2012年11月15日 (木)

スカイツリーに近付くな

久々の更新である。

既にお氣付きの方も沢山いらっしゃると思うが、やはりここにも書いておいた方がいいと思ったので、書く。


やっぱりスカイツリーはヤバイ。

東京スカイツリーと電磁波健康問題

最近、スカイツリーと電磁波について検索をかけると、出てくる出てくるスカイツリーはヤバイの記事。

でも、一般の方々がこうしてパソコン上でも声高に声を上げ始めたことは画期的である。

数年前は、ネットで検索をかけても電磁波の危険性を語るサイトはあまり出てこなかった。

スカイツリーは究極の殺人兵器とも陰で噂されるほどの電磁波を出しているだろうことは想像にかたくない。

墨田区一帯は、残念ながら一人に一人の確率で癌にかかってしまうかもしれない。

また、スカイツリーが見える場所に住んでいる墨田区以外の住人も要注意である。

東武伊勢崎線は、いつの間にかスカイツリーラインとかいう名前に変えられて、別にスカイツリーになんか行きたくもないのに、猫も杓子も行けと言わんばかりの関東中の人間を総動員しての大宣伝。


とにかく電磁波の危険性にまず氣付いて欲しい。

特に日本は、電磁波が危険である事について政治レベルで隠されている。それが何を意味するのか、少しでも考えてもらいたい。

電磁波を出す電化製品や携帯電話を完全に使うな、というのではなく、使い方を考えて欲しい。

どんなに健康に注意していても、肝心の電磁波に関して無防備であれば、本末転倒である。

はっきり言って、放射能より危険だ。っていうか放射能が危険だとテレビで声高に言っているのはカモフラージュだからね。本当に危険なものは別のところにある。テレビの放送は殆どが洗脳の為に使われているのだから。

除染に時間をかけている場合ではない。普段日常に何気なく使っている電気に目を向けて欲しい。

普段使いの道具の方がよほど危険だよ。

以下参考までに。

知ってくださいっ! 電磁波の恐怖

地上デジタル放送促進と東京スカイツリー大騒ぎ


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2012年8月 4日 (土)

