われていたりする人々が実に多い。

今までの作られた道徳や常識の枠を、自らどんどんとっぱらい、本当の自分に目覚めていかなければならないのである。

私達がここに生まれてきたたった一つの理由は、”地球を守ること”である。

そのたった一つの、実にシンプルでピュアな思いを、様々な人工的な、エゴイスト達が作り上げた洗脳情報で見えない状態にさせられてきてしまったのが、この私達なのである。

そこから脱出できて、本当の意味で心の自由を獲得しなければ、あなたのアセンションはあり得ない。

地球は無事にアセンションを遂げたけれども、あなたはアセンションに失敗し、再びアセンションを達成するまで、また違う惑星で、同じ3次元世界に彷徨い続けなければならないのである。

つまり、3次元世界という物質世界を、別の3次元世界を映しだした惑星で体験しながら、その惑星がフォトンベルトをくぐってアセンションを遂げるのを待ち、その間に達成されなかった自分の意識の問題を解決しなければならないのである。

3次元という物質世界では、今まで地球上でも起こってきたような、戦争や原発、飢餓、貧困、病気など、様々な問題が起こる。

その苦しい体験を、再びしたいのですか?

つまり、そういうことである。

少なくとも私はもうこの3次元世界は十分味わい尽くしたので、一刻も早く愛で満たされた5次元世界へ行きたいし、絶対に行くつもりでいる。

地球が無事にアセンションを達成し、本当の5次元世界が始まったら、その究極は、思ったことがすぐに現実化されるような素晴らしい世界だという。

だから、これから起こる自然界の活発な動きを、むしろ喜ばなければならないのである。

喜ぶことができずに、怖いとか、死んでしまうのではないかとか、不安な気持ちばかりになっていると、その思いは残念ながら現実化してしまう。

一方で、地球が頑張ってアセンションを達成させようとして下さっているのだから、私もこれから起こる事全てを受け止め受け入れて、魂の浄化に努め、地球の足手まといにならぬように波動を上げて自分自身を身軽にしておこうと強く思って、それを実行に移していけば、必ずその思いは現実化するだろう。


死を選択しているのは、私達自身なのである。

生きることを選択して、その維持の為に必要なことをやっていれば、それは絶対に現実化される。

だから、これから起こることに対して、全く恐れおののく必要はないのである。

そういう、生きることを選択する人々、その思いを実行に移す人々がもっともっと増えて、予定の人数に達した時に、地球のアセンションが完遂されることが、この世界を作った神の希望なのである。

地球上に残るべき必要な人数があれば、再び地球の新しい世界を守り続けるその人類によって、地球は新しい5次元の歴史を世に刻むことができるだろう。

だからこそ、だからこそ、何度でも言うが、一刻も早く自分の役割に気付き、目覚め、実行して欲しい。

自然界の動きについていく為の最もシンプルでスピーディな道が、霊氣である。

靈氣をすることにより、私達の氣の滞りがどこにあるのかに気付き、それを解決することによって、氣の流れが改善されていくのを体感し、自分自身が心身ともに向上していくのを身をもって痛感することができるからである。

それを繰り返していくことによって、自然と”直観力”が高まっていく。

本当に必要なのは、この”直観力”なのである。

”直観力”が研ぎ澄まされていればいるほど、自然界の大きな動きにも、慌てずにうろたえずに対応することができる。

”直観力”を研ぎ澄ますには、心を浄化すること。

心の中に余計な思いを作らないこと。

重い思いは必要ない。

ただ、”愛に生きる”と決心すること。

それだけである。

師匠が見た予知夢では、2016年11月21日に地球のアセンションが起こるとある。

しかし、少しずつではあるが、師匠達の懸命なお祈りによって、その時期が先送りになっている。

今フォトンベルトが完全に地球を覆い尽くすこの時期にやっておかなければならないことは、何度でもいうが、心の浄化である。

本物のライトワーカー達と地球そのものが、あなた達の波動が上昇していくのを首を長くして待ってくれている。

それに感謝し、この今生かされている貴重な時間を無駄にすることなく、御霊磨きに努めよ。

愛に生きよ。

合掌。

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2011年5月 2日 (月)

新しい生活

先月より、子供が幼稚園生活を始めたことにより、私の生活も一転した。

今までは保育所へ預けて仕事をしに行っていたのが、先月より、仕事を続けるために、幼稚園降園後、そのまま幼稚園バスにて別の託児所へ送迎してもらうことになったのだが、職場と幼稚園と託児所の3か所の管理はなかなかハードである。
ヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ

