ネガティブな話に同調しないために
また大きな地震が来たね。とはいえ、3月11日の大震災ほどではなく、津波も問題なく推移し、大きい余震の1つという形に終わり、事なきを得た。でも被災地で今なお避難所暮らしを余儀なくされている人々にとったら、311地震の恐怖がフラッシュバックしてきて、さぞ恐ろしく感じられた事だろうことは想像に難くない。
今回は私自身の反省も込めて、ネガティブな話に同調しないようにすることがいかに大切なのかを書いてみたい。
先日の東日本大震災で甚大な被害を被った東北沿岸部の方々の苦しみ、被災で失った沢山の命を考えると、本当に心が痛み、悔しいやら悲しいやら虚しいやら、本当にありとあらゆるやるせない気持ちでいっぱいになる。これは同じ日本に生まれ、同じ日本を生きる国民にとっては当然の思いであろう。
私自身は、正直地震の直後からだんだん風邪の症状が重たくなり、2~3日高熱にうなされていたので、 当時は自分自身の風邪を早く治すことばかりに頭が行き、地震の被害の酷さをまだ受け止めきれていなかった。
しかし風邪が大分落ち着いて、意識がはっきりすると、どんどん地震の被害の悲惨さが心の中に入ってきた。
しかしそれでもまだ、芯はしっかりしておかなくちゃいけないという意識を持っていたので、同調するまでには至らなかった。
ところが。
私の介護の職場の利用者さんで、親族が津波被害に遭った場所に住んでいて、未だに連絡が取れないと涙ぐんだのを見て、私も思わず涙が滲んできて、ほんとに不意に同調した形になってしまった。
また、友人と大震災の話になった時にも、地震直後の津波被害の状況について聞いた話をリアルに話してくれながら涙ぐんだ友人を見て、思わず同調してしまい、その光景を想像しながらちょっと苦しくなってしまった。
そういう事が重なると、もうひとたまりもない。
私のように氣について敏感になっている人間は、ネガティブな意識に捕われると、今度はどんどんどんどんネガティブな氣をもらい易い方向にいってしまうらしい。
風邪が完治したというのに、今度は左の肋骨の辺りの筋肉だか神経だかが、日が経つにつれてだんだん痛くなり、酷い時はおじぎをしたり、背中を反らせたりするだけでも痛みを感じてしまうようになった。
靈氣の勉強に出かけた時がピークで、仲間には、「今は本当に人々の混乱したエネルギーが充満しているから、そういうのを無意識に受けてしまっている可能性があるかもね」と言われてしまった。
仲間の殆どは、大震災の後の、将来を心配したり、この先どうしようともがいたり、やっぱり地球は崩壊するかもと考えるというような、ネガティブで混沌としたエネルギーが街に溢れているのを感じているという。だから絶対に同調しないように、丹田に意識を下すように心掛けていると言っていた仲間もいた。
ピークの後、とにかく一生懸命空いている時間に自己ヒーリングをしていくと、大分痛みが落ち着いてきた。
しかし、その後ちょっといろいろ個人的に考え事をしてしまったのが祟ったのか、今度は咳が出始めて、痰がまた絡むようになってしまい、肋骨の痛みのある部分に響くようになってしまってまた困ってしまった。
こんなに混乱したエネルギーが溢れている時に、単に地震とは関係ない個人的なことでさえも、悩んだり考え込んだりしてしまうと、たちまち同じような波長のエネルギーが近付いてきて、無意識的にでも同調してしまうようだ。
こんな時は、やたらめったら悩んだり考え込んだりすることさえも、控えなければならないと真面目に思った。
そして氣を楽にして、なるべく楽しいことだけを考えるようにしていったら、少しずつ咳も減っていった。
まだ完全ではないが、このままネガティブな思考に陥らないようにすれば、今の状態から解放されるだろう。
大震災で家族を失ったり、行方不明者を出したりしたような方々と話をする場合には、本当に氣を付けなければならないと思う。
確かに人の辛い話を聞いたら同情したくなるだろう。また、同情してあげた方が本人からも、同情してくれてありがとうと思ってもらえる、なんて考えることだろう。
しかし、それは間違いなのである。
私は以前、友人の一人に自分の過去の辛い話をした時に、思わず友人が涙ぐんだのを見て、「自分の話で泣かせてしまった。悪いことをしてしまった」と思ったものである。確かにその時は、同情して欲しいという氣持ちで話してしまったのだが、いざ泣かせてしまったら、なんだか急に申し訳ない氣分になった。そしてもう人前で自分の辛かった過去の話(特に涙を誘うような話)をするのはよほどでない限りしないようにしよう、と誓ったのだった。
自分の経験上で言えることは、人の辛い話を聞いた場合でも、絶対に同調してはいけない、ということである。
仮に相手が同情して欲しそうな様子を見せていたとしても、表面上で同情するフリをするだけにとどめなければならない。これは一見非情な人間に見えるかも知れない。しかし、自分自身がそこに同調して、共倒れになってしまうのはお互いにとってもっと良くないのである。
表向きでは、「そうだね、そうだね」と頷きながら聞くとしよう。しかし自分自身の軸は絶対にブレないようにしなければならない。あくまでも、ネガティブモードに陥らせるような話は、右から左へと聞き流さなければならないのである。同情して、同調して同じ辛い氣持ちを共有するのが美徳だと誰からともなく洗脳されてきた節があるけれど、それは実は大きな間違いなのである。
ただし人の辛い話を聞いた時に、自分自身も同じような過去を持っていた場合、これは同調し、一緒に泣くということで心の浄化ができる場合がある。だから話の内容次第なのであるが、単純に、自分自身をネガティブモードに陥らせ、何の解決策も生み出さないような話だとしたら、それには心の底からは乗ってはいけない、ということである。
もちろんポジティブな話ならどんどん同調すべきである。楽しい話、嬉しくなるような、なんとなく心がほっとするような、癒されるような、幸せになれるような話は、どんどん聞き入れ、受け入れ、味わうべきである。
どんな話を聞くか、という事さえも、自分の選択の1つなのである。
いろんな情報が溢れている今こそ、どの情報を取り入れ、どの情報をそぎ落とし、真実に近付いていくか、ということさえも、私達の魂の浄化への過程の重要な要素なのである。
だから、情報を取捨選択していく、という作業をないがしろには絶対にできない。
人の話は、聞きたいことも聞きたくないこともいろいろ入ってくるだろう。しかしそれをどう受け止め、またどう受け流すか、ということ1つとっても、自分の波動の上昇に大きく影響するのである。
その作業をする時が、どれだけ自分の魂が磨かれているかを知る1つのスケールとなる。だからどんな情報でも、どんな話でも、耳に入ってきた以上は、まずは受け止め、そしてその内容のどの部分を取り入れ、どの部分をシャットアウトするかを常に瞬時に能動的に判断していく必要があり、それが結果的に心の自立への大きなステップとなるのだ。
今回、私も東日本大震災という未曾有の混乱を招くような体験をして、思わず隙ができてしまい反省しきりである。これを機に、私自身も益々軸がブレることのないように、いつも丹田を意識して、自分を見失わないようにして一歩一歩前進していきたい。
人の辛い話を聞く時は、相手と同じ目線で受け止めつつも、一歩離れた視点で冷静に聞きましょう。
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