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2010年3月

2010年3月29日 (月)

数靈が伝えるメッセージ②

今度は数靈41と81について、同じく『数霊に秘められた宇宙の叡智―かずたま占い』の本から抜粋させてもらおう。

前述の記事「数靈が伝えるメッセージ」に載せた言葉と数の変換表も参照されたし。

この数靈について語るには、まず魔方陣を見てもらう必要がある。

(図は梶原流数霊術の”日本における数霊”のサイトより拝借させて頂きました)

3majin

まず上図の3方陣について。

1~9までの数が”不規則”に3×3のマス目の中に並んでいる。

この方陣は実にバランスよくできていて、縦・横・斜めのどの列も、その和が15になる。

2から下に、2+7+6で15。
8から右に、8+1+6で15。
4から斜めに、4+5+6で15。

ちなみに15の数靈の意味は、正に”バランスを取る”である。

更に、3方陣の中心は5で、これは前述した通り、”大自然・宇宙の意志”を表し、中心性を示している。

これを基本にして、更に拡大させたのが、9方陣である。

9majin

これは9×9マスの中に1から81までの数が、3方陣の配列を元にして埋まっている。

この方陣は、縦・横・斜めのどの列も、その和が”369”になる。つまり弥勒菩薩の弥勒である。弥勒の世とは理想郷(アガルタ)のこと。この方陣は別名”ミロク方陣”とも呼ぶ。やがて訪れるべき”弥勒の世”を紐解くのに大変重要な働きをする方陣。

また9×9の中に「真理」「道理」「摂理」といったものが秘められているので、”九九の理”、つまり”菊理媛(くくりひめ)”のお働きが表された曼荼羅でもあるという。

この9方陣について主要な2つの法則について書いておこう。

まずひとつめに、9方陣全体を3×3マスに9分割すると、例えば中心にある3×3マスは「5」が代表の数字になり、”5霊界”と呼ぶ。この”5霊界”の下に位置する3×3マスは”1霊界”となり、右の3×3マスは”7霊界”となる(ちなみにこの代表の数は、3方陣の数になっていることにも着目しておいてほしい)。

ここで”1霊界”に注目してもらおう。
中心に「37」が入った3×3マス。ここだけでも既に方陣になっている。
”1霊界”の場合、縦・横・斜めのどの列も、その和は「111」となる。

”3霊界”の場合は「117」となる。これは前述した”ありがとう”を示す数靈である。
”5霊界”の場合は「123」となる。
”9霊界”の場合は「135」となる。

という具合に9分割された全てのブロックが方陣として成り立っている。

そして2つめに、各霊界の神秘性について。
例えば”9霊界”の上段には「36」「81」「18」、中段には「27」「45」「63」と並んでいるが、「36」は3+6=9、「81」も8+1=9、「18」も1+8=9、同じく中段も同様に1の位になるまで足すことで9となる。
同じく”2霊界”の場合は、上段の「29」「74」「11」を同様に計算すると、例えば「29」は2+9=11。更に1+1=2となる。「74」も「11」も、1の位になるまで足すと2になる。
全ての霊界でこういう結果になる。

他にも9方陣がいかにバランスが取れているかを検証する方法はいくつもあるが、今回は割愛させて頂く。9方陣をいろんな規則に合わせて計算してみると面白いよ♪

ちなみに、これは私自身で発見したことだが、「方陣」を数に変換すると100になる(ン=10とした場合)。
100は前述した通り、”完璧な”数靈だから、正に「方陣」はバランスが取れて”完璧な”曼荼羅なのである。


ここで数靈41について。

9方陣のど真ん中には、そう、41が堂々と居座っている。

中心に41があるのは、この方陣だけではない。日本の国土の中心線の一つに名古屋から飛騨高山を抜けて富士山に至る国道があり、これが国道41号線である。

つまり、41は”中心”を表す数靈なのである。

また中心地を「ヘソ」と呼ぶことがあるが、これも数に変換すると41なのだ。

では日本人の主食は?

正解は「米」で、これも41になる。

人間の肉体の中心といえば、「血液」だが、これも41。

ならば、この宇宙の中心の存在は何かというと、人はその意志、あるいは想念のことを「神」と名付けた。
これも41である。

9方陣の中心に41があるのは、神こそが世の中心だということでもある。
そして、その41こそが、”我が内なる神=私自身”ということを深く強く認識してほしい。

神道の優れたところは、神を外に見るのではなく、我が内なる41こそが創造主である天之御中主(あめのみなかぬし)とダイレクトに繋がっていることを体感することであり、その中心になる部分を「直靈(なおい)」と呼ぶ。

全ての人の内なる41には「神」の叡智が分け与えられており、それが「才能」である。これもまた41である。

もう一つ。41に対応する言靈は「ラ」である。
「ラ」がまた大変興味深い言葉で、古代エジプトでは太陽神こそが最高の神であると崇めてきた。その神を「ラー」と呼ぶ。当時の人は「ラ」こそが最もエネルギー高き言葉であると感じていたのだろう。

更にフォトン・ベルト関連の記事でも書いた、1万2千年程前に海に沈んだとされるムー大陸について。この大陸の王を「ラ・ムー」と呼んだことから、「ラ=王」の意味を成していたと考えられる。

その大事な言靈「ラ」が、最近虐げられている。”ラ抜き言葉”というやつである。
「食べられる」を「食べれる」とか、「答えられる」を「答えれる」とか言ってしまう現代人は、言葉の中心を欠いてしまっていることに氣が付かない。つまり「41=神」が抜け落ちてしまっていることに平然としている。(私もたまにラを抜かして言ってしまっているかも知れないので氣をつけよう)


41がいかに”中心”を意味するのかを堪能してもらったところで、次の数靈81に移ろう。

81とは一体何か?

「人間」を数字に変換すると、なんと81。

そして生まれる前の「胎児」。これも81。

人間は生まれる前も生まれてからも81なんだねえ。

そして、生き抜いた後についてはどうなるか。つまり「先祖」。

センゾのンについては、変換表では1または10となっているが、目に見えるものの場合は1を、目に見えないものの場合は10を当てはめるという。「先祖」は目に見えないものなので、”ン=10”として、やっぱり81。

(10は言靈ではキにあたる。キ=氣で目に見えないものである。また10は漢数字で十となり、縦棒と横棒で成り立っている。縦棒は火を、横棒は水を表すため、合わせて”火水(かみ)”でつまり神。氣であり、目に見えないがなくてはならない存在の神が10である。ンから言葉は始まらないし、ンだけでは用途が見えないことから10が当てはまると考えられる。もう一つ、ン=1とも捉える理由は、ンと”ア=1”の始まりを対比させている。神社の狛犬が「阿」と「吽(うん)」の呼吸で人を迎えるのは、始まりと終わりを表すのだが、その終わりに当たるのがンである。つまり物事は1に始まり1に終わるのである。ンに1と10の数を与えることにより、数の奥深さを体現させている)

「人間」も「胎児」も「先祖」も81だけど、その本質は?

ヒ=30 カ=6 リ=45

で、つまり「光」なのです!!(*≧m≦*)/~

つまり人は生まれる前も生まれてからも、そして死んでしまった後も本来は「光」の存在なのだ、と数靈が証明しているのである。

なのに、すぐに人は将来に不安を思い恐怖を感じてしまう。

でもその必要はない。何故なら全ての人にとって「未来」は81、つまり「未来」でさえ「光」そのものなのだから♪

「光」は不安や恐怖という想念があるとどんどん失われ、そのうち「闇」になってしまう。不安や恐怖は何故表れるかというと、自分に自信がないからである。
自分自身を信じるということは、自分の内なる神を体現するということ。自分は自分のありのままで良いのだと認めてあげることこそが、自分の本質は「光」であるという事に気付く大前提である。

ところで、なんと日本国の国番号って、81なのね☆

日本は正に「光」の国。であればこそ、国民一人一人が、今こそ81を体現しないとね!

国民一人一人が魂を輝かせることこそ、日本国全体が「光」を取り戻す絶対条件。

肝に銘じておかなくっちゃね( ^ω^ )

81の数靈力について書いたけど、「感動」してくれた貴方は流石!!