特に幼稚園側から毎日のようにある提出物や手紙で、最初の頃は手一杯だった。思い切り提出期限を過ぎてしまったものもあった。

と思ったら、もう時は5月へ突入。あっというまの4月だった。

そんな中、子供は子供で、違うお友達の靴を履いて帰ってきたり、ハンドタオルが入ってなかったり、他のお友達の洋服がリュックサックに入っていたりで、これまたてんてこまい(ノд・。)

でも、自分が作ったお弁当(なるべく肉の入っていない菜食中心で、更に玄米のお弁当)をほぼ毎日空っぽにしてきてくれるのは何ともありがたかった。チビの癖に本当によく食べる。特にお弁当にしてあげると、いつもと違う美味しそうな食べ物だと思って見事に食べてくれるようだ。

もちろんまだまだ育児に関しては私も未熟なところがあり、自然派のこの幼稚園でこれからおおいに学んでいきたい。

本当は、カラフルなおもちゃは控えた方がよいことや、今のうちから、文字や数字や英語などといった記号類を見せすぎないこと、テレビももちろん見せない方がいいことなどを改めて痛感した。

というのは、カラフルなおもちゃは、その色に魅せられてしまい、自然界の自然の色を楽しむことをしなくなってしまうからだそうだ。自然界の中にある景色の色のよさに触れることで、自然と共存共栄していくことを学ぶことに繋がっていくのだという。

また、記号類を見せ過ぎるのも全く同じで、自然界にあるいろいろなものを捉えることをしなくなってしまう。一番分かり易い例で言えば、動物園に行っても、目の前の看板ばかりに着目して、遠くの動物に目がいかなくなり、興味が薄れてしまうという。

テレビがいけないのは、受け身の人間になってしまうから。テレビに関しては納得して見せないようにしているお母さんも多いことだろう。

昔のように、おもちゃもなく、早期教育的発想もなかった頃は、自然界の中からいろんな事を学び、自然に豊かな心身が形成されていったのだと思う。

私は仕事しながらの幼稚園生活で、幼稚園の方針全てに従える環境ではないのが歯がゆいところだが、できるところから、なるべく自然に触れさせ、また創作能力を引き出すような遊び(お絵かき、文字など入っていない積木遊び、粘土遊びなど)をどんどんやらせるようにもっと工夫していきたいと思った。

正直うちの子供は、こちらが全く意識していないのに、自ら数字に興味を持って、子供の好奇心のままに覚えていってしまったという感じであり、周りからも、いいことじゃないと寧ろ褒められてきてしまった。それで今となっては電卓や電子辞書までいじるようになってしまい、これは本当にいいことなの?と思っていたところだったので、先生から話を聞いて、ひとまず電卓や電子辞書をもう弄らせるのはやめようと強く思った。

とはいっても、数字が好きになったのは、子供自らの意志によるものであり、一つの個性でもあると感じているのも事実。数字は、以前ブログでも書いたように、数靈(かずたま)といって、数字にも靈が宿っている(つまり、氣が流れている、乃至は波動を持っている)。数字に魅力を覚えたことにもなんらかの意味があるのでは、と感じている。だからお風呂場にある数字の形をしたスポンジタイプのおもちゃは残しておいている。

そういえば、私の場合、つい最近までは、デジタル時計をふと見ると、3:33とか、5:55とか、ゾロ目になっていたことが多かったのが、311の地震が起きた後は、何故か、5:11とか、8:11など、”11分”を見ることが多くなってしまった。それで、4月11日も大き目の地震がきっとあるのではないかと思っていたら、案の定、4月11日は大き目の地震が3回ほどやってきた。もちろん他の日でも大き目の地震がある場合があるが、4月11日は、大きめの地震が何回も続いたので、このことなのかなあと思った。

しかし、いまだに”○時11分”をよく目にするので、今後も11日の日には氣を配る必要がありそうだ。

しかも面白いことに、今月の11日を迎える前日には、311の被災地へ向けた祈りのボランティアに参加してくる予定である。主催者の話によれば、5月10日に祈りをするのは、日にちが良いからなのだという。

これもまたリンクしているのかも知れない。

幼稚園生活も落ち着き、自分に余裕が出てきたら、またブログもいろいろ書いていきたい。

今日はひとまずこの辺で。

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