透明とは何か

透明とは何か。

透明とは、全ての色を統合した色。

透明とは、全てを許した後の色。

透明とは、あらゆる喜怒哀楽を味わい尽くした後に現れる色。

心を透明にするには、いろんな氣持ちを味わい尽くして、その全ての感情を許し、そして統合することである。

私にはまだ許せない感情が残っていたのだろう。

しかし、その許せない感情も、今徐々に許せるようになっていると感じている。

謙虚であることは必要だ。

しかし、謙虚さは、度を越すと下心になる。

怒りを持つことさえ必要だ。

ただ、怒りも度を越せば憎しみになる。

悲しみも苦しみも味わうことが必要だ。

要は、バランスをどう取るかということだ。

全ての感情・感覚・色彩がバランスよく統合された時、初めて無心になれる。

統合するとは、ポジティブになるということである。

ポジティブに全てをバランスよく体験し切った時に、初めて無我の境地に入れるのだ。

度を越した感覚を持ってしまった、これ以上いくと戻れなくなると感じた時に、別の感情が湧いてくるのを止めないことだ。

別の感情が湧いてくるのは、それは心のバランスを取ろうとしているのである。

だから止めてはいけないのだ。

あまりに謙虚になり過ぎて、相手が自分を見下すような態度を取ると感じた時に、私はいつも自然に怒りの感情が湧いてくる。

その感情はバランスを取る為なのだ。

そしてその感情に任せておくと、いつの間にか相手がそれを察知して、見下すことを止めるのである。

だから、感情の自然な流れを、どうか止めないで欲しい。

そして、止めない状態で、今の自分をよく内観して欲しい。

どうして自分は今この感情を抱いているのだろうかと。

心が取ろうとしているバランスを、どうかどうか止めないで下さい。

そして全ての感情を抑えつけず、また一つの感情に固執せず、感情の変化を静かに見守れる自分を常に心の中心に置いて過ごして下さい。

泣いてもいい、苦しんでもいい。

ただその行為がどこから来るのか、どうしてそうなったのか、いつも心の中心で見守って下さい。

それをやり切ったと感じた時に、自分の心が清々しく透明になっていくのである。

心の中心と心の外側が同化されて”真心”になるのである。

それまでの全ての出来事が、作り事でない、心の底から生まれた”ありがとう”の出来事に生まれ変わるのである。


正直、今の自分はまだまだ苦しい状況にあると言わざるを得ない。

しかし、これも聖なる山を登っている途中の一場面に過ぎないのだと感じている。

山は登れば登るほど、疲れが出る。苦しくなってくる。

でもその一方で、一歩ずつ山頂に向かっているのだと確信すれば、頑張ろうという氣持ちも湧いてくる。

ただただ目の前にある山道をひたすら歩き続けるだけ。

聖なる山という名の神様は、ちゃんとスタートとゴールを用意して下さっているのだ。

信じて歩き続ければ、必ずやゴールに辿り着けるのである。

私は今、聖なる山という神様を登っているという確信がある。

選択は間違っていないという確信がある。

だから後は、信じて歩き続けるだけ。

バランスを取りながら、全ての感情・感覚・色彩を味わって許しながら…。

心が透明になる頃には、感謝の氣持ちで景色が滲んで見えなくなる程の涙で、山頂を濡らすだろう。

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2012年7月 5日 (木)

夢に出た数靈

昨日、我が子が幼稚園からの帰りの車の中で寝てしまったので、そのまま抱っこして家の2階にあがって寝かせているうちに、私も少し眠った。

眠りから醒める直前に、数字が夢の中で浮かび上がった。

「69」


69?

なんだか陰陽のマークに見えるなあ…。

何か意味でもあるのだろうか…。

そう思いながら目覚めた。


なんだかずーっと頭から離れなかったので、数靈うらないの本で確認。

69に変換できるキーワードは、

「生き物・不退転・心機一転・目的・合格・春・歴史」などだった。

見た瞬間、そうか!と思った。

今の私にぴったりなキーワードが出揃っているではないか。

特に”心機一転”が一番響いた。

正に今の心境をピッタリと言い表していた。

靈氣の勉強をもがき苦しむほどに突き詰めた結果、私は前述した通り、一つのことを悟ったのだ。

心の中がどんどん”空”で満たされていく。

これだけ苦しんだのだから、これからは違う視点に立って勉強を続けつつ、もっともっと大きく視野を広げて”楽”になろうと思った。

これでやっと大我を取り戻すことができる。

そう、その心は正に”不退転”だった。

結果は不合格でも、悟ったことそのものは”合格”なのだ。

そのことを神様は私に伝えて下さったのだ。

数字を使って。

数字は本当に侮れない。

なんとなく、何氣なく、目がいった数字には、必ずメッセージが込められている。

私みたいに夢におもむろに出てくることもある。

おみくじのナンバーの意味も重要である。

ふと見た時計の時間、目の前を走る車のナンバー。

カレンダーの日付。

ありとあらゆるところにメッセージは隠されている。

神様なんてどこにいるのかと問う前に、神様を見つける努力をしたのかと聞きたい。

いざ探してみたら、神様は自分の外側にではなく、自分の内側にいたのだということに氣付いたら、自分の心の目が見つける全てがメッセージであるということにさえ氣付けるだろう。

神様ありがとう。

また”楽”な氣持ちでこれからを過ごしていきます。

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2012年7月 4日 (水)

悟るとは信じ切ること

悟るってなんだろう?