だって、「感動(ン=10とする)」も81なんだもの♪

「感動」する心そのものが、正に「光」なのである。

おまけにもう一つ。

日本人の主食の「米」は41だった。

おかずは何がいいかというと、「漬物」で、これは81。

つまり、「米」と「漬物」の組み合わせは、「神」と「光」ということで、なんて素晴らしい日本食!
(漬物少しは食べられるようにならなくっちゃ(´・ω・`)ショボーン)

そして、何か足りないと思えば、そう「味噌汁」。

これは合計105になって、「アマテラス」を意味する。つまり天照大皇神(あまてらすおほみかみ)で、日本を守って下さる神様のこと。

105はちなみに「世界平和」とも変換できる。っていうことは、日本から世界平和の先駆けになっていくことができるんだよ、というメッセージではないか。

「味噌汁」は「世界平和」をもたらすのなら、地球食として世界中にどんどん広めていきましょう♪

素晴らしきかな日本食。神と光で平和来る(v^ー゜)ヤッタネ!!

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2010年3月26日 (金)

数靈が伝えるメッセージ

数靈の本当の面白さはこれからが本番。

最初に書いた通り、数靈は言靈に変換でき、言葉の組み合わせが持つ真の意味にフォーカスする。

以下の表がその変換の仕方である。
(同じく『数靈に秘められた宇宙の叡智―かずたま占い』深田剛史&はせくらみゆき著より引用させて頂く)

ア=1 オ=2 ウ=3 エ=4 イ=5
カ=6 コ=7 ク=8 ケ=9 キ=10
サ=11 ソ=12 ス=13 セ=14 シ=15
タ=16 ト=17 ツ=18 テ=19 チ=20
ナ=21 ノ=22 ヌ=23 ネ=24 ニ=25
ハ=26 ホ=27 フ=28 ヘ=29 ヒ=30
マ=31 モ=32 ム=33 メ=34 ミ=35
ヤ=36 ヨ=37 ユ=38 延=39 以=40
ラ=41 ロ=42 ル=43 レ=44 リ=45
ワ=46 ヲ=47 宇=48 惠=49 韋=50
ガ=51 ゴ=52 グ=53 ゲ=54 ギ=55
ザ=56 ゾ=57 ズ=58 ゼ=59 ジ=60
ダ=61 ド=62 ヅ=63 デ=64 ヂ=65
バ=66 ボ=67 ブ=68 ベ=69 ビ=70
パ=71 ポ=72 プ=73 ペ=74 ピ=75
阿=76 於=77 宥=78 衣=79 伊=80
須=81
ン=1または10
(ちなみにアルファベットA~Zの場合、そのまま順番に1~26を当てはめる)

意外と単純な変換だけど、これが侮れない。

本からばしばし引用させてもらうけど、例えば数靈100。

100には”完璧な”とか”完全なる”という意味があるという。

どこから見ても美しく正に”完璧な”富士山は、

フ=28 ジ=60 サ=11 ン=1

で合計すると100になる。

また何かの分野に精通しているような人を名人というが、

メ=34 イ=5 ジ=60 ン=1

で合計するとやはり100。満ち足りて不足のない人ということで的を得ている。

神道に出てくる神様で更に検証してみる。

多神教国家である日本では、”創造主としての神”から”守護者としての先祖”に近いところみんなひっくるめて「神」と呼び、その数を「八百万(やおよろず)」として表現している。その中でも最も上位に置かれる神を神道では「天之御中主(あめのみなかぬし)」と呼ぶ。創造主と考えてよい。
”天の”、”天にある”を意味する「天之」を省いて「御中主」を変換すると、

ミ=35 ナ=21 カ=6 ヌ=23 シ=15

で合計100になる。最も上位にあらせられる神は実に”完璧な”のである。

また、国造りに絶大なる力を発揮しつつもいまひとつ正体が判らない神がおり、「少彦名尊(すくなひこなのみこと)」という。

ス=13 ク=8 ナ=21 ヒ=30 コ=7 ナ=21

で100となる。この神が実は日本の成り立ちを知るのに大変重要な神だという。一般的には薬の神として信仰されていて、仏界における薬師如来と対比する場合が多いという。

夜空を照らす月にも神がおり、「月読尊(つきよみのみこと)」という。

ツ=18 キ=10 ヨ=37 ミ=35

でこれも100。太陽だけでなく月もまた地球にとって必要不可欠な存在。地球からの距離も大きさも何もかもが”完全なる”姿なのだろう。

ところで、陶器は「火」と「土」と「水」によってできあがるけど、これを「火土水(ひとみ)」とか「火水土(ひみつ)」といって、大自然の三原素である。このなくてはならない三つの要素でできた陶器を「焼物」とも呼び、

ヤ=36 キ=10 モ=32 ノ=22

で100である。こういった焼物を司る神を「埴安彦神(はにやすひこのかみ)」とか「埴安姫神(はにやすひめのかみ)」と呼ぶが、

ハ=26 ニ=25 ヤ=36 ス=13

でやっぱり100になる。

これらの他にもいろんな言靈が100になるものがある。意味を追究していくと、その先にはその言靈の”完璧な”姿が見えてくるだろう。


次に興味深い数靈が117。

「ありがとう」や「感謝します」を数に変換すると117になる。

この「ありがとう」の気持ちを忘れたまま、神への御恩も省みずに暮らしていると、大変なことが起こってしまう。

それが1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災。

日付が正に117。

「ありがとう」の気持ちを忘れた生き方を何というか。

「恩知らず」で、これもまた117。

恩を忘れ傲慢に生きた人類への警告としても117は現れる。

もちろんこれは神戸の人々だけではない。日本中の人々に対する警告である事を認識して欲しい。

それが言靈として「神の戸」の名を持つ神戸で起きたに過ぎない。

もちろん日本だけではない。

1991年の1月17日には多国籍軍がイラク攻撃を開始し湾岸戦争を始めた。

この戦争では地上戦に突入した2月24日も旧暦の1月17日だという。

そのようなことをしていればいつか我が身に返って来るのは自然の摂理で、1994年の1月17日にはロサンジェルスで大地震が発生。

そしてその翌年の1月17日に阪神淡路大震災ときたのである。

同じ過ちでも責任ある者ほど罪は重い。世界の中心ともなるべく神国日本だからこそ、歩むべき道を外せば反作用も大きい。

117が持つ数靈のメッセージを今こそ強く心に刻み込んで生きていかなければならないと思う。


ところで、伊邪那美(いざなみ)という母神がいる。日本の母ともいうべき神様で、「いざなみ」は117となる。子を持つ女神が母神で、母になるということこそが「ありがとう」から始まる。

懐妊して受精が上手くいく。「受精」も117。やがて「誕生」する。これも117。

正に”生まれてくれてありがとう”である。

さて、母になると旦那のことなどどうでもよく、とにかく我が子こそが「宝物」となる。これもまた117。

母になったことで自身の母に対する感謝の思いも深まり、恩の大きさ、愛の深さに「涙」する。これも117。

涙で心が浄化され、「純粋」な気持ちを取り戻す。これも117。

母ってなんて素晴らしいのかしら!!o(*^▽^*)o


ところで、お正月に飾る「門松」も実は117。門松は新年に”その年を司る歳神”をお迎えするための依代で、117はおめでたい数でもある。

そして三箇日には初詣。大きな神社には「神宮」と名のつく神社が多いけど、これも117。

神殿にて神々様の御開運を人々が祈ると、本当に光の「御柱(みはしら)」が立つという。これも117。


いやはや、ついでに神道のお勉強までしてしまったけれど、数ってなんて奥が深いの♪

数靈の面白さが少しは伝わったかしら???

長くなるので続きはまた次回(○゜ε゜○)ノ~~

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2010年3月24日 (水)

数靈って面白い!

数靈(かずたま)って知ってる?

