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2010年8月21日 (土)

植物工場計画

同じくハーモニック・トラストさんのメルマガからの転載です。
本当に自然の力でできた完全な野菜と、不完全な野菜、皆さんはどちらを食べたいですか?
完全を選ぶことは、自然を選ぶこと。
不完全を選ぶことは、不自然を選ぶことに他なりません。
政府の目論む「植物工場計画」とは何なのでしょうか?

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安全な食べもの。
安心して口にできるもの。


前時代の消費者の関心は「カロリー」、それが今や「安全性」にシフトしている。
安全な食べものへの関心は日増しに高まっているのです。


食べたものが血となり、肉となっていくのだから、なるべく危険なものは口に
したくない。それはもはや確固たるニーズ。


でも、その前に立ちはだかるのは「値段」の問題。

高いし、もったいないし、他に出費だってあるわけだし……

これらがいつだってセットになるわけです。


安全性にこだわれば、手間ひまだって当然かかる。手抜きとごまかしを排除するの
だから、値段はどうしたって高くなってしまう。これは経済の原則からみても、
極めて自然なことといえるのです。


「より良いものをより安く」、それは極めて不自然で困難なことがら。にも
関わらず、この実現に向けた取り組みが進行しつつあるのです。


その名は、「植物工場計画」。


これは農水省が約150億円を投じて行うプロジェクトで、出資には名だたる
大企業がその名を連ねています。現在50ヶ所にある施設を今後3年で150ヶ所に
増やすといった壮大な計画。まさに官民挙げた「国家プロジェクト」、その名に
ふさわしい陣容といえます。


無農薬の野菜を安定して生産、しかも安い価格で供給。このことを最大のテーマに
進められているのです。この課題の実現に向けての最大のポイントは、「スピードと効率」。
非効率なものは、すべて排除する、このことで実現を可能にしようというわけです。


非効率なものとは何であるか?それは「自然界」といえます。太陽、土、雨、
気温や湿度、気象条件、これらは単なる障害物に過ぎないというわけです。


それもそのはず、太陽はいつだって気まぐれ。晴れたり曇ったりと効率が悪くて
あてにならない。だから排除の対象とする。代わりに完全屋内施設で人工照明を
使えば、24時間好きなだけ作物に光を照射できる。このことで「光合成」がより
活発に促進され、「日照不足」の心配もなくなるというわけです。


屋内工場だから台風の心配だって一切ない。気温や湿度も空調でガッチリ管理。
季節感は犠牲になるけど、その変遷に左右されることはない。養分の消化吸収も
「水耕栽培」にして液体肥料を注入する。栄養のカタマリを根っこからダイレクト
に吸収させれば、一気に肥大化が実現する。土から固形の養分を吸わせている
ようでは時間がかかってしまうというわけです。


これまで農業は“生命産業”といわれてきました。ある意味、自然任せ、でも
それでは安定しない。手間とヒマ、コストばかりがかかってしまう。だから
あたかも自動車を作るかのように、機械的かつ効率的に作物を生産する。この
ように人類の英知を結集し、無農薬での栽培を可能とするのが「植物工場計画」
というわけです。


確かに農薬を使わないわけだから、「安全」とはいえるのでしょう。
でも、本当にそれで良いのでしょうか?無農薬ならばそれでいい、毒がなければ
それで良い、しかも安いのだから文句はないだろう、そう言わんばかりの計画と
いえます。


やはり、人間の“浅知恵”に過ぎないのではないか?と率直に思ってしまうのです。


日本人は、世界で“最も難しい消費者”といわれています。安ければ!量が多ければ!
それだけでは日本の消費者の心をつかむことができないと説明されます。
外国の大手スーパーが日本進出を控えてきた理由は、日本人の独特な「自然観」
にあるともいわれるのです。


具体的には、「鮮度」や「旬」へのこだわりです。こうした鋭敏な感覚は外国人
には理解し難いものだといわれるのです。


「鮮度」とは、食べものを「生命」としてとらえる感覚です。食べるとは単純に
胃袋を満たすだけのものではなく、高くて強いエネルギーをとり入れることを
意味している。命あるものを命あるうちに、その感性が「鮮度」には込められ
ているのではないかと感じるのです。


もう一方の「旬」は私たちの季節感を表しています。四季の変化に富んだ世界でも
稀有な気候風土が育んだ、季節ごとの恵みを大切にするあり方。その作物が一番
生き生きとして美味しい、それを指し示す指標こそが「旬」。これも食べものを
生命として捉える感覚ではないか思うのです。


「鮮度」や「旬」に込められた食べものることの定義。「食とは何か?」その
答えが込められていると感じます。


四季の変化に恵まれ、豊かな気候風土のもとに膨大な時間をかけて育まれた独特の
自然観。石器時代から、人口密度がもっとも高く、豊富な食用植物の恵まれた
私たちの国。魚にしても、「刺身」を日本料理の頂点に置いてきた食の伝統とも
密接にリンクしていると思います。


自然界を教師に考えれば、「植物工場」は反自然以外の何ものでもありません。
それは旬や鮮度に込められた、私たちの自然観とは相容れないものであると
感じます。植物工場、サプリメントなどの機能性食品、枝葉末節とも言える極端に
細分化された栄養至上主義。こうした機械化され、機能化されるかのような
「食」のあり方。これに対して私たちの自然観はどのような答えを出すのか?
そのことが問われているようにも感じます。


問題は植物工場を私たちが本当に望むのかどうかです。もっと言えば、それを
食べたいと思い、継続して買い支えるのかどうかにかかっているのです。


購買とは、単純にモノの売り買いに留まりません。私たちの現在・未来、子々
孫々に至るまで影響を与える行為とも言えるのです。それはその商品への支持を
意味し、スポンサーカードを引くことに他なりません。“清き一票”を投じる、
そのようにも言えるのではないかと思います。


今回は「自然観」について考えてみました。

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”完全=ホンモノ=愛=自然=本来の自分”

これさえ分かれば、私達の本来の生き方が分かる。
私達の完全な生き方が分かる。
それは野菜を作る過程でも同じ。選ぶ過程でも同じ。
そして本来の自分とは完全なのである。ホンモノなのである。
自然に生きられたら、愛に生きられたら、私達はそれだけでもう完全無敵な光の存在なのだ。

もちろん、完全を目指すまでには不完全さを選び取る過程も必要である。
それだけ不自然なものに当たり前に囲まれて私達は暮してきたのだ、という証拠である。
いきなり完全を得ようとすれば、その高らかな壁の前にすぐに挫折してしまいかねない。
一歩一歩、確実に、堅実に、私達は完全を目指していこうではないか。

不自然なものから自然なものへシフトをするということ。
これは今の混沌とした時代に生かされている私達に課せられた、静かで壮大な革命なのである。

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