悟るまでの過程には、必ず苦しみもがく心の起伏がある。そして、その過程を経なければ、絶対に悟ることはできない。

私は師匠によく言われる。

「神を信じ切りなさい」と。

確かに私は今まで神様を信じてきた。

しかし、信じ切れていたかは部分部分でしかなかったのかも知れない。

信じ切るとは一体どういうことかと考えた時に、

そうか、悟ることなんだ、と思った。

悟った時の感覚は、とてもまっさらで清々しくて、腑に落ちて、つまり無心の状態に同義である。

本当に苦しい感情を味わい尽くした後に、

やりきったんだからこれでいいんだ、結果がどうであったかにかかわらず、私は本当にこのあるがままの姿で神に認められているのだ、という”空”で満たされた感覚がやってくる。

それが、信じ切ることなのだ、と思った。

そう、”結果”はどうだっていいのだ。結果に捉われているうちは神を信じ切ったとはお世辞にも言えないのである。

それはつまり、もがき苦しむ感覚は結果を氣にしてこそ表れてくる感覚だからである。

最初から”目に見える結果”という呪縛があるからこそ、人は苦しむのだから。

そして苦しんでいるうちは、まだ”神様を信じている”というレベルにしか過ぎない。


悟りとは、人生の中においてあらゆる局面で表されていくものである。決して聖者が修行して得た時の感覚だけのものではない。

日常的にも悟りの感覚はいくらでも味わうことができる。

掃除をやり切った時。

一つのアートを完成させた時。

人間関係で悩み抜いた後。

病気を克服した時。

本を読破した時。

締切のぎりぎりの時間まで仕事を夢中でやった時。

久々に大ゲンカをした後。

そして死ぬ覚悟が決まった時…。

いつどんな場面においても、悟ろうとしているのか?

つまり信じ切ろうとして行っているのか?

私が勉強しているのは、つまりそのことであった。

ただ本を読み終えたのでは悟ったとはいえない。

ただ掃除をし終えたのでは悟ったとはいえない。

本をちゃんと読んでちゃんと理解できたと思えた時、初めて悟れるのだ。

床を納得がいくまでぴかぴかにして、これ以上キレイにできないと思えるくらい掃除したと思えた時に、初めて悟れるのだ。

今勉強している靈氣道は、正にこのことであった。


私には”信じる”を超えた”信じ切る”氣持ちが今こそ必要な時だと分かった。

そして今、苦しくてもがいている自分をようやっと超え始めたという感覚がある。

人は自分自身の人生を歩むことに関しては、どうしたって、予めプログラムしておいたプロセスを体験を通してしか実感できないようにできている。

だから、直観ではこうなるとは感じていても、実際に体験をしてもがき苦しまなければ直観の通りであったと実感できないし、絶対に次のステップに行くことはできないのである。

今の私の苦しみは、それをしっかり体感して知り尽くす為に必要な過程だったとよくよく分かった。

今回の悟りは私にとって大きな意味をもたらしたと思う。

今は今のこの自分を愛そう。自分をしっかり愛でる時期にきたのだ。

そしたらまた何かが変わっていくのだろう。

もちろん、また苦しまなければならない時期が訪れるだろうということもよくよく感じている。

でもその苦しみはおそらく今味わっている苦しみとはまた違う種類のものになるのだろう。

もし同じ種類の苦しみが訪れるのだとしたら、その苦しみは少なくとも今回の苦しみよりは穏やかになるだろう。

既に一度体験したのだから。

こうして少しずつ苦しみが穏やかになっていき、最終的にはいつでも無心の状態でいられるようになればこそ、それは聖者が修行した後の所謂”悟りの境地”に行きつくことができるのだと思う。

信じ切る為にはもがき苦しむプロセスを踏まなければならない。

しかし信じ切れた道には必ず光が差し込むのである。

その道こそ神が指し示す道なのである。


小さなことからコツコツと悟っていく。

それが”行”なのである。

合掌。

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2012年4月26日 (木)

小沢一郎万歳!!!

遂に小沢一郎が無罪を勝ち取った。

はっきり言って、無罪なのは当然の事実。

しかし、本当に些細な誰でもやるような記入ミスを大きな問題に仕立てあげ、裁判沙汰にまでして、秘書等3人までも巻き込んで、本当にこの世を手中に収めたい輩のやる事は露骨である。