神道では、言葉だけでなく、形にも、色にも、そして数にも魂が宿るという考えの下に、数には一つ一つ深い意味があるのだと説いている。そして古来より、言靈と数靈は表裏一体となっていて、それぞれ、”言靈から数靈へ”、”数靈から言靈へ”と自由自在に変換可能なのだという。

つまり、言葉の組み合わせは数字の組み合わせによるもので、その数字の組み合わせによって言葉の意味が決定される。

私は数字には以前からそれなりに興味があった。

しかし、カバラやピタゴラスの数秘術は知っていたけれど、数靈というものを知ったのは、ここ最近の話である。

そのきっかけが、やはり霊能力のあるAさんが友人に話してくれた事をそのまま教えてもらったことによる。

なんでも、数靈は、年齢にもそのまま当てはめることができるんだそうだ。

数え年でいえば、誕生の年はそのまま1歳になる。翌年にはもう2歳となる。

1~10までの数靈の意味を、「数靈に秘められた宇宙の叡智―かずたま占い」深田剛史&はせくらみゆき著の本から引用してみる。


1:ひ(靈・日・陽)
ものごとの始まりを示す数靈。原初の動き。靈(ヒ)・陽(ヒ)とも書き、存在の本質は靈(ヒ)から出来ていることを表している。

2:ふ(分・風)
陰陽、分離を表し、一なる世界から二極に分かれていく様を示す数靈。火と水、男と女、表裏といったように、二極に分かれることで現実界へ現れていく。

3:み(身・実・水)
一つの完成を示す数靈。ものごとの理をなす。バランスよく調和されかたちが作られていく。

4:よ(世・善・土)
安定しながら四方位に広がりゆくことを表す数靈。ひ・ふ・みが合わさって世となる。

5:い(意)
大自然・宇宙の意志を表す数靈で縦の動きを示し、変化をもたらすと同時に中心性を表す。日・靈・陽から生まれた生命の息吹を感受して神意と共に生きる様を示す。

6:む(結・睦)
ものごとが生成する産靈(ムスビ)が整う数靈で横の動きを示し、安定化をもたらす。それぞれのエネルギーがバランスよく配備されて整う。

7:な(成・鳴・生・為・也)
ものごとが段階を追って成就し、一体となった様を示す数靈。七福神、虹の七色、七つのチャクラ、のように一つにまとまって完成を表している。

8:や(弥・矢)
末広がりに拡がりゆく数靈。大自然の意に生かされて、一体となって進んでいく様を示している。行く先は弥栄(イヤサカ)の世界。喜び栄え賑わう弥勒(三六九)の世、理想郷。

9:こ(凝・子)
三六九の世の橋渡しとなる数靈。一の位で最高数を示すため、1~8までの全ての要素を内包する。

10:と(統)
統合と始まりを表す数靈。すべてを統べる働きを持つと同時に、1と0に分かれ、また新たに始まっていくことも示している。


1~10まで見てきただけでも、これだけ奥深い意味がある事を知ってなかなか感動ものである。

この1~10までをそのまま年齢に当てはめてみても、結構納得できるものがある。

もちろん11以降も永遠に意味付けされているのだが、ここでは書ききれないので割愛させて頂く。数靈に興味を持った方は是非この本を買って読んでみて欲しい。
ちなみにこの本は初心者にとって分かり易い内容に編集されているもので、神道そのものの数靈を勉強しようとなるとかなり難解になるという。

実は私自身も、Aさんが数靈と年齢の関係について話していたことを知るかなり前から、年齢というものに何か意味があると直観的に思っていた。

そのきっかけがまた奇妙だった。

小学生の時のある日、休み時間に皆で集まって、自分の寿命をとある計算で導き出すというのをやった事があった。その計算方法はとっくのとうに忘れてしまったが、確か生年月日を当てはめて計算すると寿命が出てくるというものだった。

私も皆と同じように計算してみたら、皆は大概60歳以上のごくありふれた寿命になったのだが、何故か私だけ30代という短命な結果が出てしまった。

細かい数字はうろ覚えなのだが、おそらく31歳乃至は35歳だったと感じている。

なので皆不思議がっていた。

私も何故その寿命になるのか首をかしげていたら、休み時間が終わってしまい、それ以降もうその話題は出ることなく終わってしまったのだった。

おそらく計算間違いでもしたのかも知れない。ただその時は何度か計算し直してみたが同じ答えにしかならなかった。しかし間違いであろうと計算した結果としてその数字が出た事に何か意味があるに違いないと、時間が経つにつれて感じるようになっていった。

そして、31歳乃至は35歳は、実際の寿命ではなくって、自分にとって何か転機がやってくる年に違いないと直観するようになっていった。

そしてそれがその通りになった。

31歳で靈氣を伝授され、そしてその直後に子供を授かったのである。

これは私にとって非常に必要不可欠な転機であった。

もしこの転機がなかったら、今こうして靈氣を更に極めようと決心して勉強し、そしてこんな内容のブログを書いているような心境の自分は絶対に存在し得ないからだ。

そもそも子供はもうできないんだろうと真面目に諦めかけていた。

それまでしばらく不妊治療として排卵誘発剤を飲んでいた。排卵誘発剤は飲み過ぎると却って自分で排卵を起こせない身体になってしまうという。なので、今回の排卵誘発剤でも妊娠できなければ、この不妊治療はやめて、精密検査に入り、体外受精や人工授精などについて考えていきましょうと主治医から言われた。

精密検査は正直したくなかった。それに、体外受精など第三者が介入するような妊娠方法を選択しざるを得ない状況になるのなら、もう子供は諦めようと本気で考えていた。

なので、最後の排卵誘発剤による治療が、事実上の私の最後の不妊治療ということになるのだった。

そして、その最後の排卵誘発剤を飲む時に、丁度靈氣を伝授され、そしてその直後に子供を授かったのである。

どう考えても靈氣のお陰としか思えなかった。

これは実体験したからこそそう実感できるのである。

そしてこれらの出来事が偶然の結果だとは到底思えなかった。

それは、以前から31歳が転機の年になると直観していて、それが的中したからである。

更に細かい話をすれば、当時老人ホームで働いていたのだが、妊娠が分かってすぐに退職した。後から知った事には、もしそれ以上働いていたら所得税を引かれるところだった。つまり、税金を取られる寸でのところで退職し、結果的に給料を丸々もらうことができたのだ。

全てがベストタイミングで訪れた。

老人ホームで介護の仕事をしようと決めて実行したのは、母性を磨こうと思ったからだ。

当時の私には母性がまだ足りていないと思ったからだった。

一生懸命仕事をしているうちに、母性が磨かれたと神様が認めて下さったのだろうか、見事に子供ができてしまった。

本当にベストタイミングとしか言いようがなかった。

こうして転機の年に靈氣と出会い、靈氣を極める事が私の人生の使命である事にも気付き、今それを実行し始めた。

多少の迂回はしたかも知れないが、結果的には魂のプログラム通りに人生が進んでいると思っている。

これから経る年齢一つ一つにも必ず意味があると思っている。

35歳という年ももちろん気になる。

皆も今一度自分の人生を振り返って、この年齢の時はどんな事があったと記憶を辿ってみて欲しい。意外な必然性に気付くことができるかも知れない。

数靈の面白さはこれだけに留まらない。

つづきは後ほど(*^m^)


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2010年3月23日 (火)

家族でデトックス

しばらくブログも休止して、家族で寝込ませて頂きました。

1月に近況を語って以来だが、私は2月から旦那の両親に子供を預けて介護の仕事を始め、子供は予定通り3月から保育所に通い始め、そして一番肝心のうちの旦那は、無事来月から転職する事が決定した。

何もかも無事に物事が運んだ。

旦那の転職が決まるまでがまだ予断を許さない状況ではあったのだが、会社先の上司に当たる人の紹介で転職先に引っ張ってもらえる事になり、旦那もそれまで今後どうなるか分からないストレスを抱えていたのがスパッとなくなり、本当の意味で緊張が解かれた。

そして家族全員、風邪に罹って寝込んでいました(笑)


最初に風邪を持ってきたのはうちの子供である。

保育士さんに言われたけれど、保育所などに入りたての子供は、必ずと言っていい程皆熱を出すという。

うちの子も多分に漏れずである。

急激な環境の変化で精神的に子供なりのストレスを抱えるんでしょうね、と保育士さんの弁。

ほんと、きっとそうだと私も思った。

今まで母子だけで、家中心で好き勝手に動き回っていた子供が、急に集団生活に入って、こうしろああしろ指示されて動かされるのだからしんどいに決まっている。

我が子は人見知りは全くない。

妊娠中に靈氣の勉強会に定期的に通っていた時に、いろんな人にお腹にヒーリングしてもらっていたので、師匠に「人見知りしない子になるよ」と言われていたのが、正にその通りになった。

だからその点でのストレスはないと思う。私が保育所に子供を送り、離れる時も、普通に「バイバイ」と私に手を振る余裕があるくらいだから。

しかし自由に動き回れない事がストレスになったであろう事は容易に想像できる。

時間、時間で、はいお昼ごはん、はいお昼ね、と動かされ、自分はもっと遊びたいのに昼寝しなくちゃいけないとなると、そして周りは皆いい子に先生の言う通りにしているのを見ると益々変な気分になると思う。

そのストレスがたたったのか、保育所に入って2週間が経った頃に、結構しつこい風邪をもらってきた。

子供は夜、計3日間高熱を出した。

でも子供の回復力は早い。39度以上出てたのに、3~4時間経つともう下がっていた。

でもそれが3日間繰り返されたという事の方が、さすがに私も親バカで心配になり、旦那も旦那の親も病院には行っとけというタイプなので、旦那に病院に連れて行ってもらった。

