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2011年3月16日 (水)

日本よ、一氣に生まれ変われ!

いつ狙われてもおかしくないと思ってた。

遂に起きて欲しくないことが起こってしまった。

2011年3月11日14時46分。

東北・関東に余りにも唐突に巻き起こった大震災は、相当の犠牲者を作りながらそれ以外の国民だけでなく、世界中の人々をも震撼させるに充分すぎるものだった。

私自身は、地震当日子供が熱があったので、旦那の親に預けて午前中だけ仕事をし、午後は病院に連れて行くつもりで、実家から車に乗り込もうとしたところに被災した。

車に掴まりながら揺れが収まるのを待った。子供は既に車の中。さすがに強い揺れに驚きを隠せずに半泣きしていた。

一緒にいた義父が、揺れが弱くなった隙に子供を車から降ろして抱っこしてくれた。

近くの、2階部分が増築されたという家の2階部分がやたら横揺れしていたのが怖かった。しかし崩壊することはなく、しばらくして揺れはひとまず収まった。

こんな中病院に行くのかと思いながら、とりあえず車に乗り、運転をしていく中、やはり何度か強めの地震が襲ってきた。周囲の車が停止したので、私もそれに倣って停止。そのうち段々病院へ行く気力が失せてしまった。

まあいい。どうせ病院行ったって薬もらって終わりだし、飲ませる氣もないんだし。できる限りヒーリングしてあげようと思った。

そしてそのまま帰宅。いつの間にか自分も子供から風邪をもらってしまったみたいで咳き込み始める。

家の中はそれ程でもなかった。うちは震度5強の地域。食器棚からコップが一つ落ちて割れていた。仏壇のお供え物のお茶がこぼれていた。お線香が落ちて折れていた。2階の部屋のCDだけが入っている棚が傾いていて、そこから沢山のCDが落ちていた。でもそれだけで済んだ。

急いでコップの破片を片したり、乱れたものを整理して、テレビをつけて地震情報を見守った。

いつの間にか子供は熱が引けてきて、まだ食欲はないもののそれなりに元気を取り戻してきたのでほっとした。

しかし、私が段々具合が悪くなっていくのが分かった。とりあえず夕飯の準備だけして、食べられるだけ食べた。

旦那は電車通勤なのだが、電車は当然のように運休してしまい、置きチャリを使って職場から一番近い私の実家に泊めさせてもらうことにした。

それからはもう自分自身はバタンキューで完全に寝込んでしまう。


翌日は丸1日39度の熱が下がらず、子供はとりあえず元気になってきたのに構うことが殆どできなかった。

日曜日になってやっと微熱程度になり、予約していた美容院に無理矢理行った。

担当してくれた美容師さんによると、実家が岩手の海沿いで、連絡が全く取れないとのこと。

周囲でも地震の話題で持ち切りだった。

正直微熱でかったるくて仕方がなかったが、なんとか4時間耐えて帰宅。

でもまだ風邪の症状は残っており、鼻と粘着性のある痰が絡み、咳が重かった。

高熱が続いた後で、三半規管が弱っている時に、沢山の余震に遭っているからなのか、どうも地震酔いをしてしまっているみたい。

月曜はなんとか訪問介護の仕事をこなしたのだが、その翌日は眩暈がして、咳も相変わらずだったので、仕事をお休みさせてもらった。

月曜の夜、遂に計画停電がうちの地域でも実施された。でもたったの2時間で終わった。うちはガスが引いてあるので、真っ暗闇の中、キャンドルと懐中電灯を灯しながら、食欲はなかったが、なんとか料理を作った。

子供は、真っ暗闇の中、懐中電灯が灯されると、びっくりして逃げ惑った。どうも、ライトが天井に当たったその光景がまるでお化けみたいに見えて怖いらしい。しばらく真っ暗な廊下に退散して突っ立っていたが、なんとか言い聞かせていくうちに、分かってくれたようで怖がらなくなった。