でもそれも空回りに終わった。

神の力はいよいよ大きくなって、真実を見るものにだけ光を与えていく。

神の岩戸開きはもう間もなくである。

これから日本の政界も大きな改革が起こるだろう。

本当に国を良くする力があるのは、小沢一郎その人である。

ただ、露骨な連中は悔しさ余って何をしでかすか分からないから、これからこそ、本気で小沢一郎を守っていかなければならない。高裁への控訴という事も十分ありえる。

私も事がなかなか進まずにやきもきし、静観しざるを得なかったけれど、政界にもうっすらと光が差し込んでいく様を見せて頂き、また希望が湧いてきた。

これからは日本の時代である。

日本が世界の中心となって、地球を動かしていく。

いや、地球と波長を合わせていく、という方が正しい。

そして日本にお世話になってきたアジア諸国、そして表面上はライバルのようにさせられてきた社会主義諸国が日本の味方になって、世界中を席巻していくだろう。

まだまだ小沢一郎絡みの押し問答は表面上続くかもしれない。

しかし、それも新しい時代とのタイミングを図っての戦略であるということだ。もう氣にするに値しない。

一度無罪判決が出た以上、まだ小沢が悪いと思っている人々が少しでも目覚め、新しい時代についていけるように祈るばかりである。


ちゃんと地球の声を聞いていますか?

ちゃんと自分の心を観ていますか?

この二つは全く同じ意味ですよ。

合掌

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2012年2月13日 (月)

HAARPは日本にもある?!

また久々の更新である。

実は、人工地震兵器であるとされているHAARPは、最初はアラスカに作られた訳だが、どうやらアラスカを本部として、世界中にいくつものHAARP施設を拡大させているということらしい。

既にこの情報は去年から知ってはいたのだが、その詳しい情報を探してみたところ、なんとGoogle Mapの座標までご丁寧にリンクしてくれている素晴らしいサイトを発見した。

In Deepより「[資料]世界に広がるHAARP施設(高周波活性オーロラ調査プログラム」

詳細は各自でリンク先に飛んで見て欲しい。

でもって、日本の京都大学にもHAARPの施設らしきものがあるというから身震いものである。

表面上は、高層大気研究プロジェクトとなっているが、少なくとも軍事研究に使われているだろうことは想像にかたくない。そして実際に起こっているこの異常気象。どう考えても不自然極まりない。

年初めは随分と乾燥した日々が続いたが、1月半ば頃に久々の雨が降る時、その直前に大量のケムトレイルが散布されているのを見た人も多いはずである。

実はその雨に我が子が沢山当たってしまったのである。悪い予感は的中し、翌日にまんまと熱が出てしまった。この熱は下がったと思ったらまた上がり、完治するのに3日ほどかかった。

私はおそらくこの時に撒かれたものは主にインフルエンザウイルス、ノロウイルスの類ではないかと思う。この時を堺にインフルエンザが流行拡大していったことは事実だからである。

我が子はインフルエンザに罹る体質ではないと思っているので、今回もただの風邪で済んだ。私も旦那もインフルエンザには罹ったことがない。

そしてやっぱり地震である。有力な話の1つでは、6月までは地震が起こり易く不安定な状態が続くだろうから意識しておいた方がいいとのこと。

そういえば2月11日にも茨城県南部を震源地とした地震が起こった。いつもより少々大きく揺れた。

どうもけしかけてくる奴等は”11”にこだわりたいらしい。とにかく”11”日には毎回氣を付けておいて損なことはないだろう。

どちらにせよ、日本人の氣質が高ければ高いほど、巧妙な連中のやる事にもブレずに平然と生き抜くことができるはずである。もう恐れている時間もなくなった。ただ前に進むのみである。

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2012年1月 4日 (水)

2012年が始まりましたね

マヤ歴が終わりを迎えるとされている今年。

しかし実は既にもう終わっている、という説もある。

詳しくはこちらのブログに詳しい。

確かにフォトン・ベルトのことを考えたら、もう地球は既にフォトン・ベルトという光の帯の中に殆どすっぽり覆われていることには違いないのだから、その辺の細かいところにこだわる必要もないということになる。

その意味で言えば、もう3次元的な今までの物質至上主義的な価値観念を既に離れ、もっともっと愛に満たされた5次元世界に意識を切り替えていなければならない、ということである。