しかしただの風邪と言われた。

薬は正直、今の今まで飲ませた事がなかった。
もちろん、飲ませる機会がなかったというのもある。病気といってもいつも風邪をひくだけだったし、熱も年に1度だけだった。たとえ飲ませようと甘いシロップをあげようとしても、美味しくないらしく、ちょっと口をつけて変な顔をしてもういらないという仕草をするから、じゃあいいやと思って、結局今までは飲ませた事がなかったのだった。

でも今回は、熱が続いて自分の仕事にも差し支えが出たら・・・、という気持ちを消す事ができず、2回だけ飲ませた。ヤクルトに混ぜて与えたらすんなり飲んでくれた。

もちろん主に飲ませているのはホメオパシーである。
そして私も子供に風邪をうつされてしんどかったけど、少しヒーリングもしてあげた。

結局3回目以降は、無事に熱を出す事もなく元気になり、咳と鼻水だけまだあるけれど本人は何事もなかったようにおもちゃで遊んでいた。


旦那は子供が治った後から具合が悪くなった。

職場で熱が出てしまい、早退。

旦那は、私や子供が風邪をひいていても、めったにうつることはなく、喉は強いようだ。
それに熱を出すこと自体が少ない。

その旦那が熱を出してしまったというのだから、やっぱりいつもよりしんどい風邪なのかなと思わずにはいられなかった。

そして旦那も別の病院に行って診てもらったが、やっぱり普通の風邪と言われた。

結局熱は一晩で下がったが、転職が正式決定したのが風邪をひく直前の出来事だったので、その疲れがあるようで、もう1日有給を取って休んで寝ていた。

やっぱり旦那も転職が決まるまでのこの期間がかなりストレスになっていたに違いない。

そのストレスが解けた瞬間、身体のデトックスをさせられたのだと思う。

ところで旦那が行った病院では、39度以上の熱が出ていても、解熱剤は処方しないという方針になっていた。やはり自分の免疫がウイルスに対して有効に働く為に熱が出ているのを抑えてはいけないという考え方が病院でも浸透してきているのだな、と思った。
どうしても辛いという時だけ、熱を下げる座薬を入れて下さいと言われ、1錠処方してもらったという。
もちろん、座薬を使わなくても自然に熱は下がった。


問題は私の方である。

今回子供がもらってきた風邪がしつこいというのもあったかも知れないが、それ以上に私の昨年末からの心の激変と環境の激変による疲れがそうさせたとしか思えない、それくらいにしんどい風邪だった。

夜になると熱が上がる、というのが計4日続き、朝下がっても微熱、という1週間だった。

後半になると、咳と鼻水と痰もかなり出た。

今ようやっと落ち着いた。

私は頑固に病院には行かず(子供が既にただの風邪と言われたのだから自分もそうだろうと思った)、ホメオパシーと、後半は靈氣を自分に行ってしのいだ。

ホメオパシーは即効性がある訳ではない。
あくまで自分の自己治癒能力を引き出してくれるだけである。
病気を治すのはあくまで本人なのである。

ホメオパシーを使い始めの頃は特に、即効性があるどころか、寧ろ悪化してるんじゃないかと正直心配になる事がよくあった。

しかし、悪化しているんじゃないかという感覚があれば、それは寧ろ効いている証拠でもある。
それは、好転反応といって、ホメオパシーが症状が体外に押し出されていくのを助けているからである。
だから一時的に悪化したように感じても、それを静かに待っていれば、段々症状が治まっていく。

私自身、まだホメオパシーも未熟な独学力には違いないので、どうしても悪化した事で氣が動転したり、ホメオパシーを上手に扱えてないんじゃないかと考えてしまう事がまだあるのだが、熱も出るだけ出て、鼻水も出るだけ出切った今は、薬に頼らないで本当に良かったと思えるのである。

もしここで風邪薬を飲んで熱や鼻水を押さえ込もうとしたら、そしてそれによって治したとしたら、また今度風邪をひいた時、通常よりも更に熱や鼻水に苦しむことになる。

正直な話、風邪の症状の重さを測ったり、ストレスの重さを測ったりする事ができないので、あくまで本人の感覚だけが頼りになり、理解してもらえるかどうかは第三者の想像力にのみかかっている事であるが、今回の風邪は、自分の昨年末からきた過度の激変による疲れを押し出すためにこれだけしんどくなってしまったんだろうと思っている。
だからおそらく、薬を飲んでいたとしても、鼻水や痰でしばらく苦しむことになったと思う。

私の場合、気管支が元々強くないらしい。

高校の時も受験の年に気管支拡張症の疑いのある気管支炎になり、普通にベッドに横になって寝ると、朝、気管支に痰が大量発生していたようで呼吸困難になりかけて、その恐怖を味わってからは、病気が治るまで毎晩座って寝ていた。夏休みは全然勉強が手につかず、その病気でその受験勉強するべき大切な期間を丸潰しにしてしまったという過去がある。

卵巣嚢腫で2回手術した直後も、全身麻酔が原因なのか、その毒素を押し出そうとして、かならず高熱を出し、どの後は決まって痰のある咳に苦しむ。咳をすると手術で切った下腹部が異常に痛く、看護師さんに泣く泣くコールして、痰を切って咳を止める薬を出してくれるように頼んだのを覚えている。
ああいう経験をすると、やはり手術は身体の免疫力を下げてよくないし、もう手術したくないと強く思う。

最近ここまで酷い風邪にはかかってこなかったのだが、それまではストレスがあまりなかったということなのかも知れない。

妊娠中の臨月時は、風邪が長引いたけれど。
あの時の産婦人科の先生も、妊娠中に薬は良くないということで、頑固に薬を出してくれなかったのを覚えている。今から考えれば本当にいい先生だったと思う。
しかし当時は薬に対する認識がまだ甘かったので、なかなか風邪が治らなくて、咳がお腹に響いてこれまた大変辛く、泣く泣く別の先生に薬を処方してもらったのも覚えているΣ(;・∀・)
でもやっぱり薬を飲んでもその時はもう遅かったみたいで、簡単に咳や鼻水は止まらなかった。
なので少しだけ薬を飲んで、途中で止めてしまった。

今までも感じてきたことだけど、やはり何かに対してストレスを抱えていたのが解かれた時に風邪をひいたりするんだなあと思った。

風邪は万病の元なんていうこともあるけれど、私は逆に考える。風邪は身体のデトックス。ストレスを開放する為にひくんだったら、寧ろ風邪はありがたいのだと。風邪もひけなくなったら、後から自分ではどうすることもできないような重い病気になってしまうかもしれないのだと。

だからこそ、デトックスなのにそこに薬を入れるのはナンセンスなんだ、ということもね。

また一ついい勉強になった♪

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2010年3月13日 (土)

使命を果たす為の試練

更にAさんの話を続ける。

Aさんがこうして霊能力を予め持った状態でこの世に生を受けたのは、間違いなく、Aさんがその能力を使って周囲の人間を助けたりアドバイスしたりして人の為になる事をすることであり、また結果として、この見えない力が実在する事をも示すという使命を果たすためにある。

もちろんAさんがそれを自覚して彼女にそう言ったという。

そしてAさんは、「あなたにも使命があるんだよ」と彼女に言った。

彼女には彼女自身の、生まれる前に自分自身が魂にプログラムした使命があるという。

彼女は当時、福祉住環境コーディネーターに興味があった。

するとAさんは、「あなたについている守護霊さんが、福祉住環境コーディネーターを取るといいって言ってるよ」とアドバイスした。

しかし、彼女は結局その資格を取らなかった。

確かに彼女はその資格を取りたいとは思ったものの、それよりももっとやりたい事があったのだ。

それは、里親として一人の血の繋がりのない子供を大人になるまで育てたいという、それはかなり思い切らないと出来ないものだった。

それをAさんに伝えると、「確かにそれをする事によってかなり魂が磨かれるし修行になると思うけど、かなり大変だよ。私だったら福祉住環境コーディネーターを勧めるけどな」

と言われてしまったという。

そんな彼女にも、今、私と同じように血の繋がった一人の子供ができ、とりあえず今はその育児が中心になっているものの、今でも彼女はその夢を捨てられないという。
何故だか分からないけど、誰か自分が気になる一人の人間を最後まで見届けてみたい、という願望がつきまとうのだという。