と、私の地震が起きてからの数日はこんな感じである。


ガソリンも灯油も売り切れ。正直もう灯油が全然なかったので困ったが、幸いにもそれ程寒くなくなってきたので、その他の暖房器具で充分事足りた。

ガソリンはまだ半分以上あるが、燃費のいい車ではないので、あと1週間のうちに供給場所が近くで出てきてくれないと、仕事に行くことができなくなってしまう。さてどうなるのか。


さて、甚大な被害に遭われた、またご家族を亡くされてしまった被災者の皆様には、深く深く哀悼の意を捧げます。

マグニチュード9.0という異常な巨大地震。大きな津波を伴い、更に原発の爆発による放射能漏れ・・・。

闇の人間達にしてみたら、さぞ計画通りにいったと今頃ふんぞり返っているだろう。

しかし、もうあなた達の取り巻きは少ない。

世界の殆どは日本の味方になってくれている。

これは間違いのない事実である。


なぜ日本の東北(宮城北部)が震源地に選ばれたのか?

私の予測では、日本で最も力のある政治家の出身地が近くにあるから、と考える。

じゃあなぜ2011年3月11日という日を選んだのか?

細かい理由までは分からないが、この時期を狙ったのは、おおざっぱに見れば、丁度菅政権というアメリカ依存内閣(表向き)が窮地に立たされた時期である。つまり、一番世界に影響力のある日本という国が、次なる新しい内閣を作って真の革命に着手するのを阻止するため、と思われる。

日中で戦争もさせてくれない、この間にアメリカドルは暴落の一途を辿る、ウィキリークスによってアメリカ軍のやってきた裏の動きが暴露される、という土壇場に来て、そのまま指を噛んで日本の動きを見ている訳がないだろう。

21世紀に入ってからというもの、実に大きな地震が世界各国で発生するようになったが、正にその殆どが、地震兵器(HAARP)によるものであると見て間違いないだろう。

さて、これは自然の驚異であるとまだお考えの方に一つ言わなければならない。

こんなi異常巨大地震が自然界で起こるということの不自然さをまず考えなければならない。

本当は、自然こそ、私たちの味方であるという認識を強く持たなければならない。

そして、私たちは自然の一部であるということを。

だからこれは、不自然な思考に浸りきった私たち人間の仕業なのである。

闇の人間だけを非難してはならない。

闇の人間がやってきた事を無条件に受け入れてきてしまった私たち無知無能な一般人の仕業でもある、ということを、強く強く鑑みなければならない。

中国雲南省の山岳地帯、老子の母の故郷とされる秘境を訪れて、本当の自然界に災害も病気もウイルスも存在しない、という貴重な体験をした千賀一生氏が『タオ・コード―老子の暗号が語り出す 性の五次元領域から迸る秘密の力 (5次元文庫)』という本で著している。この本は主に男女の性にまつわる自然界の解釈について触れた本であるが、その内容も含めて必読である。


さて、もっと書きたいところであるが、とりあえず時間がないのでここまで。


これを機に、一氣に生まれ変われよ日本人!!!

真の新しい時代を迎える前には、必ず激しい痛みを伴うものである。

これを乗り越えれば、絶対に、絶対に、日本は神々しい文化を取り戻すことができる。

これ以上の大きな地震を起こさない為には、一人一人の大きな意識の変化が絶対に必要なのである。

神は太古の昔からずっとずっと私たちを見守って下さった。

そして今も尚、ずっと、私たちと共にある。

信じて今できる力を注ぐこと。

祈ること。

感謝すること。

生き抜くこと。

助け合うこと。

認めること。

受け止めること。

感じること。

愛になること。

愛は自然、自然は愛。


一つ、私がかねてから信用しているサイトからの情報を載せておく。
(ダウジングという占いによる情報であり、信じるか信じないかはあなた次第であることを補足しておきます)


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2011年3月11日
深夜、菅総理とオバマ大統領の電話会談で話されたこと。
地震兵器の使用について菅総理が聞いて、そのことについて、軍が別の命令系統(デイビット・ロックフェラー)に従ってやった、とオバマ大統領は謝罪した。「もう米国債は買わない」と菅総理がいい、「わかった。緊急援助として米軍を派遣する」とオバマ大統領が答えた。

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