私自身は、度々ぼやいてきた通り、このブログは正に私の心の浄化の為に書いてきたのだ、と言える。

だから正直な話、自分のブログを読み直してみると、このブログを書き始めた頃の私はまだ恐怖心が抜けていなかったし、また、その恐怖心から抜け出したいからこそ、このブログ空間に思いの丈をぶちまけてきたのだと改めて実感している。

そして今の感覚とブログ書き始めの時の感覚は既に大きく様変わりしている。

それも記事の書き方や内容を遡って行けば、他の読者から見ても一目瞭然だろう。

もちろん、最初の頃の知識ではまだ不十分だった点もいくつかある。これは認める。

今の方がより知識が増えて、逆にこのブログ空間にすら書けないと感じたコアな真実に触れる機会を与えられ、困っているほどである。

残念ながら、このネット上に飛び交っている無数の情報でも網羅し切れていない話もある。

そしてそれらの情報の殆どが、私自身がその内容について書く立場には絶対にないだろう、という話である。

だから、新たに分かったそういったコアな話については、残念ではあるが公開を控えている。

という訳で、このブログに書いてある、マスコミが絶対に流さない話の数々は、あくまでもネットから拾い上げて、自分が直観的に正しいと感じた情報を集めている、という事をご理解頂ければと思う。


さて今年1年は、私自身は更に更に心をシンプルにしていきたいと思う。

今までこれらの記事を書きながら、どんどん洗練されて確信を得た思いとは、


自由


この一言に尽きる。

自由こそ"無償の愛"なのである。

何の規制もなく、こだわりもなく、しがらみもなく、自分の心のままに動ける世界。

そんな世界に生きることができたならば、どうして人の氣持ちが分からない人間になるだろうか。

どうして自然の摂理を壊そうなどと思うだろうか。

どうして怒りや苦しみや悲しみの感情が湧くだろうか。

どうして病気になどなるだろうか。

完全なる自然のみの世界を今一度想像してみよう。

自然のみの世界で生きることはとても大変だ、と考える人は、それも残念ながらマスコミの洗脳をくらっていると言わざるを得ない。

農業をしなければ食糧が得られない?

そんなことはない。

山では今でも山菜が自生して食べ放題である。

きのこや雑草類も、ちゃんとそれらの性質を見極める能力さえ高めれば、それが食べても大丈夫なものか分かるようになるので食べ放題になる。

魚を獲る行為も、直観と運動能力を鍛えればすぐに難しくなくなるだろう。

更に言えば、イメージしただけで食べ物が目の前に現れる世界がこれからやってくる、とは師匠の弁。

それに本当は靈氣の能力を磨いて、常に自然世界の氣と自分が一体化できるようになれば、食べ物がなくても生きていくことが可能になるのである。


この3次元世界が完全に終わりを迎えて、突然にして、愛に満ちた自由な完全自然世界で暮らすことになったとしても、すぐにその環境に適応できるように、今から直観力と身体を鍛えなさいよ、というのが私が今一番言いたいことである。

もちろん、まずは生き残って地球人としての役割をしっかり果たす決意をして下さいね。

話はそこからです。


その時がいつになるのか。

そりゃ目覚めている人がまだまだ少ない今、なるべく遅い方がいいのですが…。

逆に目覚めている人が少なすぎて、その時期を遅らせることがなかなか難しい状態にあるのも事実だそうです…。


2012年のマヤ歴が終わるとされている12月21日(23日説もあり)は、もし何か大きな出来事があるとしたら、それは世界の支配層の仕業になるのではないか、と私は見ている。

もしくは何も起きないで済むか……。

でも今の今まで、これだけ沢山の恐怖心を煽るような演出をしてきた輩達だから、何かを起こそうと計画している、という風に覚悟はしておいた方が良さそうである。

それが尻切れトンボに終わるか、それとも見事に支配層達の目論見が成功して、世界統一のリーダーを出現させてNWOの世界に導かれてしまうか…。

どうなっていくかは、目覚めた人の数の多さで決まるだろう。

この世界のからくりに目覚めつつある人達は大分増えてきたのがありがたいのだが、じゃあどうするか、という具体的な行動を起こす人達が残念ながらまだ少ない。

具体的な行動を起こせなければ目覚めたことにはなりません。

そして現在の秩序を見直す為の政治的な活動や地域活性へ向けた活動を起こす方が増えてくれたのはもちろんありがたい。

ただそれ以上に、もっと見えない世界に目を向けてくれる人間が必要なのだ。

見えない世界(魂の世界及び自然エネルギーの世界)を浄化・調整し、宇宙の法則について心から理解する事が本当に必要だと思ってそれを実行してくれる人達がまだまだ少なすぎる事がとても惜しいのである。