私も、彼女の思いはいいとしても、周りの家族を説得するのがかなり大変だろうなあと思った。ましてや、旦那様が反対しているのがネックだ。
もし本当にそれが彼女の使命になるのなら、まず家族を説得できる器量を身に付けるのが最初ということになるだろう。

Aさんは、福祉住環境コーディネーターを勧めるというアドバイスだった。

決して彼女の思いを完全に汲んだアドバイスにはならなかった。

もちろん、当時の彼女の精神性などを踏まえた上でのアドバイスだったには違いない。

そんなAさんこそ、いくら霊能力が備わっているとはいえ、まだ発展途上の修行中の身であることには違いなかった。

もちろんAさん自身も、まだまだ自分は修行をしなければならない身である事を自覚している。

しかし、Aさん自身もなかなか修行が進まないのだという。

もっと魂を磨かなければ霊能力も今より向上しない。

従って、そうなるとアドバイスも結果的に中途半端なものになってしまう。

また、修行をしないでいると、見たくないものを見てしまうのだという。

つまり、悪霊や人の怨念など、自分をネガティブな方向に持っていくようなものばかり見たり感じたりして、更にそれらに影響を受けて実際に悪い出来事に遭遇してしまう事まで起きたりして、悪循環が起こってしまうのだという。

だから修行をしなければならない。

Aさんはそう思って、彼女や同級の友達に自分の能力をカミングアウトして、一生懸命人にアドバイスしたりしてきた。

しかし、Aさんの話を俄かに信じようとする人ばかりではないし、逆に霊の存在を嫌う人もいる。

なので助けようと話をするのに取り合ってくれなかったりして、心が折れてしまうこともきっとあったと思う。

また、Aさんの事を好奇な目だけで見て、その本質を理解しようとしないで面白がるだけの人もいるだろう。

こういう人達がいても尚、無心で神の意志に従って人を助けようとし続ける事のなんとしんどいことか。

心中察するに余りある。

Aさんは彼女に、「魂の修行をせずにいると、必ず神様からペナルティが下されるんだよ」と言った。

簡単に言えば、日ごろの行いが良くないと、それに見合った良くない事が起こるということ。

特にAさんの場合は、原因に対する結果がはっきりくっきり現れるという。

一番酷いペナルティは、事故に遭った事だそうだ。

ある日、彼女の元にAさんから電話がかかってきて相談された。

「実は、自分の職場で女将さんとマスターが、稲荷と成田山の神様両方を祭ってるんだけど、稲荷が私に『成田山の方を下げなさい。お参りにも行かないように』って言ってるの。でも、それは人の事だし、言い辛いよねえ・・・」

彼女は事の重大さが分かっていなかったので、「言わなくてもいいじゃん」と言ってしまった。

最後に電話を切る時に、Aさんは「車の運転をするのが怖くて・・・」と言っていたという。

それからしばらくしてまたAさんから電話がかかってきた。

「今日、事故に遭ったよ。車がペシャンコ! 廃車になっちゃった。身体は元気なんだけど、あと2、3センチ相手の車の当たる場所がずれてたら死んでたみたい・・・。実は事故のビジョンを見ていて、助かることは分かっていたんだ。稲荷に、成田山にお参りに行かせないよう女将さん達に言うように言われたのに守らなかったからペナルティが下されてしまったんだ。事故に遭った瞬間、”なにやってんの!”という声が聞こえたよ。身体は平気だけど、自分にとって一番痛いところに来るんだよ。それは”お金”ね。お陰で車買い直しだよ・・・」

更に、知り合いに次の車を頼んでいるけど、もし青い車が来たら、今度こそ運悪く事故に遭って命を落とすはずだから、青い車だったら私はもう絶対乗らないんだと付け加えた。

その後、知り合いが見つけてきてくれた車は赤い色で、Aさんは無事に過ごしているという。

後から知ったことには、実は女将さんもスピリチュアルな感性のある方で、”私達が成田山にお参りに行ってしまったからAさんが事故に遭ってしまったのね”と気付いたそうだ。

それには訳があって、女将さん達の親戚の霊能者の人が、「Aさんは霊能があるからアドバイスを聞くように。お店を助けてくれるよ」と女将さんに言ったからだという。

この出来事に教訓を得て、どんなに煙たがられるかも知れなくても人への忠告やアドバイスを続ければいいのだが、しんどいのだろう、なかなか思うようにはいかないようで、「私はそのうち急死するかも知れない」と彼女に話していたという。

魂が磨かれてから、その結果として霊能力が身に付いたなら対処するのはそんなに苦ではないと思うが、生まれつき霊能力のある人は大変だと思う。
ましてや、この光と闇がくっきりと対立の層をなす地球社会に魂を落とし込んだなら尚更である。
訳も分からないうちから見えない力を自分でコントロールできないまま闇の世界に振り回されるのだから。

Aさんが言うには、世の中の情勢や、いろんな未解決の事件の真相まで透視できてしまうという。
魂がある程度成長できていないうちからそういう事柄も見えてしまうとしたら、私なら確実に鬱病になっているだろう。

Aさんはそれらの真相について、本当はかなり彼女に話したがっていたという。しかし、それらを受け入れる覚悟が相手にできていないうちからあまり言い過ぎると、彼女の魂のプログラムに影響が出るから良くないというのがあるのだろう、まだそこまで言うべき時でないとAさんの守護霊が言うらしく、その辺の事についてはぎりぎりの所で口を噤んだそうだ。

今考えるに、Aさんもこの時既に世界の支配層の存在まで見えていたとしてもなんら不思議ではない。

そう考えればこそ、一般の人間に比べてAさんはより強い使命を持って生まれてきているのかなあと思う。

霊能力を予め備えて生まれてくる事により、一般の人よりも強烈な試練に見舞われる事は必至。

その試練に耐え抜き、魂の修行をすることによって、一般の人よりも先に魂のレベルを上昇させ、覚醒させ、そのことによって、一般の人を助けたりアドバイスしたり等、リーダー的存在になって皆を引っ張っていくだけのカリスマ性を備える事が可能になるからだ。

だから、試練を怖れてはならないのだ。

試練はありがたいものなのだ。

そしてまた、私が自分の人生の経験上で言えることには、”乗り越えられない試練は絶対にやってこない”のである。

試練がなるべくない方が楽で幸せな人生と思うかも知れない。

でもそれは違う。

試練をなるべく避けて生きていく選択ももちろん可能である。

しかし、試練を避けた分だけ、来世にそのしわ寄せが来るだけである。

魂が今世で抱えている課題を来世に持ち越すだけである。

しかし、いざ試練に立ち向かうと決心したら、絶対に乗り越えられるし、乗り越えた後は必ず本当の幸せに一歩近付く事ができる。

Aさんは生まれつき霊能力があった分だけ、乗り越えるべき試練のハードルも高くなるかも知れないけれど、乗り越えた後には素晴らしい人生が待っているのだと思う。

私の師匠もAさん以上に物凄い体験と試練を味わっているのを知っているけれど、現在はそれらを乗り越え、確実に幸せの道を歩んでいる。

だから、会ったことのない私からもエールを送りたい。

そしてお互いに大きく成長した頃に、彼女を介して対面する事ができるかも知れない。

それを密かに期待している。

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2010年3月11日 (木)

プライベートはない(被透視体験)

「友人と必然の再会」の記事の続きを書こう。

以下の文は、全て友人の許可により書かせて頂いている。

彼女はこの実体験を寧ろ皆に伝えて欲しいと望んでいる。

私と必然的な再会を果たした彼女には、学生時代から親しくしていた友人(Aさんとする)がいた。

Aさんが、ある節目の歳を迎えた頃に、思い切って彼女や周りの友人にカミングアウトした。

それが、「実は私は昔からずっと霊能力があるの」というものだった。

実際何ができるのかと言えば、チャネリングや透視や、霊を見る事ができるということだった。

同窓会が何度か開かれた時に、何組かのカップルのキューピット役をしたのもAさんだという。

Aさんには、誰と誰が結ばれると良いかも見えてしまうそうだ。

また同じく同窓会で一人の男性に、

「奥さん今妊娠してるでしょ? 赤ちゃんは女の子だね」

と見事に言い当ててしまう。

もちろんその男性は誰にも言ってなかったのでビックリするしかなかった。

でも第三者の話を聞いている分には、まあそういう事もあるのかな~で終わってしまう。

信じるか信じないか、まで頭が回らない。

ところが、彼女自身が透視されて言い当てられてしまったのだから、もう信じざるを得なかった。

今まで一切のスピリチュアルな出来事を信じてこなかった彼女にとっては仰天の話だった。

彼女の場合は、Aさんにとって、まるで”映像を見ているかの如く”透視できてしまうのだそうだ。

例えば、彼女がスーパーで挽き肉を選んでいた時、突然携帯電話が鳴ったので出ると、

「もしもし、今挽き肉選びながら迷ってるでしょ」

と言い当てられるΣ(;・∀・)

