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2011年3月28日 (月)

”主観”で生きよ

さて、まだまだやや強い余震が続いていて不安定な状況が続くが、そんな中、日本国民の意識はどれほど変換したのだろうか。

先日、旦那に子供を預け、久しぶりに大学時代の先輩と再会し、積もる話を交し合ったのだが、やはり東北関東大震災の話から始まり、今後の日本の未来を2人で案じた。

この大震災によってパニックになっても尚、喉元過ぎれば熱さを忘れるかの如く、今までと同じ感覚で何事もなかったかのように生きているように見える人々を見ていると、どうしても、この先の日本を危惧してしまう、といったような話が先輩から出た。

確かにその通りである。東北は今回は甚大な被害をくらい、どれ程被災者の方々が心身ともに疲弊しているのか計り兼ねるほどであるが、関東は、確かに大きな地震ではあったものの、津波の被害もなく、電車がストップして交通パニックになっただけで済んだ。

でも、もし震源地が関東で全く同じレベルの震災が発生したら、こんなのでは済まないだろう。更に人口の集中している関東圏では、東北の数倍の死者・行方不明者が出ることは必至である。更に数々の高層ビルが陥落した場合の被害は更に酷いはずである。

さて今回の震災で、どれだけの想像力を働かせて未来を案じ、意識が変わり、今後に備えることができるか否か。そこが命運の分かれ道であろう。

そうやって大きな出来事を経験して、周りを見渡してみた時に、先輩が抱いたような思いが湧き上がってきたのなら、その時既にその人は意識が今までとはがらりとシフトしているのである。

意識が変わったと知る瞬間。

それは正に、自分の波動が上昇したと知る瞬間なのである。

その時の氣分は決して具合のいいものではない。

何故ならば、そうなった瞬間、それまでの出来事や環境に対する数々の疑問が湧き上がり、数々の周囲の意識とのギャップに大きな戸惑いを覚え、もしかしてそう考える自分こそがおかしいのではないか、と自分を責めてしまうことすらあるからである。

でも神は責めない。

それでいいんだよ、と言って下さっているのが分かる。

むしろ、その意識の変化こそが、神の希望だからである。

どんどん意識を変えて、出る杭になれ。

打たれても打たれても、更に出っぱって出っぱって、自分の思いに真っ直ぐになれ。

自分の心を癒し、慰められるのは、自分自身でしかない。

自分は自分なのだ。

自分を変えるのは自分。

波動を上げるチャンスはそこここにいくらでもある。

何も今回のような大きなアクシデントが起きたことがきっかけの全てではない。

アマゾンの森林がどんどん伐採されている事実を知って意識が変わる人もいる。

単に道路に懸命に咲く一輪の花を見て、意識が大きく変わる人もいる。

きっかけは人それぞれである。

とにかく波動を上げるチャンスを逃さない人が増えれば増える程、この先の人類の未来にも光が差し込んでくる。

未来に光を入れる存在になるのは、目の前のあなただよ。

これからは”主観”を大事にする時代である。

他人の考えに振り回されない、自分自身の意志をしっかり持って行動する、そんな時代である。

今までは自分を”客観”視して、自分と他人を比較して、他人と同等か、世の中の常識の範囲で他人を上回るくらいの自分を保とうとすることが美徳とされてきたのだ。皆で一緒に足並み揃えていくことが協調性があって道徳的だと教えられてきたのだ。また上の者に付き従い、従順に行動することが優等生であると教えられてきたのだ。

しかしこれからは全く違う。

一見自己中心的に見えるようであっても、それが神の希望であるのならば、自分自身の絶対意志であるのならば、その自己の思いに従順になって行動することが宇宙の法則に適った生き方なのである。人の思いや都合に従順になる前にまず、自己の思いに従順にならなければならないのである。

それはただの我が儘とは全く違う。

神の希望とは、愛に生きることである。

自己の思いに従順になるということは、自己に宿る愛に従順になることなのである。

それを一人一人が実行することで、自然にバランスの取れた関係を周囲と育んでいくことができるのである。

だから、何か今、自分の置かれている立場や存在意義に無理があると感じているのならば、それは他人や環境に振り回されている結果なのである。不自然に行動した結果なのである。

ただそれすらも、全くの無駄ではなく、経験の一つとして、自分の細胞に刻まれていくのである。つまり、自分が生まれてくる前にプログラムした学びの計画の一端なのである。その不自然な経験を味わうことによって、自然に生きるということがいかに自己の癒しになるのか、自分らしく生きるということがいかに楽で幸せなことなのか、という事を知るのである。

知った時に、意識が変わり、波動が上がるのである。

自然に自分らしく生きていくことが、神の望みなのである。

まずそれができる事によって、初めて他人への癒しを行うことができるのである。

だから今までの常識では順序が真逆なのである。

まず自己を愛の中心に持っていくこと。そして自分が光になること。自分自身をしっかり愛してあげること。

それによってのみ、他人に真実の愛を与えることができる。

自己を愛せぬままに、他人に奉仕していたら、どんどん自己がなくなってしまう。

また、奉仕される相手も却って不愉快になるだけである。

それはただのありがた迷惑の代物でしかない。やってあげている、とか仕方なくやっている、という気持ちなら、却ってやらない方がいいのである。

だから、まずは自分を愛せるようになること。

その為には、自分の思いにまず従順に行動できるようになること。

それが魂の浄化にそのまま繋がっていくのである。


日本が生まれ変わるには、神々しい文化を取り戻してアジアの中心に相応しい国になるには、そののち、世界の中心に相応しい国になるには、日本人の意識の変化が必至である。

日本人として生まれた意義の大きさを今一度噛み締めて欲しい。

天皇という現人神の存在の偉大さを今一度噛み締めて欲しい。

そして祈って欲しい。

新時代の倭国を作り上げるために。

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