本当は、この見えない世界について覚醒してくれる人が増えてくれることが、地球にとっても宇宙にとっても急務なのである。

そして、一番直接的でエネルギー源となる”祈り”を捧げてくれる人達を地球は欲しているのである。

それだけはもう間違いがない。


地球の行く末を想像すれば、もう祈らずにはいられまい。

江戸時代以前は当たり前に”祈り”を実践していた日本人よ、今こそ覚醒せよ。

地球は、最も神について知り得ている日本人の覚醒を心待ちにしているのだから…。

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2011年12月23日 (金)

放射能汚染というテレビのネガティブキャンペーンに騙されるな

久々の更新である。

最近、放射線ホルミシス効果という言葉を知った。
低線量の放射線を浴びたほどでは、人体に全く影響がないばかりか、かえって放射線は浴びた方が身体の中で眠っているDNAが覚醒して、本来するべき仕事をし始めるというものである。
服部禎男氏、T.D.ラッキー氏、中村仁信氏等が提唱している。
実験をした結果、実際には人間は自然界から毎日通常200ミリシーベルトの自然放射線を浴びている、またはそれくらいの活性酸素を出しているというのが科学者の間では共通認識なのだそうだ。
ということは、世間に一般公表されている、年間の人間の被ばく量2.4ミリシーベルト、という見解そのものが科学者達から言わせれば全くの出鱈目ということになる。

こういう話を服部氏がNHKに何度説明しても、絶対にテレビで公表しないのだそうだ。

服部禎男氏と、意識研究家のエハン・デラヴィ氏による低線量の効用について講演したUSTREAMがあるので是非見て欲しい。

但し、どうやら静岡放送の「たかじんのそこまで言って委員会」では、中村仁信氏を招いて、放射線の効用について堂々と番組化されているものを発見したので、これも必見である。静岡では堂々と放送されるも、東京では絶対に放送されないのは何故だろうね。しかも辛坊氏の静岡放送での態度は、放射線ホルミシス効果をかなり受け入れている様子なのに対し、全国放送の民放で放射能の話になると、どちらかと放射能汚染を憂慮するような態度に変わっているのも不思議である。やはり建前としか私には思えない。


ところで、私達は自然界から宇宙線などの自然放射線、そして地上から出ている自然の地球電磁波、鉱物や植物に蓄積されている放射性物質に囲まれて暮らしているというのが事実である。

まずこの事を認識できないと、何故、ちょっと原発の崩壊で漏れた放射能を氣にしなくても大丈夫なのかが分からないであろう。

だいたい、何故メディアは”放射線”ではなく”放射能”という言葉を使うのかが問題である。

”放射能”とは放射線を出す能力そのものの事を差している。結局原発から飛び散ったものは”放射能”ではなく、明らかに”放射線”なのである。

国民の耳を撹乱させようとしているとしか私には思えない。

しかも”放射能汚染”である。

いかにも原発で使われている放射性物質が危険極まりないのかという事を煽っている。

もちろん、一度に身体が燃えるくらいの量を浴びたら誰だって生きてはいられまい。

私だってそんなことくらい百も承知である。

私の言いたいことはそうではなく、四方八方に飛び散ったとされる低線量の放射線をどうしてそこまで過敏に反応させて対策を取らせるような放送の仕方をメディアがするのか、ということである。

上記のUSTREAMでも服部氏が上司に言われた事として間接的に述べているが、結局、放射能は怖いということをわざと国民に洗脳させて、不安にさせ、権力者に依存させ続ける仕組みを維持したい権力者達の情報操作なのだ、ということが真実であろう。


