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2010年10月 1日 (金)

人は見かけじゃない

なんて、こんな当たり前の事をなんで改めて書かなくちゃいけないのだろうと思いながらも、やはり今だからこそこういった基本的な事もしっかり書かなくちゃいけないのだろうと思い、書いておく。

ある靈氣の勉強に参加した日に、とある名の知れた振り付け師さんもそこで勉強しているのだが、その振り付け師さんがこんな話をしてくれた。(ちょっと難しい表現の話だったので、実際の話とは少々違っていると思うけど悪しからず)

―― 私は良く自分がふと思った事に対する夢みたいなものをしょっちゅう感じたり寝ている間に見たりするんだけど、こんな事言ったら大変申し訳ないんだけど、正直な話すると、最初にここに来て皆さんと靈氣の勉強をすることになった日、ここに来ているあまりセンスのよくない人達と一緒に勉強するのは嫌だなあって思ってしまったんですよ。そしたらその日こんな夢を見ました。自分の部屋の中でいろんな物が落ちてくるんですけど、それがあまりに真っ直ぐなんですね。要するに垂直なんです。垂直に物が落ちるのは次元が真っ二つに分かれるとか、そういう意味に私は取っているんですが、そういう夢を見て、その後自分の事務所に行くと、どんどん皆の顔が変わっていくように感じたんですね。そしてまたとある時に目を瞑っていたらまた夢が出てきて、自分の事務所がビルの中にあって、そこに行くと皆の顔が全然変わってて、そうかと思ったら急に洪水みたいなのが起こって事務所の中まで水が入ってきてしまったんですね。そこでふと、地球の終わりが来た時に、そういう考え方をしていたら、きっと水に呑まれて生き残っていくことはできないのだなあと思ったんです。


これが別次元に行くか同じ次元に取り残されるかの瀬戸際なのだろう。それで垂直に物が落ちていく夢も見たのだろう。と付け加えておく。

地球の終わりが来た時、と本人は話していたが、実際は地球の終わりではなくて人類の終わりであろう。

地球は別に終わらない。地球の浄化力に耐えられない人々が一掃されるだけだから。

ただもちろん人間がそんなになってしまった事に対して、地球も残念無念と傷付くことは間違いないけれど。

人間よりも地球の方が立場がはるかに上なのは言うまでもないこと。


まだまだこの振り付け師さんが言っていたような考え方を捨てきれない人々があまりにも沢山いる。

人は見かけじゃない。センスの良し悪しではない。

見かけとは、他人から作られたものに過ぎないからである。

こういうのが格好いいとか、こういうのがお洒落なんだとか、そういう外部からの情報の通りに振舞ったり着飾ったりすれば、誰だってそれなりにお洒落にも格好良くもなれるのである。

要するに、”この時代に合ったスタイルはこういうものなんだよ”という都会から発信されて固定化された観念に縛られているだけなのである。

昔、例えば平安時代は、髪をやたら伸ばして眉を小さくしてぽっちゃりした顔立ちを美人とされたが、今は絶対にそういう人を美人とは呼ばないように。

しかも最近は益々日本人が西洋化していき、まるでそれが美徳だといわんばかりの現象が起きた。

これこそが洗脳である。

日本人は日本人らしくあるべきなのに、食べ物が欧米化した事によって、徐々に若者の体系も西洋人に近付いていった。

特にアメリカ・ニューヨーク発信のスタイルやファッションが持て囃され、純粋な子供達を中心に生活様式の殆ど全てがアメリカナイズされてきてしまった。

今こそ、日本人が日本人のルーツを振り返り、そして立ち戻り、日本人らしい生活様式と日本人らしい精神を取り戻すことが必要不可欠なのである。

そして、それによってのみ、日本人が日本列島を救うことができるのである。


見かけや雰囲気、周りの噂話だけで、人を判断してはならない。

人の中身をしっかり見た上で判断しなければならない。

本当の悪人は、見た目がとっても善人に見えるものだから氣を付けなければならない。

それは普段の生活でいろんな人とコミュニケーションしていれば分かる。

人の事を悪く言ったり批判してばかりいて、自分は悪くないよ、あなたにとって最高のパートナーだよ、という振る舞いをしている人こそが悪人である。

菅総理は小沢一郎を、総理にふさわしくないだの、少し静かにしていてもらいたいだの、そういう自分の都合や周りの吹聴によるものに従うことでしか人を批判できない。見た目はクリーンな善人のように見えるけど、そういう人こそ疑わなければならない。実際にはネットニュースでは不倫問題が持ち上がっている。でも見事に従米の大マスコミに封じ込められてしまったが。

ただ、以前トロイカ体制の一人として小鳩政権下で君臨してきた筈の人間であるので、現在においては悪人ぶってるだけなのか、本当に悪人なのか、それはこれから分かることであろう。

私はまだ裏ミッションは続いていると見ている。

小沢一郎が代表戦の前に、「負けると分かっている戦いでもやらなきゃいけない時がある」と言っていたという。

いかにアメリカ政府を操り、世界を操り、今尚もそれを続けようとする人間達の目をくらまし、本当にここぞという時に小沢一郎がトップに立って国民主導の政治に切り替えていくか、そのタイミングをずっと見届けている状態だと感じている。


完全に悪人になりきるのにもまた大変な勇気がいる。

それは、人間がそもそも愛から離れて生きていくことが絶対に不可能だからである。

愛とは自然である。

愛とは地球である。

愛とは神である。

菅総理は悪人にもなりきれなければ善人にもなりきれない、悪く言ってしまえば中途半端な総理だから、目くらましに丁度いいのだろう。その時の流れに従って、一番無難な方向に行くのだ。どこかで小沢さんとの繋がりも絶対に確保しているはずだ。そうでなければ、小沢派の細野前幹事長代理が中国との取次ぎ役に出向くことはあるまい。将棋が趣味の一つで、政界に40年も君臨している小沢一郎が、それくらい先の事まで読んでない訳がない。
おそらくともここ数年の出来事は、小沢氏から見て全て想定内の出来事が起こるのだろう。

そう思えた時、近いうちきっと健全な日本社会を甦らせることができる!という確信が湧いてきた。

今回のテーマからどんどん広がってしまってまた政治の話をしてしまったが、人は絶対に愛から離れられない。この事に気付いたらすぐにでも愛に戻りたくなるだろう。

愛から離れることは不必要欲である。

愛に戻る事は必要欲である。

愛から離れ切ってしまって今更戻るのも恥ずかしいなど考えている一部の悪人に振り回されないように、常に自分の愛の場所を見失わないようにしておきましょう。

そうすれば人を見た目で判断することは絶対になくなります。

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