また例えば、彼女が外出から戻って家の玄関の前まで来た時、また携帯電話が鳴り、

「おかえり~」

と言われるΣ(;・∀・)

こういう自分しか知り得ない出来事を次々と言い当てられてしまい、彼女はこの後どっぷりとスピリチュアルな世界とはどんなものかを調べ始める大きなきっかけになったという。

特にAさん曰く、彼女とAさんは前世でも深い繋がりがあったそうだ。
それがより、彼女とAさんの波長が合い易い理由になっているのだろう。
彼女の直観では、Aさんと私は夫婦だったんじゃないかと言っている。

もちろんこの他にもいろいろある。

彼女はAさんに、般若心経の写経をするとすごくいいよと勧められ、始めることにした。
しかし、いざやってみたものの、なかなかやる気が起きなくて、さぼりがちになってしまった。

そんな時、Aさんからまた電話がかかってきて、

「写経が全然進んでないみたいだねえ。ちゃんとやらないと魂が磨かれないよ」

などと忠告されてしまうという。

また、彼女の親戚で筋ジストロフィーを持っている人にAさんが電話をかけて、

「これから彼女があなたにいろんなアドバイスをしてくると思うけど、きっとこういう話をしてくると思うからちゃんと聞いておくんだよ」

と先回りして言われてしまったこともあったという。

いくら学生の頃から親しくしていたとはいえ、ここまで”お節介”な事をされるとさすがに彼女もしんどくなってしまい、そういう事の積み重ねが原因で、最近は連絡を取らなくなってしまったそうだ。
もちろん、Aさんも、彼女とはしばらくの間連絡を取らない状態になる事まで分かっていたそうだ。

でも、Aさんがカミングアウトしてくれた事で、彼女の世界は明らかに広がり始めた。
彼女はそういう部分ではAさんに感謝していると思う。

Aさんが彼女を敢えて透視してみせた事で言いたかった事。

それは、本当は”プライベートは存在しない”事だという。

本来、人間は人やあらゆる事柄を透視する能力が備わっているのだという。

つまり人から発するイメージや氣の流れを、本当は見たり感じたりする事ができるのだという。

だからAさんが特別なのではなく、一般の人がその能力を退化させてしまっただけなのだ。

皆、一生懸命自分自身のプライベートを隠そう隠そうとするけれど、それはAさんのような能力が退化されずに備わっている人から言わせれば全く無意味だ。

だから、プライベートを持たず、皆と意識や意志を共有する事が、本当に宇宙の法則に適った、最も愛に近付いた、調和の取れた社会を形成する上での基本姿勢になるんだと思う。

と、ここまで書いて、自分にも当てはまるなあと思った(;´▽`A``


現在のこの地球社会の、特に先進国の現状は、核家族化が推奨され、家やマンションもしっかりと空き巣に遭わないように、プライバシーを侵害されないようにと守り尽くされ、まるで要塞と化している。
近所でお互いのプライベートを隠そうとする。その一方で、お互いにプライベートはどうなっているのだろうと勘ぐり合ったりして噂話に興じたり、勝手に噂を鵜呑みにして、その人を村八分状態に追いやったりする。
更に酷い事には、プライベートを覗こうと盗撮や盗聴をする人間さえもいる。

隠そうとすればする程、それを暴こうとする者が現れて、いたちごっこである。
その関係が積み重なる程、お互いがお互いを信用しなくなり、余計に殻に閉じこもり、冷戦状態になる。

家族の間でそれが起こると最悪だ。
でも残念ながら、信用し合えずにバラバラになってしまっている家族のなんと多いことか。
これが日本で毎年自殺者3万人も出している一番大きな理由ではないのか?
経済的な理由は二の次だと思う。
だって、家族が一致団結して、時には親戚の力も借りて頑張れば、絶対に生きていくことはできるもの。

お互いを信じ合うにはどうしたらいいのか。

それはお互いの意識や意志について共有すること。

ただそれだけだ。

殻をなかなか割ってくれない人にはどうしたらいいか。

こちらから愛と感謝の気持ちを持って接することだ。

こちらから、いつでも”受容する”という姿勢を持つことだ。

いつでも謙虚でいることだ。


お互いを信じ合うために、もっと自分の心を開放してみよう。

皆が宇宙の法則に適った生活に目覚め、予定通り新しい地球の時代が到来する頃には、地球上にいるかなりの人間が、心を開放する事の素晴らしさを同時に知り、そのことによって結果的に相手のオーラや氣の流れや、相手が発するテレパシーやイメージを見たり感じたりする事が可能になるだろう。

だからもう、胸の内を隠そうなんて、ナンセンスなのだ。

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2010年3月 8日 (月)

至急回覧!癌は真菌による感染

ふらふらネットサーフィンをしたら重要な情報にぶち当たったので至急こちらにも掲載させてもらいます。

これは、武山祐三の日記からの引用です。
読者の方が投稿して下さったと書いてあります。

消される可能性もある記事とのことです。

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すべての癌は、真菌による感染症である

まるでマネーマフィアのような人たちが存在するのですね。医療界にも医療マフィアのような人たちが存在しますが、同一人物のようですね。癌の治療方法は、今から30年ほど前に完成していたそうです。でも、この医療マフィアが、癌をお金儲けのターゲットにするために、この治療方法を封印し、大手医薬品会社は、効果の無い抗癌剤などを高額で販売し設けているのだそうです。日本は、アメリカの奴隷のような存在なので、勿論、この抗癌剤に対し、NOとは、いえません。しかし、この医療システムに勇敢に立ち向かっている医師がいます。イタリアの医師でシモンチーニという医師です。癌は治っています。癌の3大治療は、あくまでも、これらの医療マフィアがお金儲けをするための道具でしかありません。  もう、そろそろ、これらの真実に人々は気が付くべきであり、その一部の気が付いた人々による、医療革命が世界で起こっています。

糖尿病の薬は心臓病を作り、ワクチンは、脳障害が呼吸疾患。リューマチや膠原病などの免疫疾患を作ります。

これらの事実に気が付く時期が来ているような気がします。

このイタリアの腫瘍学者のビデオです。

http://www.cancer-fungus.com/sub-v1jp/sub-jp.html

このシモンチーニ氏のガン センターが日本に出来るそうですが、多くの迫害を受けているようです。

シモンチーニ ガン センターのホームページ
www.chironcology.com

この治療方法で、癌が治ってしまえば当然、何千億円と言う損害が抗癌剤などの医薬品会社や病院にでることになります。

癌で設けていた施設はことごとく、大変な事態になってしまう事でしょう。

癌に苦しむ多くの患者の為にも、医療マフィアと呼ばれる連中が、シモンチーニ氏を暗殺しない事を願っています。

この内容を、一人でも、多くの人に教えてあげてください。

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更に、現役の医師からの投稿もあるのでこちらも引用。

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武山先生
2度目のコメントです。現役の医師です。
癌がカンジダ感染症であるという可能性は否定できません。
シモンチーニ先生がその可能性に気付き、重炭酸ナトリウムで真菌に対して対処することにより、自己防衛として出現した腫瘍細胞が縮小していくという理論だったと思います。すべての癌がカンジダ感染のため白いと彼は言っておりますが、私は必ずしもそうではないことも知っておりますが、彼の考え方は否定はしません。彼が社会的抹殺を受けた経緯は丸山ワクチンにも似ていると思います。

しかし、ほとんどの医師は癌が真菌感染症の可能性があるということは認識していないと思います。そのような教育は受けていません。癌は遺伝子異常であり、腫瘍増殖抑制遺伝子の異常と学んでいるはずです。したがって医師に確認をとっても否定しかできないのが現状だと思います。

私は小学生の時に父親を癌で亡くし、主治医から私が大人になるころには癌は撲滅できるといわれていましたが、結果は大ウソで、増え続ける一方です。
 気付けば医療費は年額34兆円を超え、癌のための研究・医療費で13兆円を超えているのです。これだけの医療費を費やし、これだけの医療費を癌のために使っていて、結果は世界一の癌大国になりました。MRIもCTも世界がうらやむほどある国なのにです。