私達はあまりにも無知でいさせられすぎた。

だから、自然界には沢山の放射線が存在することも、また、この放射線があるからこそ、私達は元気に生きることができるのだ、ということすらも分からずに今まできてしまったのである。

とにかく少しでもピンときた方から、放射線についてじっくり調べ直してみることをお勧めする。

ネットなら真実を探すことができる。

テレビや新聞は、権力者の洗脳道具なので、殆どといっていい程真実に出合うことはないだろう。


話は反れるが、残念ながら金正日も、韓国と一緒になろうと動き出したことが米国にバレて、都合が悪くなって暗殺されてしまった。

さて、今後の北朝鮮と韓国の動きには着目である。


とにかく、テレビのネガティブキャンペーンにこれ以上騙されないで欲しい。

ネガティブにさせて病気にさせ、最終的には殺すことが目的である。

一氣に殺さないで段階を追って国民を弱体化させた方が、利益になるからね。

そこまで私達は権力者達にいいヒモだと思われているのだ、ということをどうぞお忘れなく。


自分の身体は自分で守れ。

医者も権力者も助けないぞ!!!

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2011年11月19日 (土)

やっと更新しました~

結局、すんごい半端なところでブログが止まったままになってしまった…。

今やっている所属先のサイトでのブログと思い切り内容がかぶるので、とりあえずこっちは書くのをやめてしまった、というのが正直なところである。


もちろん、あれから無事に蛇の倉にあがらせてもらうことができた。当日はもちろん快晴で、仙人様こと神直先生にも、更に出雲から来ている百仙先生にもお会いすることができた。完全に自分の思いは果たされた。

我が子は3歳で蛇の倉山を自らの足で登り切り、奥の院も私の肩につかまりながらも泣きながらもとても怖そうなハシゴをなんとか登り切り、母親の私としては感無量である。

あれから、本来行こうとしていた日に蛇の倉に行けなかった理由を再考したのだが、実はツキノモノはこの山に登ることができないと、蛇の倉山に登る直前に百仙先生がおっしゃっていた。