妻の伯父の末期癌、余命3カ月で相談を受け、西洋医学に見切りをつけ補完代替医療という選択肢があることを教えました。彼は2カ月で見事に克服しました。これには正直私も妻もびっくりです。でも、そのような方が現実にこの世の中にはいるのです。
西洋医学では証明できないので、奇跡と呼ばれます。しかし、治った方は奇跡でも何でもなく、ただ単に自分の自然治癒力が取り戻った結果治ってしまっただけなのです。ただ、この自然に治す力というものが科学的に証明できないので、西洋医学以外の医療で末期癌を克服すると非科学的な世界として煙たがられるのです。

西洋医学はすべて医学的根拠、科学的根拠に基づいて行ってきました。しかし病人は医師が足りないほど増え、癌になる人も癌で死ぬ人も増え続け、難病も増え続け、医療費も増え続けているという皮肉な結果があります。その一方で自然に治す力を取り戻した結果病を克服したら非科学的という世界に閉じ込められます。

予防医療は自然に治す力を維持させること、病人が予防医療を取り入れればその力が取り戻ってきて、その結果勝手に治してくれるのです。人間にはそのような力が与えられているのです。

人間には自然治癒力があり健康であれば病気には負けません。こんな当たり前のことが医師ですら考えていない国が現状のわが国で、病気を見つけたたくことばかり行っているのです。病気の原因は健康を損ねたことにあるのです。
 しかし、皆の健康管理をしている医師のほとんどは、有機野菜と農薬野菜の違いも知りません。自然塩と精製塩の違いも知りません。食品添加物の消費量や認可量も知りません。トランス脂肪酸の害も知りませんし、電磁波や化学物質の環境からの影響も考えません。そのような医師に健康ゆだねている日本国民が本当にかわいそうでなりません。

大きな権力が国民に気付かれないようにしていると私は感じています。

長文失礼いたしました。

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私もシモンチーニ氏のビデオを拝聴させてもらったが、癌はカンディタ菌によるものだそうです。
カンディタ菌の侵入を防ごうとして、細胞が分裂を起こし、それが結果的に腫瘍になるそうです。
腫瘍はみな白い色をしており、重炭酸ナトリウムで腫瘍を洗浄し、それを数回繰り返すだけでなくなってしまうのだそうです。
一体私達は何のために癌に恐怖を覚えさせられたのでしょうか。
お金という名の信仰宗教に他ならないようです。

現在癌に苦しんでおられる方には朗報です。
是非シモンチーニ医師の事を教えてあげて下さい。

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友人と必然の再会

以前書いていたブログの内容と重なるが、とても興味深い話をする為に必要な話なので、もう一度書いておく。


それにしても本当に人との出会いこそ必然に感じるものはないと思う。

自分の地元から離れて、旦那の実家付近に引越してもう1年以上経ったが、そこで必然的に再会した友人がいる。

その友人とは、同じ大学病院でたった二日違いで出産した。
部屋は違かったのだが最後のお祝い御膳を食べる時に同じグループになった時に少し話した程度だった。
それでも自分にとって話しやすい人だなあという印象は残っていた。

その後の赤子の1ヶ月検診時に再会した時に、その友人が旦那の実家と同じ町に住んでいて、わざわざこの少し遠い大学病院に持病の関係で出産に通ったと聞いたのはおぼろげに覚えてはいたが、当時はまだ家を購入して引越すことすら考えていなかったので、もうさすがに会うことはないだろうなあと思っていた。

しかし育児が一段落した頃に、遂に家を買う決心をした時は、旦那の希望もあって旦那の実家付近に引っ越すことにした。
その頃には正直彼女の存在はほぼ忘れていた。

再会したのは子供の10ヶ月検診の時。
同月生まれの子供達が一斉に同じ保健センターで検診を受ける。
お姑さんと一緒に行ったのだが、お姑さんと話してたら、予定より家を出るのが遅くなってしまった。

保健センターに着いて、呼ばれて診察室の中待合室の椅子に座ったら、丁度隣りの椅子に座ってきた親子がいた。
まだ引っ越してきたばかりでママ友がいなかったので、こういう場で少しでも話しかけておきたいとは思っていた。
すると丁度隣りの女性に抱きかかえられていた子供が私を見ていたので、迷わず話しかけた。

「女の子ですか?」

その声に女性が振り向いた。

瞬間、お互いの目を見詰め合って、

「ええええええーーっ?!」

と叫んでしまった。

それがその友人だったのだった。

彼女も予定ではもう少し早く保健センターに着くはずだったそうだが結果的に遅れたとのこと。
どう考えても神様が引き合わせてくれたとしか思えなかった。

それから彼女との交流が始まった。

後で聞いたら、なんと結婚した年も一緒だった。

結婚した年も第一子が生まれた年月も一緒だなんて何か深い縁があるに違いないと思った。

実際に交流していくと、彼女とは随分話が合った。

既に妊娠中から靈氣の勉強を続けてきて、スピリチュアルな話にもある程度精通してきていた私だが、そういう話ができるのが、正に彼女だったのだから。

彼女は少し前までは、全然スピリチュアルな事柄を信じてこなかったという。

しかし、学生の頃から一緒に遊んできた一人の友人が、ある時突然、”私は実は霊能力があるの”とカミングアウトしてきた事に端を発して、彼女自身もそのままあれよあれよとスピリチュアルな話を信じざるを得なくなってしまったのだそうだ。

その興味深い話は次に書く。

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2010年3月 5日 (金)

夢で人は出会っている

私は毎日、朝方になると何か夢を見ている。

でも普段は本当に他愛のない、日常の延長線上にあるような夢だし、全てを思い出す事もあまりない。

というより、思い出そうとあれこれ頭を使うのは朝から疲れるので、無理して思い出す事は敢えてしていない。

逆に言えば、思い出すに値しない、それ程大きな意味のない夢なのだろうと考えている。

しかし、無理に思い出そうとしなくても、起きた瞬間にしっかり覚えている夢というのがある。

それは自分にとって何か意味のある夢だと感じている。

その中でも特に、自分の知っている人が出てくる夢がある。

知っている人が夢に出てくる場合、大概私に何かメッセージを伝えに来てくれている場合が多いように思う。


前置きはこの辺にして、ある一人の学生時代からの友人が出てきた夢はかなり興味深かった。

この友人とは、下校時よく一緒に行動していたが、どうも波長が合うらしい。

下校途中で空を見上げた時、瞬間にUFOを見たのだ。

しかも二人同時に。

正に巷で定義されているようなグレーの円盤だった。結構大きく見えたので、かなり近い所を飛んでいたようだ。

「今見たよね?!」

「うん、見たよね?!」

見た瞬間二人で顔を合わせて驚き合った。

UFOなる物体は、それこそ0.1秒程で消えてしまった。


他にも細かい話はいろいろあるのだが、今回はこの友人が出てきた夢の話。

大体私がこの友人を夢に見る時、彼女は泣いている。

ある時、彼女が、別の友人達と喋っている私を後ろから呼んでくるので振り向いた。

振り向いてみると、既に泣いていて悲しそうにしていた。

そんな夢を見た時、私は決まって彼女にメールした。

「実は数日前、あなたが泣いている夢を見たんだけど、何かあった?」

すると返事はこうだ。

「実は、数日前、いろいろ悲しい事があって夜中に泣いていたの」

このような夢がきっかけで、この友人と再会することになり、お互いの近況を伝え合うという事が何度かあったのだった。

とある日の夢は、もっと面白かった。

何故か私の自宅のキッチンで彼女が立っていて、その彼女を後ろから抱きしめている男性がいた。

その二人の様子を私が隣りの部屋から眺めているというものだった。

早速この夢の話を友人にした。

すると友人は、「実は今好きな人がいて、最近仕事の後に一緒に帰るんだ」と言った。

私が男性の特徴を説明してみた。

長身で痩せ型で、髪の毛は黒くて短髪で、やや色白の肌でさっぱり醤油顔で格好いい雰囲気で・・・。

すると彼女は驚いて、「正にその通りだよ!」と言った。

説明してみた私の方が、後から驚いてしまったことは言うまでもないが。

師匠にこの夢の話をしたら、それはあなたが彼女の事を夢の中で覗きに行ったんですよ、と言われた。

ほえ~、私、覗きたくて覗きに行った訳じゃないけどナア
(;;;´Д`)ゝ

でも、ちょっと彼女の事が気にかかると、波長が合いやすいので夢に出てき易いのだろうと思った。

もちろん彼女の方から夢で私にアクセスしてくる場合もあると思う。

最近は会ってないし、夢にもなかなか出てこなくなってしまったが、お互いの環境の変化がそうさせたかも知れない。

とにかく彼女との一連のやり取りは、夢の仕組みを知る上で貴重な体験となった事は言うまでもない。


もちろん、彼女の夢のみでなく、他の自分の知っている人が夢に出てくる事がある。

夢で告白されることもあるし、夢で絶縁宣言されることもある。

普段何気なくいろんな知人友人と会って話していても、その表面からは見えない相手の本音が夢に出てくるのである。

きっとその逆で、私も自分の思いを夢に飛ばしている事がきっとあるだろう。

キャッチしてくれているかどうかは相手の受信能力にかかっているのだが。

そう考えると、本音は結局隠せないものなのだ、隠すべきものではないものなのだ、という結論に辿り着いてしまう。

”夢の中ではみな超能力者である”、というのは本当である。

夢に今まで無関心だった人も、今晩から、夢を見るという行為を少し意識して眠りに就いてみて欲しい。

隣りで寝息を立てている家族の本音が夢に現れるかも知れないよ( ̄ー+ ̄)

                                                          

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2010年3月 3日 (水)

書かされていると思う

これまで心の感じるままに任せていろいろ書いてきたけれど、先日私の友人から言われた一言。

「普段のJunちゃんと文章の雰囲気が全然違うね。何かがのりうつってるみたい」

うん。私もそう思う( ̄Д ̄;;

私はごくごくフツーの一般庶民。

ただ人よりは精神世界にも興味があったし、それなりにいろんな書物も読みあさってきたし、今も尚いろんな書物を読みながら靈氣という目には見えない氣についての勉強をしている修行中の身。

こんな私が、いくら覚醒したとはいえ、こんな事をはっきりと書いてしまっていいのだろうか、と顕在意識では思っている。

しかし、あ、これが書きたい、と思った瞬間、既にモードは変わっている。

おそらく、私の守護霊の一人が文士(おそらく男性)で、私に今必要なメッセージを書かせているのだと思う。

ブログを書こうと思い始めた当初は、もう少し柔らかい口調で書いた方がいいかなあと思っていたのだが、いざ書き出すとどんどん男性的なやや厳しい口調になっていく。

それはおそらく、それだけ今地球の未来に危機感が募っているからに他ならない。

でも普段の私は多分その辺にいる一般女性とそうは変わらないはず(^-^;

でもこの傾向は今に始まった事ではない。

学生の頃から、自分にとって重要な事を書こうとする時は、そういう論調になっていたと回想する。

そういえば高校の時、”矛盾した社会”とかいうタイトルで作文書いたこともあったなあ。

中学の時から、この世界はなんて矛盾しまくっているんだろうと、真面目に思ってきた。

地球が破壊されていくのをよく皆平気で過ごしているものだよなあと思ってきた。

かといって自分が何か特別な事をしてきた訳ではない。

その術が分からなかったから。

矛盾した世界で生きていく事のしんどさ、そしてそのしんどさから抜け出す為にはどうしたらいいか、自分なりに考えては日記に書き綴っていた。

でも今は、どうしてこの地球上でこんなにも矛盾した世界が形成されていったのかが分かった。

そして私は、どうしてこの世界に生まれてきたのかも・・・。

子供の頃から感じてきたこの世界に対する疑問が、今殆ど全部解けたと感じた。

疑問に思う事だらけのこの社会で、素直に従順に生きろと言う方がおかしい。

これらの疑問にまともに答えてくれた大人がこれまでどれだけいただろうか。

大人が子供の質問に答えられないのに、そのまま子供が大人の思うように成長する訳がない。

でもこれからは、今の大人達がいかに子供達に真実を伝えられるか、そして真実に基づいて行動していけるかが地球の未来の鍵を担っていると思う。

なんとか非行にも走らず、親にも大きな迷惑をかけずに大人になったけれど、大人として、子供に何を伝えていけるのか、どんな未来を手渡していけるのか、その責任は大きいと思う。

「私には関係ない」という言葉はもう一切通用しない。

人間の存在は、元は一つの先祖(アダムとイブなるもの)から始まっている。

つまり、皆大きく長い目で見ていけば、一つの家族なのだ。

なんで争いごとをしなくてはならない?

なんで傷付け合わなくてはならない?

国境だって、もういらないんじゃない?

いつまで国益国益って騒がなくちゃならない?

国の尊厳なんてあるの?

鳩山総理が、「日本は日本人だけのものじゃない」って言ったのを、反日思想だとか言う人々がいるけれど、そういう人々は、外国の人々を軽蔑したいの?

外国人と日本人にどれだけの違いがあるの?

もちろん日本はアメリカから自立しなくちゃいけないと思う。

でも自立する事と、日本人が日本国だけを大事にするのは、根本的に違う。

”日本人の為の日本国を守る政治”では、小我でしかない。

日本人は確かに誇れる存在だ。

だから、だからこそ、日本人の大いなる智慧を外国の人々にも分けてあげればいいだけじゃないの?

そんな時に、あいつは在日だからとか、中国人だからとか、アメリカ人だからとか、区別して考える事になんのメリットがあるだろう?

そういう区別・差別から争いが起こるんじゃないの?

本当の平和は、区別・差別をやめ、皆を同じ目線で見つめること。

だって皆神様の申し子だもの。

あなたの心に宿った神を失望させないで欲しい。

平和に一歩でも近付く為の努力は惜しまずしよう。

一人一人の一歩が集まったら、何万歩何億歩になる。

その力の凄さを神の御前で示しましょう。

ただただその為に、私は書かされ続けよう。


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2010年3月 1日 (月)

あるがままに生きる

皆さん、あるがままに生きていますか?

あるがままに生きるとは、わがままに生きるのとは違う。

自分の心の思い描くに任せて生きることである。

わがままに生きる人は、周囲の人の心を傷付けることに疑問を持たない人。

でも潜在意識では、人の心を傷付けている自分を知っていて、いけない事をしていると認知している。

しかし、自分の私利私欲や建前を守ることが優先になってしまっているので、その潜在意識に気付かないフリをしているのである。

でもあるがままに生きる人は違う。

私利私欲でも建前でもなく、純粋に心が感じた事を実行している。

心が感じたままを実行する時は、人の心を傷付ける事はない。

もっと厳密に言えば、相手が同様に心が感じたままを受け止める事のできる人であれば、あるがままに生きる人から愛と希望と勇気をもらうことができる。

たとえ俄かにあるがままに生きる人の思いを受け止めることができない場合でも、少なくとも心が傷付いたとは思わないはずだ。

しかしながら、宇宙の法則に逆行しているこの世界では、あるがままに生きている人こそ、周りから見ればとてもわがままな人間に見えるかも知れない。

それは、周りの人間が私利私欲と建前を優先に生きているからである。

そういう人から見れば、あるがままに生きる人は、羨ましい以上に、その自由さに振り回されて自分を卑下してみたり、逆にその自由さを妬んだりする。

でも、本当はあるがままに生きる人こそ、周りに愛と調和をもたらす人なのだ。

だからこそ、この欲望高き抑圧された世界であるがままに生きる事はとても難しいと感じてしまうのである。

でも自分の心を満たす為には、あるがままに生きる事が必要なのだ。

周りからどんな目で見られても、心の思うがままに生きることができる人は、心が自立できた人である。

心が自立できているから、周りの様々な考えに振り回される事はなくなるのである。

小我に振り回されることなく、大我で生きていくことができるのである。

そして小我に振り回されず大我で生きるには、心の感じたままに生きる経験を沢山積まないとならない。

あらゆる経験を通じてこそ、人は心に”芯”(漢字では心に草かんむり。心に植物でいう茎が伸びていく)を作ることができるのである。

心に”芯”があれば、絶対にブレることはなくなる。

”芯”を中心に物を考えることができるようになるからである。

この”芯”こそ、神の意識である。

人は皆神の子である。

神の意識と”芯”で繋がるのである。

この”芯”を作る為に、いろんな経験をしていくのである。

経験する事を恐れない。

経験して失敗する事、恥をかくかも知れない事、周りから非常識だと思われるかも知れない事を恐れない。

そしてあるがままに経験すればする程、やっぱりこれで良かったんだ、という確信がどんどん得られて、その”芯”はどんどん太くなっていくのである。

その”芯”が太くなればなる程、神の意識のままに行動できるようになるのである。

神の意識のままに行動できる人が増えれば増える程、希望に満ちた地球の新しい時代を迎える事が簡単になっていくのである。

つまりあるがままに生きる人とは、神の意識のままに生きる人を指す。

皆さん、神の意識のままに生きていますか?

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