そう、正に行けなかった台風の日は、私はツキノモノであった…。


うーむ、そう考えると、行けなくて正解だったのである。

それで、翌週に神様がずらして下さった、とも言えるのである。

いやあ、本当にありがたい。感謝感謝である。

さて、前回の記事のつづきの報告はこれくらいで超簡単に済まさせてもらうことにして、近況を少しばかり書いてみようと思う。

最近は、氣に入ってつけていた石のブレスレットは、希望通りに完全ノーマルな中小の球体の水晶の組み合わせに変化した。

やっと私もシンプルな水晶オンリーのブレスが似合うような状態になってきたのだなあ、と感慨深い。

そして、私の心の大変化はこれからも尚続いていくと感じている。

その大変化はまさに、去年の年末に直観し確信した思いに確実に向かっている。

心のベクトルは歪むことなく、より真っ直ぐに、向かうべき方向を直視している。

とりあえず私の中で、一番苦しい峠は乗り越えたと感じている。

これからは、もっともっと楽に、もっともっとフラットに。

今年も嬉しくも悲しくも、また年輪を重ねてしまったのだが、もうここまでくると、いくつになろうが私は私だと思う。

周囲がどう見ようが、私の直観をただ形にしていくのみ、である。


靈氣の勉強はもちろん継続して続けている。

1年前と比べたら、この私も大分肝が据わってきたと思う。少しのことでは動揺しなくなった。

例えばケムトレイル(また最近多いんだな~これが)を見ても、またかと思うくらいで、怒りの感情も大分引いてきた。

無事に311以来大きな地震は免れているが、来年以降もまだまだ油断はできないので注意はしておくべきである。


ところで、以前、○時11分という時計表示を良く目にする、と書いたことがあったが、実はそれは現在も続いている。

そして更に、ぞろ目(5:55とか12:12とか21:21など)の時計表示も○時11分に次いでよく目にする。

なので、この二つをかけ合わせて、私は11月11日という日に何か意味があるのだろう、と直観していた。

すると、10月のある日、師匠に、まず先に私の子供の誕生日を聞かれた後に、「じゃあ11月11日に一体何があるのか子供に聞いてみなさい」と言われたのである。

私は既に、11月11日の意味まで勘付いていた後だったので、やっぱりそうなのか…、と思うしかなかった。

そして、師匠にそう言われてからは、ほぼ毎日のように子供に11月11日には何があるのか聞くようになった。

私が直観している事を尋ねると、「うん、そうだよ」とニヤニヤしていた。

ただ、こちらから「11月11日は何の日なの?」と聞いただけでは、ふざけた答えしか返ってこなかった。

うーむ、子供の答えは合っているのだろうか…。

で、もう11月11日が過ぎてしまったある日、もう一度真剣に、直観している事で正しいか聞くと、今度は何度も、お母さんが感じていることは正解だよ、という風に教えてくれた。

もちろん当日は何事もなく終わった。

つまり、別に特に何かが起きるという類のものではないのだ。

ここでは、現時点ではこれ以上書くのは差し控えておく。

とにかく私と子供に関わる個人的なこと、とだけ申しておく。

とりあえず、ざっと今の思いや氣になる事を書いてみたのだが、今度はいつここに書き込むことができることやら…。

私自身も日々変化し、進化しているのである。

ブログの内容も、どんどん変化し、進化する。

その進化とは、どんどんシンプルになる、ということである。

煩雑で複雑で理屈をこねまわしたような思考の世界から、どんどん枠のない単純明快な感覚の世界へとシフトしているのである。

こちらのブログも、もう少し書くことがあると思うので、このままより緩やかにではあるが、継続させていただく(^^;


今後の私自身の変化にワクワクしながら、今日はもうおやすみなさい…。

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2011年9月 9日 (金)

覚悟、そして祈りの旅

さて、先日から申し上げている通り、今日の夜からいよいよ蛇之倉七尾山に出向く。

さすがに今度こそは台風が襲ってくる、ということはないだろう。

快晴のまま上がらせてもらえるかも知れないし、やはり龍神様のお出迎えがあり、大小にかかわらず雨降りになるかも知れない。

しかし、今度は絶対に行ける。

それだけは確信した。

実は、あれから一緒に行く仲間の一人が、突然具合の悪くなった家族の看病をしなければならないという理由で更に行けなくなってしまった。

なので、結果的に、私達親子と救世主の男性と仲間の女性の4人で行くことになった。

私以外は運転はばっちり問題なしの様子なので、本当にありがたい。

但し、よく考えたらレンタカーでなく、男性の車で行くことになったので、まだ3歳の我が子を座らせるチャイルドシートが必要なことに氣付いた。

それで、自分が使っているチャイルドシートを、待ち合わせ先の女性の家まで宅配することにした。

しかし、チャイルドシートはなかなか大型なので、その辺の段ボール箱では入らない。

とりあえずでかいビニール袋に入れて宅配会社に持っていったら、段ボールに入れないと宅配できませんと言われてしまった。

仕方なく、近所の大型DIY系ストアに行き、かなり大きい段ボールを探していると従業員の一人に伝えると、

「そんなに大きい段ボール箱はないかも知れませんが、探したければ駐車場隣りにあるゴミ置き場にご自身で行って見てみてもらえますか」

とのことだった。

この何でも売っている大型ストアでも、チャイルドシートが入るくらいの箱がなかったら、もうどこを探してもないだろうな、と思いながらゴミ置き場に行ってみると。

…なんだ、沢山あるじゃないの。

そこで、適当にこの段ボールなら入るかな?と思い取り出して、実際にチャイルドシートを入れてみると。

ビンゴ!! 見事にジャストフィットだった。

うーん、やっぱり私の直観力は相変わらず冴えているナア。

と、自画自賛(苦笑)。

この直観力を維持しながら、台風被害に遭った奈良の道中を、被害に遭われた方々に深くお見舞いの氣持ちを捧げつつ、粛々と参らせて頂こうと思った。

覚悟、そして祈りの旅。

自分自身を更に浄め、会うべき神様方、そして仙人様に、是非お目にかかりたい。

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